歳を重ねるごとに英会話に対するコンプレックスが増してくる。数年に一度の海外旅行ぐらいでしか直接外国人と接する機会はなく、クリニックに外国人が受診されることもなく、全く日常では無用の英会話。しかし、死ぬまでには外国人と対等に英語で会話をしてみたいと憧れるのであるが、この歳になってもう無理だと感じるようになってきた。受験勉強の為、人一倍英単語を覚えたり、問題集を解いたりしたことが全く意味のないことであることの情けなさを感じている。これなら、中学時代に戻って問題集など解くのでなく、毎日手ぶらで英会話教室に行ってた方が遥かに良かったと感じている。ネイティブでもない日本人英語教師の発音された単語や文の連呼を強要されたり、発音が合ってもいない英語教科書の朗読をしたり、何をやっていたのか。さも、外国人が見れば笑ってしまうような光景であったはずであるが、当時は真面目に教師も生徒も向き合って授業をやっていた。これまでの人生において、色々なことに対し 努力し成就してきたが、この件だけは凄く後悔している。文章は読んで理解できても、会話は全く成り立たない。海外旅行をした折、相手の言っていることが全く聴き取れない(聞こえない)。耳鼻科でも行って診てもらえば多少はよくなるのか(笑)と嘆きたいほどである。やはり、言語というのは常日頃使っていなければ覚えても意味がなく、またスポーツや音楽のようにセンスも必要であるように感じる。さほど勉強もしていなかった我が娘たちが、そこそこ相手の言っていることを聴き取って、私に通訳してくれる時は、もう人生は終わったかとがっかりする老いた人間と感じる瞬間である。国語が大の苦手であった私は、高校時代には毎朝、トイレの壁に張った単語集を覚えるまで出てくることもなく、覚えればまた新しい単語集を書いた張り紙をし、夜に勉強が終わって床につけば、眼をつぶるまでは天井に張った英単語を見つめる毎日だった。確かに、英語の点数はまずまずであったが、何をしていたのか悲しくなる。海外旅行をする時は、大体のパターンがあるので、こちらからはそこそこ質問はできるのだが、それに対する相手の答えが聴きとれない。単語や短い文で答えてくれればいい質問にも、長々と早口でまくしたてられるものだから頭の中は ??? だらけ。 もう無理と諦めかけていた昨年、久しぶりにハワイに行った時、友人医師から携帯用の翻訳機(ポケトーク)が凄いと勧められ、疑いを持ちつつ購入して試してみた。・・・ これは 凄い!! 目から鱗が落ちる思いを味わった。こちらの言っていることも相手は十分理解を示してくれるし、相手が長々と話してくる会話も納得できる翻訳をし、かえって下手な英語で質問されるより、現地の人も有難がっている表情にも見えた。そうとはいえ、やはり自力での会話に対する憧れは捨てきれないが、最早、翻訳機のさらなる進化を待つ方が確実で早いと納得してしまう今日この頃である。コロナ感染症がいつ落ち着くのか、それまで勉強を続けるか、翻訳機の更なるバージョンアップを期待するのか・・・。凄い時代に生きていることに驚くばかりである。