千曲川の対岸の長瀬村に上原源五右衛門という庄屋がいた。その庄屋は、学問好きで
寺子屋師匠をする傍ら、石尊の辻をつくって相撲好きな若者の世話にも余念がなかった。
このことを知った太郎吉は、上原源五右衛門方に寄食して学と技を磨いた。
折りしも、江戸相撲の浦風林右衛門一行が地方巡業で上原家を訪れた。
そのとき、太郎吉は、浦風に相撲とりとしての才幹を見込まれ、天明四年(1784)
十七才で出府、江戸相撲に入ることとなった。恵まれた天与の素質に加えて、
熱心に稽古にはげんだ甲斐あって、寛政二年(1790)には関脇に付出され優勝した。
信州・東御市観光協会
ときどきまも
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