ただ今、ライブツアー中のジュリー・沢田研二でありますが
先週の愛知県芸術劇場でのMCの一部を友人からもれ聞きました。
曰く
「今までの私のファンなら有り得んかったことを、若い子はしよる。
おっきな鞄に、サイン色紙もって、目の前で、写メ撮りおる。
昔やったら、喧嘩やで~。
(相手から、カメラ取り上げ、足で踏みつけるポーズ)」
・・・つまり、若い女性ファンなら、サインをねだっても、写メを撮っても怒らない。
おばちゃん、ばーちゃんファンが大多数を占める中
若いファンが増えてる実感を伝えたくてしょうがない・・・なんと微笑ましいことでしょう。
きっと生物学的にも
「いくつになっても健康で若い異性に興味を惹かれる」というのは真っ当なことなのでしょう。
そこで思い出しました。
わたし、1度だけですが、ジュリーにというかザ・タイガースにサインをしていただいたことがあります。
もちろん、若いというか。。。若すぎる・・・まだ小学生でした。
1967年11月5日この日、ザ・タイガースの初のライブアルバム「THE TIGERS ON STAGE」が発売されました。
当時、大阪心斎橋の小さなレコード店で働いていたわたしの父親が、とんでもない企画を立てました。
そのレコード店で「THE TIGERS ON STAGE」の予約をするとタイガースに会えると・・・。
子供心に「うちのおとんを信じられるはずないやん」と心配しておりましたが、
どういうコネクションを使ったものやら、本当にタイガースの5人が来店
ご近所の喫茶店を貸切りにして「ザ・タイガースとファンの茶話会」なるものが行われました。
記憶に残っているのは、
けして狭くはない喫茶店にギューギュー詰めのおめかししたお姉さま方の潤んだ眼差し。
そんな企画があるとは知らなかったと、店の外で泣き叫んでいるいっぱいの女性。
そして、「あぁ、タイガース来てくれた~おとん恥かかずに済んだ~」という思い。
濃紺のベルベットのスーツを着用したこの世のものとは思われない5人の美しい生き物が入店すると
「きゃ~ジュリー!!!」「ピーピーピー!!」「トッポ~~~!!」もぅぅぅ、何がなんやら・・・
仕切り役のおとんが「静かにしてしてください」と何度怒鳴っても止まなかった嬌声が、
ジュリーが人差し指を唇に当てて「シーーーっ」としただけでピタッ!と止んだのには、感動でした。
「茶話会」はサリーのご挨拶&ライブ盤発売への意気込みのお言葉、
その後、15分ほどファンとの質疑応答
この時、元気に答えてくれたのはピーでした。
おとんに預けてあったスケッチブックに
「ここにサインを書けばいいの?」とわたしにたずねてくれたのもピーでした。
ドラムのイラストを捩ったピーのサインの後に、次々と全員が書いてくれました。
この後、タイガースが奈良でライブをすると知ったわたしは、
どうしても付いて行きたかった!
