第九章 運夷(うんい)(天運の夷道(いどう)に法る)
持して之を盈つるは、其の已(や)むに如かず。
揣(おさ)めて之を 鋭 くするは、長く保つべからず。
金玉 堂に満ちて、之を能く守ること莫(な)し。
富貴にして驕るときは、 自ら其の咎(とが)を遺(のこ)す。
功成り名遂げて、身 退くは天の道なり。
この章は、権力者や、富裕者の身分にあるものは、長くその地位にとどまらないで、早くその地位を去ることが、天の道に適うものであることを説く。
人間は、勤勉によって才能の勝れたものとなることができる。そういう人が時運に乗るときは、社会的に大きな功績を挙げることができ、名誉ある地位につくようになったり、巨万の富や財宝を集めることもできるようになるものである。
ところが、社会の情勢というものは、日に日に変化して行くものであって、いつまでも同じ状態とはとは限らないものである。
道を行う者は、一生が錬磨の日々であり、錬磨には終りということがないはずであるが、人間が備え得られる能力には、年齢的の限度というものがあるのである。
例えば、人間は、五十歳くらいになると、最盛時の五分の四の能力になる、という説があるが、それは、視力、記憶力、筋力等の衰えが年々進む一方であるところから生ずることである。このようなことを考えると、能力を多くつかわなければならない、権力、財力等に大きな責任のかかる地位には長くとどまってはならないのである。
天の道は、第七十三章、第七十七章、第八十一章にも用いられていて、何れも、
天地自然の道は、万物に平等のものであって、特定の人、或は、特定の国や、特定の時代のために、変化するものではないということを明らかにするものである。