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人間は鏡の前に立ち
自分自身が映っているのを、反射されているのを見る
それだけじゃない
彼は鏡の前に立ち
自分の反射を見
そして自分自身が自分の反射を見ているのを見る
それが限りなく続いてゆく
これがために
<自意識>が起こる
これがために
<自我>が生まれる
これがために
人間は現実よりも映像のほうに興味を持つようになる
あなた自身の心を見つめてごらん!
あなたは本当の女よりもポルノ写真のほうに興味を持つ
写真は人間の心をすさまじい力でつかむ
それがゆえに、人間は虚構の中に生きているのだ
そして、<自己知>はフィクションの中では不可能だ
あなたは<映像>よりも
もっと<本物>のほうに興味を持たなくてはならない
<鏡>が壊されなくてはならない
あなたは<わが家>に帰って来なくてはならないのだ
さもなければ、あなたは
どんどんと自分自身から遠ざかるばかりだ
「私は誰か?」というのを誰かに聞くなんて
なんと愚かなことだろう?
どこの誰にそれが答えられる・
内にはいって行きなさい
それが牛の探索だ
自分自身のエネルギーの中にはいって行きなさい
それはそこにある
ちょっとそれを味わってごらん
ちょっとそれと溶け合ってごらん
自我は<多>だ
それは絶対に<一つ>にならない
数えきれないほどたくさんの違った人たちから寄せ集められて
きたのだから
それが<一つ>であり得るはずがない
あなたは<一つ>だ
自我は<多>だ
そして、もし自分が自我の自分だと思うのなら
そのときあなたは狂気の道の上にいる
ひとたびこれを理解したら
あなたは牛の足跡を見ることができる
* * * * *
宗教というのは逃避じゃない
あなたがたの知っている宗教はみな逃避でしかない
しかし、私の話している宗教は逃避じゃない
それは<遭遇>だ
生は遭遇されなければならない
それが何であれ目の前に来るものを
あなたはふか~くのぞき込まなければならない
なぜなら、その同じ深さが
あなたの<自己知>となってゆくのだから
〇牛を認める
“私は鶯の歌を聞く
太陽は暖かく、風はやさしく
岸辺の柳は青々としている
ここに
牛の隠れる余地はない!
どこの画家に
あのどっしりとした頭や
堂々たる二本の角が描けよう?”
・次回に続く・・・・。