「付いて行く」というのは言葉のあやで、もちろん一人で電車に乗って行く自信がありました。
しかし、いつもは甘あまのヘナチョコおとんが、この時は強硬に反対したので、叶いませんでした。
そして、この奈良、あやめが池遊園地でのライブは
警備の不手際から押し寄せたファン数十人が怪我をするという事故になり
これをきっかけに、ザ・タイガースの驚異的な人気が大人たちの脅威になり、
若虎たちを苦しい立場に追い込む引き金になったと今ならわかります。
サインをしてくれた彼らは20歳前後の青年とは思えないほど大人びて映りました。
たぶん、とてもとても疲れていたのでしょう。
超多忙を極めた彼らが、おとんの企画にのってくれた理由は今も謎ですが、
タイガースの歴史には語られないけど、こんなこともありました。という想い出話です。
本日の画像は、雨上がり、時計草のつぼみ、ツルに付いていた雨粒です。
先週の愛知県芸術劇場でのMCの一部を友人からもれ聞きました。
曰く
「今までの私のファンなら有り得んかったことを、若い子はしよる。
おっきな鞄に、サイン色紙もって、目の前で、写メ撮りおる。
昔やったら、喧嘩やで~。
(相手から、カメラ取り上げ、足で踏みつけるポーズ)」
・・・つまり、若い女性ファンなら、サインをねだっても、写メを撮っても怒らない。
おばちゃん、ばーちゃんファンが大多数を占める中
若いファンが増えてる実感を伝えたくてしょうがない・・・なんと微笑ましいことでしょう。
きっと生物学的にも
「いくつになっても健康で若い異性に興味を惹かれる」というのは真っ当なことなのでしょう。
そこで思い出しました。
わたし、1度だけですが、ジュリーにというかザ・タイガースにサインをしていただいたことがあります。
もちろん、若いというか。。。若すぎる・・・まだ小学生でした。
1967年11月5日この日、ザ・タイガースの初のライブアルバム「THE TIGERS ON STAGE」が発売されました。
当時、大阪心斎橋の小さなレコード店で働いていたわたしの父親が、とんでもない企画を立てました。
そのレコード店で「THE TIGERS ON STAGE」の予約をするとタイガースに会えると・・・。
子供心に「うちのおとんを信じられるはずないやん」と心配しておりましたが、
どういうコネクションを使ったものやら、本当にタイガースの5人が来店
ご近所の喫茶店を貸切りにして「ザ・タイガースとファンの茶話会」なるものが行われました。
記憶に残っているのは、
けして狭くはない喫茶店にギューギュー詰めのおめかししたお姉さま方の潤んだ眼差し。
そんな企画があるとは知らなかったと、店の外で泣き叫んでいるいっぱいの女性。
そして、「あぁ、タイガース来てくれた~おとん恥かかずに済んだ~」という思い。
濃紺のベルベットのスーツを着用したこの世のものとは思われない5人の美しい生き物が入店すると
「きゃ~ジュリー!!!」「ピーピーピー!!」「トッポ~~~!!」もぅぅぅ、何がなんやら・・・
仕切り役のおとんが「静かにしてしてください」と何度怒鳴っても止まなかった嬌声が、
ジュリーが人差し指を唇に当てて「シーーーっ」としただけでピタッ!と止んだのには、感動でした。
「茶話会」はサリーのご挨拶&ライブ盤発売への意気込みのお言葉、
その後、15分ほどファンとの質疑応答
この時、元気に答えてくれたのはピーでした。
おとんに預けてあったスケッチブックに
「ここにサインを書けばいいの?」とわたしにたずねてくれたのもピーでした。
ドラムのイラストを捩ったピーのサインの後に、次々と全員が書いてくれました。
この後、タイガースが奈良でライブをすると知ったわたしは、
どうしても付いて行きたかった!
「付いて行く」というのは言葉のあやで、もちろん一人で電車に乗って行く自信がありました。
しかし、いつもは甘あまのヘナチョコおとんが、この時は強硬に反対したので、叶いませんでした。
そして、この奈良、あやめが池遊園地でのライブは
警備の不手際から押し寄せたファン数十人が怪我をするという事故になり
これをきっかけに、ザ・タイガースの驚異的な人気が大人たちの脅威になり、
若虎たちを苦しい立場に追い込む引き金になったと今ならわかります。
サインをしてくれた彼らは20歳前後の青年とは思えないほど大人びて映りました。
たぶん、とてもとても疲れていたのでしょう。
