先日、卒業高校の同窓会報が郵送されてきた。 その中に、クリニックに通院されているTさん(女性)の写真が掲載されていた。 丁度、その 3~4日後に診察に来られたので、「 Tさん、同窓会報に載ってましたね 」。 「 先生、暫く忙しくて疲れました。 毎年、同窓会を開いていて、私は毎回幹事をしています」 と言われた。「 そうですか、僕は32回卒業ですがTさんは?」。 「 私は3回卒業です 」。大先輩である。 他にもOさん(男性)、Uさん(男性)、Kさん(男性)を始め、大先輩が患者さんとして何人もお越しになられている。 10年ほど前には英語担当の恩師がカテーテル検査を受けにお越しになられた。「 毎年の同窓会って凄いですね 」。 「 どんどん人数が減っていきます。いつまでできるか・・・」。 「 そういえば私の同期の同窓会も数年前にあって、来年還暦祝いの同窓会をするとか言ってました。」 当時460人の同級生(男女共学)で毎年東大、京大、阪大、国公立医学部を合わせて130~140人ほど輩出していた。皆、凄かったな~と覚えている。 残念ながら今では中高一貫の私立学校に押され、その面影すらなくなってしまった。 高校時代といえば、思い出の一つとしてインベーダーゲーム(スペースインベーダー)がある。 もう、40年ほど前になるのだが ゲームセンターや喫茶店で100円硬貨を投入して侵略してくるインベーダーを目掛けて撃ち落とす単純なゲームである。 名古屋撃ちとか、途中で現れるUFOを侵略してくるインベーダーの隙間をぬって23発目、その後は15発目で撃ち落とし高得点を競うなどちょっとした技があって、腕を上げれば 100円で1時間ほど繰り返し遊べるといったシューティングゲームである。 高校は堺東駅の東側 5~6 分のところにあって、クラブ活動のない放課後に、駅西側の銀座商店街のゲームセンターに寄っては友人と競っていた。時には、授業を抜け出してゲームセンターに行ったこともあったが、こんな時は後で担任教師から注意されるのも面倒と考え、自分の机といすを隣の書道室に運んで存在を無くして行くことにしていた。 残された同級生は空間を詰めて協力してくれた(笑)。 定期試験が終わる当日朝には、話のわかる父親が100円玉を20枚ほどくれ、友人と一緒に試験が終わって駆け込んだことも懐かしい。 インフルエンザ(当時は流感)が流行ったときは、あと一人休めば学級閉鎖というときに、自分が職員室へ行って発熱(仮病)を申告して早退。 学級閉鎖となり、友人とそのままゲームセンターに行ったこともあった。 今の時代ではあり得ないことなのかもしれないが、昭和の古き良き時代の一幕であった。 今、このゲームがあれば、100円でどれくらいの時間持たせることができるだろうか。