≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

リチャード・ボナ ライブに行った。

2018-11-23 19:03:26 | 音楽

ブルーノート東京で行われたリチャード・ボナのライブに行った。 HP
今回は11月11日ベースの日を記念してベース・クリニックというのも企画されていて、ボナライブを予約した人たちの中から抽選でそれを観られるという。応募したら通ったので、まず昼の部のクリニック。
これは写真を撮ってよいという。


当選番号がおそかったので、後ろの方の席。いつものライブではよいお値段の席だったりする。
普段はお手頃価格のがぶり寄りで観るクチなので、ちょっと新鮮だったりする。ボックス席も悪くないわね。


ワンドリンクなのだが昼間なので炭酸水。


テーブルのネームプレートはミッシェル・ペトルチアーニ。よい席はちがうわね。

ボナは登場するとまず1曲弾き語りで披露してくれた。
クリニックという体裁なので、さあ皆さん何でも質問してね!という。ベースの天才ボナに聞きたいことがあるベース弾きは多いと思うのだが、テクニックに関する質問ははぐらかされてしまった、というか、自分で考えなさい、という感じだったな。そこを訊きたかった人はちょっと残念だったかもしれない。

どのようなきっかけでベースを始めたのか?という質問があった。ぶっちゃけボナファンなら知ってるでしょ!?と思わなくもなかったのだが、結果的にこれがとてもよい質問だったのだ。

ざっと検索かけるとすぐに上がるウィキペディアのバイオグラフィにもそれはあるのだが、「未開の土地」という単語がひっかかるので、ボナのデビューアルバム『シーンズ・フロム・マイ・ライフ』のライナーノーツからまとめてみる。
リチャード・ボナは1967年にカメルーンにあるミンタという村に生まれた。祖父は腕利きのパーカッショニスト、母はシンガーという音楽一家だった。3才のときに祖父手作りのバラフォンを与えられて音楽を始めた。6才になる頃にはプロとして村の教会や結婚式で歌い演奏するようになった。ミンタは電気も水道もないジャングルで当然楽器を売る店もなかったから、自分の使う楽器は自作するしかなかった。ギターを自作した頃父親と住むために首都ドゥアラに移り本物のギターを手に入れるとクラブで演奏するようになった。

知っていることも本人の口から出る言葉を聞くとずいぶん血の通ったものになる。
ギターとの出会いは印象的だったようだ。旅行者のものを見て自作したのだ。弦が手に入らないので自転車のブレーキのワイヤーをばらして使ったそうだ。それは指が血だらけになる代物だったそうだけど。
12歳のころには夜じゅう朝が来るまで演奏し続ける仕事をして、きつかったそうだ。バンドリーダーがピンハネするし。
そうしたら、ジャズクラブを開くんだけれどジャズはできる?って聞かれて、ギャラが20倍もよいので、ジャズは聞いたこともないのに出来る、と答えたそうだ。なにしろ子供のころから音楽の天才で人の集まる所によばれては演奏して人を楽しませて稼いできたプライドがあるから、できない、なんて言えなかったんだそうだ。そのジャズクラブのオーナーがジャズのレコードをたくさんコレクションしていて聴かせてやる、というのでぱっと手に取ったのがジャコ・パストリアスのレコード、ドナ・リーを聴いてびっくりしたそうだ。
レコードの回転まちがえて早くしてない?いい加減にてきとうにじゃかじゃか弾いているんじゃないか?と。そうしたら、これはチャーリー・パーカーの曲だよ、ってそちらも聴かせてくれて、そうかてきとうに弾いているわけではない、と納得したらしい。
よし!ギターはやめた、おれはベースを弾く!!と決意してギターの弦を2本抜いて練習したんだ、と。
そして、ジャズクラブオープンの際にはかつてこき使ってくれたバンドを逆に従えたさ!って。

弾き方の工夫の話も面白かった。
ふつうエレキベースは右手の人差し指と中指で弦を弾くけれど、ボナはバラフォンを弾いていたから、ばちが2本というのとすごく発想が似ている、と思ったらしい。薬指も使ってみたらどうだろう?これで3本だ。でも4拍子の曲の方が多いからなあ。そうだ、左手でも弦を押さえるときに音を出せば4つだな、等々。
ボナの演奏するときの手の動きはまったくムダがない。バタバタしないですごくエレガントだ。他のベースの名手と見比べてもその差は歴然としている。それはもしかしたらいわゆる正規の教育を受けず自分独自の研鑽を重ねたからかもしれない。凡人なら教えを請うた方がうまくなると思うけど。
とにかく練習しなきゃうまくならない、とボナがいうのだから仕方がない。練習するときには一緒に歌うといい、とも言っていた。

たぶん最も核心だと思う。自分のために音楽をするより人を楽しませるために音楽をするべきだ、と言っていた。自分の満足のために長いソロを演奏したりするのは違う、と。
小さい頃からプロとして人を喜ばすために演奏し続けた彼だからこその確信なんだと思う。それは彼の演奏を聴いていれば納得できる。

もしボナがカメルーンではなくアメリカのニューヨークやニューオーリンズに生まれていたらどうなっていたろう?と思ったこともあったが、むしろ彼の生い立ちがあったからこそオープンマインドでユニークな唯一無二の今の演奏があるんだな、と腑に落ちた。


さて夜の部。

今回はボナのベースのほかにドラムス、キーボード、ギター、トランペットというセットだった。
トランペットのデニス・エルナンデスは前回一緒にやったマンデカン・クバーノから、つまりキューバから。キーボードのミッシェル・ルコックとドラムスのアーチバルト・リゴニエールはフランスから。そういわれると急に二人がおしゃれに見えたりする。ギターのシロ・マンナはイタリアはシチリアから、こわ~い!とボナがいう。国際色豊かだね。
彼らの姿はブルーノートHPのライブリポートにいくつもアップされている。

ぶっちゃけ演目は毎回そうは変わらなかったりするのだが、メンバーが違うしアレンジをちょっと変えたりしているので飽きはしない。ドラマーの若々しい演奏が印象的だった。
また今回、「ドリームランド」という新曲をやってくれた。


頼んだドリンク。あらやだ、前回ブルーノート東京に行ったときと同じだ。


ポスターが暗くて見にくくてすみません。ニンジャポーズのボナ。お茶目!


軒の上って注意してなかった。ジャズバンドのシルエットなんだ。





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