昨夜、オンラインでいろいろ調べ物(仕事ではない)している道中
10年に1度あるかどうか!?というほどの驚愕の事実を知ることになりました
そこに行きついた詳細は置いといて
60年代、日本中の少女(時々、少年も)が熱狂したグループ・サウンズ(以下GS)の中でも
ボーカルの歌が上手くて、「狂乱」のステージングは他のGSと比べても抜きんでていたOX(オックス)
わたしもレコードを何枚も買ったし、中1だったか、大阪と奈良のライブにも行った
思い出があるバンド
そのうたうまのボーカルは「野口ヒデト」といい、後に演歌のシンガーになられて「真木ひでと」とお名前を変えてらっしゃいます
その真木ひでとさんはSNSは全くやってらっしゃらないということも昨夜知りましたが
その代わり、自らテキスト打ち込んで、お手持ちの懐かしい多数の画像も惜しみなく掲載されて
ホームページを作成してらっしゃいます
自身のヒストリーを時間軸に添って丁寧に綴られているページは
真木さんのちょっと後を追いかけていた、少し背伸びした当時の自分とも重なり
とても興味深く、拝見しておりました
驚愕の事実を目にしたのは、真木ひでとさんがシンガーとして出発早々の頃です
ページへのリンクを貼らしていただこうかと思ったのですが
真木さんとファンの皆様のコミュニケーションの場でもあるようなので、それは控えて
代わりに、一部をスクショさせていただきました
まず、今はなき大阪の若手ミュージシャンの登竜門でもあったライブハウスの事など
「ナンイチ」というのは「ナンバ一番」の事・・・余談ですが同じ店名のパチ屋さんもあったわねw
「ジャズ喫茶」は今のライブハウスです
西郷さんというのは「西郷輝彦」かしら?西郷さんもナンバ一番にいらしてのですね、知らなかったです
そして真木ひでとさんは、このナンバ一番でバックボーンというバンドのボーカルになり
プロシンガーの一歩を踏み出します
「バックボーン」も知らないのですが「漫画トリオとバックボーン」という名義でも活動していたらしく
あの大阪府知事だった(たこの)横山ノックさんがいた漫画トリオのバックバンドだそうです!(ここでも軽く驚愕w)
そして
いやーーーー驚きました!こんなところでマイおとんが登場するなんて・・・
実名は書かれていませんが、ナンバ一番の前にあった「ペンギン堂」の店長はこの当時マイおとんでした
当時、GSのライブのチケットはなかなか取れなくて、おとんが一肌脱いでくれてOXも見に行けたのに
真木ひでとさんの事は、聞いた記憶はないのです
ファニーズ(後のザ・タイガーズ)のサリー(岸部一徳)とピー(瞳みのる)は度々ペンギン堂に来て
洋楽の新譜を何度も聴いて耳コピして帰った。というのは聞いたことがありました
ザ・タイガースが上京してヒットし始めた頃、ピーのお父上がペンギン堂に
耳コピのお礼を伝えにいらしたと、律儀なご家族だとおとんが言ってたのは記憶にあります
真木さんのヒストリーで驚愕の事実を知ってから、いろいろ思い出すこともあり
今、何かいっぱいいっぱいになってますw
2009年7月の拙ブログのエントリーで
ザ・タイガースのファーストアルバム「ザ・タイガース オン ステージ」予約特典でタイガースに会えるよ
とマイおとんが企画して、本当に5人が来てくれたのは
どんな手を使ったのかわからない。と書いたのですが
ナンバ一番の支配人さんとマイおとんは懇意にされていたのをはっきり思い出しました
なので、OXとゴールデン・カップのステージは袖から見せていただき
楽屋もちょろっと入れた(なにぶん12-3歳のガキンチョなので)
市井の普通のおっさんを真木ひでとさんは、あたかも恩人のように書いてくださって亡父に代わって御礼いたします
普通のおっさんと言いましたが、実は普通には程遠い、破滅型性格の人でした
(人間は大きな幸せを前にすると 急に臆病になる 幸せを勝ち取ることは 不幸に耐えることより勇気がいるの) 出典:下妻物語
を体現してくれた父親でした、まぁ、幸も不幸も、選びたくて選んでいるのだから本人は幸せなのですよね♪
ともあれ、夢を追う若い人たちに手を差し伸べることはおとんも嬉しかったに違いないし
真木ひでとさんのようにずっと喜んでくださっている方がいることがわかり
経年もあって、わたしも少しおとんを受け入れられるようになってます
本当に、真木ひでとさんにお目にかかってお礼と勝手にページ切り撮ってごめんなさいを言いたいです
たぶん、エゴサーチとかはされないでしょうが、いつかこのエントリーを見つけていただけたら嬉しいです
