平城宮跡歴史公園に行った。その5(第一次大極殿) よりつづく
朱雀門ひろばで自転車を借りて、要所要所を見学しながら半時計まわりにぐるりと平城宮跡歴史公園を巡った。 ★ ←平城宮跡歴史公園散策マップ
アップしなかったが 遺構展示館 や 資料館 も充実していた。
資料館では、平城京から長岡京へ引っ越すとき 建物を分解してみな持って行った、という展示に驚いた。礎石まで持っていったそうだ。
第一次大極殿の東に、基壇しか復元されていないけれど第二次大極殿があるのは自転車で通り過ぎて分かった。
一次、二次、って一体どうして?と疑問に思うと、ちょうどよい解説があった。
なぶんけんブログ「(102)大極殿 なぜ二つある?」
740年から745年のあいだに聖武天皇が平城京から恭仁宮(くにきょう)、難波宮(なにわきょう)、紫香楽宮(しがらきのみや)とつぎつぎに遷都し、また平城京に戻ってきたときに第二次大極殿を建てたらしい。
しかし遷都するまえの第一次大極殿のときも東側には大安殿というのがあったらしく、それぞれの機能を統合させてそこに第二次大極殿を建てたらしい。
長岡京に遷都するのは784年、桓武天皇ね。そして794年に平安京に遷都するわけだ。
朱雀門の北側をほぼ東西に近鉄奈良線が通っている。
朱雀門ひろばを出発して兵部省跡の脇を通って線路を渡り、平城宮跡歴史公園を右回りに巡って、自転車を返しにまた朱雀門ひろばに戻るときに撮った写真↑
向こうにみえるのが朱雀門だ。
平城宮跡資料館のミュージアムショップ で瓦てぬぐい(うすもも)を買った。右側ね。
ちなみに左側は奈良国立博物館のミュージアムショップで買った手ぬぐいで、正倉院の螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)柄だ。博物館では写真を撮れなかったので、ブログに記事はアップしません。
裏側。瓦てぬぐいに描かれているのは、発掘調査で見つかった飛鳥の古代寺院の瓦だそうだ。丸いから軒瓦だろうな
明日香村の石造物その1(鬼の雪隠、鬼の俎、亀石) へつづく
朱雀門ひろばで自転車を借りて、要所要所を見学しながら半時計まわりにぐるりと平城宮跡歴史公園を巡った。 ★ ←平城宮跡歴史公園散策マップ
アップしなかったが 遺構展示館 や 資料館 も充実していた。
資料館では、平城京から長岡京へ引っ越すとき 建物を分解してみな持って行った、という展示に驚いた。礎石まで持っていったそうだ。
第一次大極殿の東に、基壇しか復元されていないけれど第二次大極殿があるのは自転車で通り過ぎて分かった。
一次、二次、って一体どうして?と疑問に思うと、ちょうどよい解説があった。
なぶんけんブログ「(102)大極殿 なぜ二つある?」
740年から745年のあいだに聖武天皇が平城京から恭仁宮(くにきょう)、難波宮(なにわきょう)、紫香楽宮(しがらきのみや)とつぎつぎに遷都し、また平城京に戻ってきたときに第二次大極殿を建てたらしい。
しかし遷都するまえの第一次大極殿のときも東側には大安殿というのがあったらしく、それぞれの機能を統合させてそこに第二次大極殿を建てたらしい。
長岡京に遷都するのは784年、桓武天皇ね。そして794年に平安京に遷都するわけだ。
朱雀門の北側をほぼ東西に近鉄奈良線が通っている。
朱雀門ひろばを出発して兵部省跡の脇を通って線路を渡り、平城宮跡歴史公園を右回りに巡って、自転車を返しにまた朱雀門ひろばに戻るときに撮った写真↑
向こうにみえるのが朱雀門だ。
平城宮跡資料館のミュージアムショップ で瓦てぬぐい(うすもも)を買った。右側ね。
ちなみに左側は奈良国立博物館のミュージアムショップで買った手ぬぐいで、正倉院の螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)柄だ。博物館では写真を撮れなかったので、ブログに記事はアップしません。
裏側。瓦てぬぐいに描かれているのは、発掘調査で見つかった飛鳥の古代寺院の瓦だそうだ。丸いから軒瓦だろうな
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