てのひらの中の偶然

携帯iphone12、そしてOLYMPUS OM-Dが切り撮った日常の風景

一滴のジェラシーといっぱいの羨望

2008-11-28 | 太陽・雨
日経新聞 こころの玉手箱 歌手 沢田研二パート3
 ~「アイドル10年続ける」と誓う タイガース時代のジージャン~


「1969年12月、僕はザ・タイガースのメンバーでいながらソロ・シングル「君を許す」を出した。」

この年の春に1部メンバーが替わったザ・タイガースは終焉へと向かう。

「どんな形でも続けられればいいと思っていた僕にはショックだった。
そんなこんなで所属事務所からはソロでシングル盤やアルバムを出せと言われ
嫌だと思いながらも出す羽目になってしまった。」

いつも仲間にくっついていただけ、
他のメンバーが「日本一になるんだ」と意気込んいるのを横目に
「そんなの無理に決まってる。とりあえず、今が楽しければいいや」

と思っていたのが当時のジュリー・沢田研二だったというのです。

「アイドルはすぐに消えてしまうからこそアイドルであるのだといわれ、ならば
10年続けてやると心に誓った。」

「いろいろ批判されたりもしたが、その悔しさをエネルギーに
してやってきたところもある。褒め殺されなかっただけ良かったとも思っている。」


若いミュージシャンが目標を持って貪欲に夢を追いかけるのとは程遠い、
冷めた青年のイメージが浮かんできます。
がむしゃらに求めてもほとんどの者が手に入れられないモノが
沢田研二には降り注いでくる、そんなイメージもあります。
冷めてるといってもけして計算に長けてるわけでもないし、
やはり「選ばれた人」・・・そういうところに帰結してしまうのです。

そして、薄いファンのわたしには驚きでした。
初めてのソロシングルが「君をのせて」ではなく「君を許す」なのだと。
調べてみたら、確かにザ・タイガースの「ラブ・ラブ・ラブ」と両A面の「君を許す」は
レコードジャケットの歌詞の部分に「唄 沢田研二」と書かれているらしい。
けど、先日のジュリーDJのラジオ「今日は一日 ジュリー三昧」では
初のソロシングルとして「君をのせて」を紹介していたと思うのですが。


日経の記事には着古したGジャンの写真1枚が載っています。
これは、「君を許す」のジャケット撮影のときに着ていたもので、
背中の内側部分に「ザ・タイガース・沢田研二」のサインがあると書かれています。

何度も洗って、色あせ、ほころび、くたびれる程に味わいも深くなったこのGジャン、
今は自分の体が入らないので
専ら
「おかあちゃん(妻で女優の田中裕子)が着ている」

・・・「君を許す」を出してきたのは、これが言いたかったから?
なんて思ってしまいました。(笑)

40年も前の着古した旦那さまのGジャンを奥様が着てるなんて、なかなかないでしょう。
同じ価値観でもって生きてるご夫婦なんですね。

タイガース時代のジュリーのサインが入った想い出のGジャンを無造作にはおり、
さっそうと出かけていく田中裕子さん、きっと素敵です。
そして、わたしはいっぱい羨ましい。
























にほんブログ村 写真ブログ 携帯写真へ







コメント    この記事についてブログを書く
« 「美しき天然」-沢田研二 | トップ | こころの玉手箱 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

太陽・雨」カテゴリの最新記事