超多忙を極めた彼らが、おとんの企画にのってくれた理由は今も謎ですが、
タイガースの歴史には語られないけど、こんなこともありました。という想い出話です。
本日の画像は、雨上がり、時計草のつぼみ、ツルに付いていた雨粒です。
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ありがとうございます。
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あやめ池、ナンバ一番、レコード店も、すでになく
昔、むかしの想い出話です。
paruさんのブログを拝見させていただきました。
マクロビオティックをされているのですね♪
食と健康・・・
地域猫の幸せと同じく大いなる関心ごとのひとつです。
これからも宜しくお願いいたします。
私は関西出身なので、地理がわかるとあんなところにジュリーが~と思って読ませていただきました。
あやめ池は実家が沿線なので、あそこでも歌ったのか~って驚きました。
今はないですもんね。
猫を飼っているので、猫記事も興味深く読ませていただきつつあります。
沢田研二は一人ですが、
ジュリーファンひとりひとりにそれぞれのジュリーが存在するに違いありません。
今のジュリーに魅かれ、過去のジュリーも味わってみる。。。
新鮮な気持ちで様々なジュリーを発見していく喜びを感じられる類さんをわたしは羨ましく思います。
また、娘一と緒にジュリーを楽しめる類さんのお母様も羨ましいな。
ザ・タイガースの頃からのファンとは比べようもなく
お若いファンには、驚くほどの行動力、吸収力、情報収集スキルがあります。
類さんのようファンがいらっしゃることを力強く、頼もしく思います。
今のジュリー、これからのジュリーをご一緒に楽しめると思うと、ほんと嬉しいです。
また、遊びにいらしてくださいね。
こうやってタイプしたためていると、細部までリアルに浮かび上がってきます。
最近のこととなったら、からっきし記憶力が衰えているのに、
多感な時代の記憶って侮れないです。
こちらこそ、銀玉さんのお話をいつも楽しく拝見しています。
先日のおぐしに少々不都合のあるお父様が、見事回復されるお話は、
失礼ながら、大声出して笑ってしまいました~。
当日のスケッチブックも、
レコード店に出入りしていたラッキーで手に入れた貴重なポスターたちも
20代の半ばに、知人に全て差し上げてしまいました。
「ザ・タイガーズは卒業した!」そんな気持ちになった時代があったのです。
こんな年になるまでジュリーファンしてるのにね、我ながら面白いヤツです♪
2日のジュリーの鹿児島コンサートで興奮してきた者です
清志郎さんへの想いも直接聞けたりしてまた少しジュリーに近付けた様に…勝手に感じてきました。
私は、ジュリーの全盛期をいわゆる「懐かしの~」テレビ映像でしか知らない世代です。数年前、スマスマやうたばんに出ている「ジュリー」に惹かれ、母親を無理やり誘い毎年コンサートに行く様になり、東京ドームにも飛行機で出かける程に親子で大ファンになりました。それは新しいアーティストのファンになる感情と同じでした。
いつもコンサートでは、私みたいな数年前にジュリーの魅力を知った若輩者は、ジュリーとファンの「歴史」を肌で感じ、とぉぉっても羨ましいです。
でも
「昔はもっと…」
って話をよく年配の方から聞きますが、その時代を共に重ねていない私は「今の沢田研二」に新鮮な色気、かっこよさ、楽曲の魅力を感じています。そんなまだまだ「お子ちゃまファン」ですが、これからも少しずつ「ジュリー」の魅力を感じて行きたいってあらためて思った昨夜でありました!
長々と失礼しました
こういう話ってそうそう聞けるもんじゃないですね。
そして宝物のような思い出ですよね。
当時のそのスケッチブックとか残ってるのかな?
SUSHIさんは、ご友人の罪まで背負って辛いわね。
rose6986さんは、こぶうどんとやきめし食べても満腹にならないなんて、
よっぽどお腹を空かしていたのでしょうね。
法的には時効になってるといえ、いつまでも「ごめんなさい」の気持ちが消えない、
それはチミたちが、真っ当な人間の証でしょ。
永い年月、苦しかったね。
あのレコード店はすでになく、
マイおとんも逝ってます。
天王寺動物園前の立ち食いうどん屋も、すでに代が変わってます(たぶん)
今度、わたしにおごりなさい、それでチャラにしましょう!
