第八章 易性(変易の性)
上善 は水の若し。
水の善は万物を利して 争 わず、 衆人 の悪(にく)む 所 に処れり。
故に道に幾(ちか)し。
居ること地を善とす。
心は淵(えん)なるを善とす。
与(とも)にすること仁を善とす。
言は信を善とす。
政は治を善とす。
事は能を善とす。
動くこと時を善とす。
夫れ唯 争 わず、故に尤(とが)無し。
水は、いかなるものにも利益を与えているが、いかなるものに対しても抵抗を感じさせるようなことはない。
自分の居所を善くするということについて、第一に心掛けなければならないことは、自分のことをなすよりは、自分の周囲をよくすること、自分の周囲の人のためになることをなすべきである。
心が、淵のような、深さと、静かさを感じさせるもとには、常に温かさと、清新さがあるのである。
言葉は、信用することができてこそ、その役目を果たすことができるが、もし、充分に信用することができないならば、言葉の真の役目を果たすことはできない。
さて、政治のことであるが、
国家昏乱して忠臣有り
という言葉がある通り、政治がよく行われないようになると、忠義をつくすものが出ない限り、国は益々乱れてしまうものである。従って、国のためには忠臣などの現われないほうが幸である。
忠臣などの出現を必要としないようにするためには、政治を行う者は、常に事件が大きくならないうちに発見し、これを処理してしまうことが大切である。
また、何事でも上手に処理することのできるのは、その事に対して勝れた技能を備えているということより、適当な時機を見あやまらないようにすることが大切である。それには、すべてのことが大事とならないうちに処理してしまうことが最もよいのである。
動くべき時機を見抜くということは、勝れた洞察力を備えるということよりも、絶えず大事が起こらないうちに見つけて処理するのが最も確かな方法であり、動くべき時をよく見抜いたということになるのである。
何事においても、常に注意を怠らぬようにすることは、水が、何物とも争いを生ぜずして、万物を利することができるように、平穏のうちに務めを果たすことができて、失敗をするとか、紛争を生ずるというようなことはないのである。