10年に1度あるかどうか!?というほどの驚愕の事実を知ることになりました
そこに行きついた詳細は置いといて
60年代、日本中の少女(時々、少年も)が熱狂したグループ・サウンズ(以下GS)の中でも
ボーカルの歌が上手くて、「狂乱」のステージングは他のGSと比べても抜きんでていたOX(オックス)
わたしもレコードを何枚も買ったし、中1だったか、大阪と奈良のライブにも行った
思い出があるバンド
そのうたうまのボーカルは「野口ヒデト」といい、後に演歌のシンガーになられて「真木ひでと」とお名前を変えてらっしゃいます
その真木ひでとさんはSNSは全くやってらっしゃらないということも昨夜知りましたが
その代わり、自らテキスト打ち込んで、お手持ちの懐かしい多数の画像も惜しみなく掲載されて
ホームページを作成してらっしゃいます
自身のヒストリーを時間軸に添って丁寧に綴られているページは
真木さんのちょっと後を追いかけていた、少し背伸びした当時の自分とも重なり
とても興味深く、拝見しておりました
驚愕の事実を目にしたのは、真木ひでとさんがシンガーとして出発早々の頃です
ページへのリンクを貼らしていただこうかと思ったのですが
真木さんとファンの皆様のコミュニケーションの場でもあるようなので、それは控えて
代わりに、一部をスクショさせていただきました
まず、今はなき大阪の若手ミュージシャンの登竜門でもあったライブハウスの事など
「ナンイチ」というのは「ナンバ一番」の事・・・余談ですが同じ店名のパチ屋さんもあったわねw
「ジャズ喫茶」は今のライブハウスです
西郷さんというのは「西郷輝彦」かしら?西郷さんもナンバ一番にいらしてのですね、知らなかったです
そして真木ひでとさんは、このナンバ一番でバックボーンというバンドのボーカルになり
プロシンガーの一歩を踏み出します
「バックボーン」も知らないのですが「漫画トリオとバックボーン」という名義でも活動していたらしく
あの大阪府知事だった(たこの)横山ノックさんがいた漫画トリオのバックバンドだそうです!(ここでも軽く驚愕w)
そして
いやーーーー驚きました!こんなところでマイおとんが登場するなんて・・・
実名は書かれていませんが、ナンバ一番の前にあった「ペンギン堂」の店長はこの当時マイおとんでした
当時、GSのライブのチケットはなかなか取れなくて、おとんが一肌脱いでくれてOXも見に行けたのに
真木ひでとさんの事は、聞いた記憶はないのです
ファニーズ(後のザ・タイガーズ)のサリー(岸部一徳)とピー(瞳みのる)は度々ペンギン堂に来て
洋楽の新譜を何度も聴いて耳コピして帰った。というのは聞いたことがありました
ザ・タイガースが上京してヒットし始めた頃、ピーのお父上がペンギン堂に
耳コピのお礼を伝えにいらしたと、律儀なご家族だとおとんが言ってたのは記憶にあります
真木さんのヒストリーで驚愕の事実を知ってから、いろいろ思い出すこともあり
今、何かいっぱいいっぱいになってますw
2009年7月の拙ブログのエントリーで
ザ・タイガースのファーストアルバム「ザ・タイガース オン ステージ」予約特典でタイガースに会えるよ
とマイおとんが企画して、本当に5人が来てくれたのは
どんな手を使ったのかわからない。と書いたのですが
ナンバ一番の支配人さんとマイおとんは懇意にされていたのをはっきり思い出しました
なので、OXとゴールデン・カップのステージは袖から見せていただき
楽屋もちょろっと入れた(なにぶん12-3歳のガキンチョなので)
市井の普通のおっさんを真木ひでとさんは、あたかも恩人のように書いてくださって亡父に代わって御礼いたします
普通のおっさんと言いましたが、実は普通には程遠い、破滅型性格の人でした
(人間は大きな幸せを前にすると 急に臆病になる 幸せを勝ち取ることは 不幸に耐えることより勇気がいるの) 出典:下妻物語
を体現してくれた父親でした、まぁ、幸も不幸も、選びたくて選んでいるのだから本人は幸せなのですよね♪
ともあれ、夢を追う若い人たちに手を差し伸べることはおとんも嬉しかったに違いないし
真木ひでとさんのようにずっと喜んでくださっている方がいることがわかり
経年もあって、わたしも少しおとんを受け入れられるようになってます
本当に、真木ひでとさんにお目にかかってお礼と勝手にページ切り撮ってごめんなさいを言いたいです
たぶん、エゴサーチとかはされないでしょうが、いつかこのエントリーを見つけていただけたら嬉しいです
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