わたしの手元に1冊のスクラップブックがあります
15・8・1935 の日付で始まるマッチラベルのコレクションです
当時はマッチや切手の収集は流行だったのでしょう
縦に6枚、横に3枚ずつ等間隔で几帳面に貼られたマッチラベルが全部で94ページ
ほとんどが、京都、大阪にあった店舗、会社のマッチのようです
そういえば、この収集をした男性は、京都の撮影所のカメラマンであったと聞いたことがあります
スクラップブックのページの間には飲食店のメニューが挟んでありました
料金の単価は「円」ではなく「銭」のようです
右下に女性名のサインがあります
カフェーの女給さんが名刺代わりにメニューを渡していたのでしょうか
そして、こちらは鰻の「いづもや」のメニュー
1940年に執筆された「夫婦善哉」にこの「いづもや」が描写されているようですが
面白いことに、メニューの裏が鉄道の時刻表になっています
この頃、メニューは客が持ち帰り、さらに持ち歩くものだったのでしょうかね
さらに、デパートの店内案内も挟まってました
こちらは、心斎橋大丸です、当時から地下は食品売り場
そして1階のメイン品が「煙草」って、いうところになんとも時代を感じます
このスクラップブックはNo.1と書かれていますが
全て埋められNo.2にいきつくことはありませんでした
この数年後、男性は召集され国内での訓練中に突然亡くなります
戦禍が激しくなる前に起こった事だったし、有名なカメラマンだったらしく
新聞等で彼の死が多く語られたとのことでした
手元にはないのですが、この男性のスナップ写真を実家で観た記憶があります
2人の若い男性が並んで立っているのですが、その笑顔の眩しいこと!
幼い頃から面食いだったのですね>わたしww
2人の男性の顔はタイプは違うのですが、どちらも非の打ちどころがないイケメン!
ひとりは(このスクラップブックの作成者)母の従兄、もひとりは長谷川一夫
と母が教えてくれました。。。
15・8・1935 の日付で始まるマッチラベルのコレクションです
当時はマッチや切手の収集は流行だったのでしょう
縦に6枚、横に3枚ずつ等間隔で几帳面に貼られたマッチラベルが全部で94ページ
ほとんどが、京都、大阪にあった店舗、会社のマッチのようです
そういえば、この収集をした男性は、京都の撮影所のカメラマンであったと聞いたことがあります
スクラップブックのページの間には飲食店のメニューが挟んでありました
料金の単価は「円」ではなく「銭」のようです
右下に女性名のサインがあります
カフェーの女給さんが名刺代わりにメニューを渡していたのでしょうか
そして、こちらは鰻の「いづもや」のメニュー
1940年に執筆された「夫婦善哉」にこの「いづもや」が描写されているようですが
面白いことに、メニューの裏が鉄道の時刻表になっています
この頃、メニューは客が持ち帰り、さらに持ち歩くものだったのでしょうかね
さらに、デパートの店内案内も挟まってました
こちらは、心斎橋大丸です、当時から地下は食品売り場
そして1階のメイン品が「煙草」って、いうところになんとも時代を感じます
このスクラップブックはNo.1と書かれていますが
全て埋められNo.2にいきつくことはありませんでした
この数年後、男性は召集され国内での訓練中に突然亡くなります
戦禍が激しくなる前に起こった事だったし、有名なカメラマンだったらしく
新聞等で彼の死が多く語られたとのことでした
手元にはないのですが、この男性のスナップ写真を実家で観た記憶があります
2人の若い男性が並んで立っているのですが、その笑顔の眩しいこと!
幼い頃から面食いだったのですね>わたしww
2人の男性の顔はタイプは違うのですが、どちらも非の打ちどころがないイケメン!
ひとりは(このスクラップブックの作成者)母の従兄、もひとりは長谷川一夫
と母が教えてくれました。。。