な、な、エエアイディアでしょ、気持ちが軽くなるよ、きっと。♪
こんなうれしいことはありません。
サリー・・・あはは、カッコよかったですよ。
でも、一人だけ、すごく落ち着いて大人びていた感じだったので
サリーファンも比較的おとなし目の方であったのかもしれません。
メンバー全員に贔屓のファンがいるって今ならジャニーズ系など珍しくないかもですが、
当時はGSに限らず、あまりなかった現象でした。
で、その時のサイン
当日、レコード店のスタッフのおにーさんが撮ってくれた沢山のタイガースの写真と一緒に
大切にしていたのですが、十数年後にある方に差し上げてしまいました。
わたし、自分より必要としている方がいると、すぐそんなことしてしまうのですよ。
今は・・・少しだけ惜しかったな~って思います。
生で見た若虎さんたちは、輝いてました。
サリー、タローは、それはもう、カッコよく。
トッポ、ピーは可愛らしく。
ジュリーはひたすらキレイでした。
ところで、HNからお察しするとねこママさんもねこファンなのでしょうか?
ジュリー好き&ねこ好き、共通項が2つもあってうれしいです。
ジュリーネタは時々なのですが、また遊びにいらしてくださいね。
わたしも告白させてください。
お父様とは全然関係ないお店で29年前の夏に
こぶうどんとやきめしを食い逃げしたのは私
です。
誰に?ごめんなさいって言えばいいのでしょう。。。
この場を御借りして新世界、動物園前にある立ち食いうどん屋のおっちゃん。。。ごめん!
あんとき、めっちゃ腹減ってってん。んで、走って逃げて「こんな喰い方あかんわぁ~、全然腹いっぱいにならんわぁ~」って学びました。。。
ごめん、おっちゃん。。。
いまだから告白しますが、
そのお父様の店で、私の友人が34年ほど前に
カセット・テープを万引きしたはずです。
その輩に代わって「ゴメンなさい」と。
店内の熱狂ぶりが伝わってきました!
その時のサインはお宝ですね~!!
>「きゃ~ジュリー!!!」「ピーピーピー!!」「トッポ~~~!!」
…やはり「サリー!」じゃないんですね。
昔のバンドは、演奏の場がライブハウスだけじゃなくて、キャバレーもありなんですね。
だから余計に「年端もいかない少女がバンドを見に行くなんて、けしからん!!」
な風潮だったのでしょうか?
お父様も、なんという素晴らしい企画をされたことか!
また、rose6986様のおかー様&叔母様も貴重な経験をされているのですね。
ああ、びっくりびっくり
こんなお話を伺うと、やっぱりジュリーの故郷は関西なんだな~~って思います。
ジュリーはタイガースが売れる前の頃の話になると、
「若さとルックスではいける」と言うような発言をよくされています。
きっと、当時でははっきり目立つほどの若いバンドだったのでしょうね。
ああ、生で見てみたかった。
私もジュリーに「シ~~」ってしてもらいたいわ。
わたしは、ナンバ一番のステージは他のGSのみ、しかもステージの袖からです。
確かに、ナンバ一番の入り口のウインドウに飾られていた出演者の写真、ファニーズ以前はおっさんバンドばかりだった記憶があります。
ファニーズ時代のサリー、ピーは頻繁に洋楽レコードを聴くためにおとんのいたレコード店にきていたようですし、
おとんはナンバ一番の支配人さんと懇意にしていたようなので、
そんなコネクションでタイガースに来てもらえたのかもしれません。
あぁ、今、記憶が蘇った!
「茶話会」が開催された喫茶店は「古城」といいました。
今度、おかー様&叔母様に聞いてみてください。
ひょっとしたら、あの大騒ぎの中にいらしたのではないかしら?
だったら愉快ですね♪
そんな不良姉妹が、めっちゃ短かったファニーズのLIVEを未だに自慢げに話しよります。叔母曰く、「ものすごぉ~垢抜けてた」と。
で、母曰く「若っかいなぁ~」と。
色々、後追いで聞くとキャバレーに生バンドが当たり前の時代でしたから、ナンバ一番の出演者も、みんな「オッサン臭かった」らしいです、ゲラゲラ♪
今のジュリーが若い子を見る目と同様、ファニーズの頃は母や叔母世代がジュリーを「若っかいな~」と、見てた事を想像する度に、微笑んでしまう私なのです♪