ずっと猫の子供や孫と暮らし誰もいなくなった今
本当に誰もいないんだなぁと実感しています。
ワタシには人間の子供がいませんので本当に猫たちは人間と同じか
それ以上に愛おしいワタシの家族でひとり見送る度に
自分の体の一部が欠けていくような思いを抱えながら
『まだワタシにはこのコがいる』と思っていられたのに
誰もいなくなって本当にからっぽになったそんな感じです。
漫画に夫(おバカ)の話をたまに描いていましたが
実際の夫はただ天然な男ではなく、猫を子供と言いながら
なにも面倒はみない、自分の都合で可愛がりたい時だけ
猫の気持ちを考えず振り回す、自分より猫を優先できない男でした。
動物に対して優しい気持ちはありますがどこかずれていて
動物愛護や虐待に人一倍敏感で怒りも覚える割には
自分のウチの子供にちゃんとできていない。そんな人です。
一緒にいて常日頃人としてどうしても許せない言動もあり
しばらく実家にふくとまめを連れて別居期間もありました。
少しでも反省して欲しかったし自分を見つめ直して欲しかったけど
ひとりになり相手がいなくなるとSNSなどで不特定多数の人間と関わり
却って悪い方向に向かってしまった感じがありました。
一度家に戻りましたが昨年大晦日前に実家にふくとまめを連れ
帰った時にまめが眠れず鳴き続けたお話を以前描きましたが
あの時、眠れずに辛そうにしているまめを心配もせず
SNSで知らん人とやりとりに夢中になっている夫
ワタシの実家で高齢の父がいるのに“お客さん気分”でいる夫
それに対して自分のできることは自分でするワタシ達家族に不満を募らせ
まめを病院に連れて行った後さっさと自宅に帰っていった夫。
実家に忘れ物をして用件だけ話し、“外まで持って来い”という夫を無視していたら
大雪でスタックしていた。口から出たのはまめを心配するではなく『充電器よこせ』
ぶち切れたワタシは『充電器の前にまめの心配するのが先じゃないのl?お前は本当に
自分のことしか考えてない最低な人間だな。死ぬまでそこで埋まってろ!』と
充電器を雪の中に投げ捨て家の中に入っていった。
父に対してもなにも告げず勝手に帰った不義理も詫びずワタシと妹と憤慨していました。
そこから父にも侘びワタシにも自分が悪かったと謝罪が後にありましたが
ふたりの不調やワタシの喘息も悪化したりで動物病院から近い実家でお盆過ぎまで
家に帰ることはありませんした。
7月にまめの体調の異変が起きてから心配した夫が実家に来るようになり
結局まめは家に戻ることなく実家で看取ることとなりました。
話をして『かわいいなら娘や孫というならしんきゃいけないことがある。
自分の子供なら自分のことより優先して何をしなきゃいけないのか、ちゃんと考えて
自分がかわいがりたいだけじゃだめなんだよ。猫は自分でご飯もトイレもお薬も
なにもできないんだよ?』
本当は家に帰らず実家で・・・とという思いもありましたが
最後のチャンスだなと思いふくを連れて家に戻りました。
薬やシリンジの給餌も下手くそながらしてはくれましたが
やはり自分の感情でふくのことより自分の欲求を優先する態度にイライラもして
言い合いになることも多く、そんな中にふくの体調の急変。
ワタシはがんばってくれていたふくに更なるストレスを与えてしまったことに
自分の愚かさを呪いました。
ふくがなくなりふくの火葬までの間ワタシはずっと“今までもずっと事あるごと言ってきたけど
こいつにされた仕打ちをすべてぶちまけてもう二度と戻らない”と絶対に許さないと決めていました。
ふくの火葬が始まって少しづつワタシの恨みに似た凝り固まっていた気持ちが和らいでいくのを感じた。
ワタシは結婚前から体調に不調があり、今も原因不明の全身の痛みに苦しんでいます。
医者から“その原因はなんなのかあなたがよくわかっているはずです”と言われてきました。
そうです、夫のことです。口にしてはいけないことを簡単に口にして人を傷つける、同じことを
何度も繰り返す。やった方はわすれてもされた方は忘れませんから。
でもワタシはふくが『ママ、いつまでもそれを抱えているとママが楽なれないの。だからね
嫌な悲しい辛い思いはワタシが持って行くからね』って言っているように思ったのです。
話できていたようで結局前にされたことやいつまでも変わらないことを
お互いに責め合ってただけで何も解決しなかった自分達だったことに気がつきました。
収骨して改めてちゃんと話をした時に夫が
『ふくがいなくなったから俺は捨てられるんだなって思ってた』と言いました。
ワタシもそのつもりだった。もう二度と顔も見たくないと思っていたと。
でもふくが空に昇っている間腹立たしい気持ちも恨んでいた気持ちも嘘みたいに
なくなっていったこと。ふくがワタシに楽になってと言ってくれたみたいなんだと。
いつまでも前にされたことを恨んだりして抱えていても自分が辛いだけで
何もいいことはないと気がついたから、今までがどうことかじゃなく
『これからどうしたいかを』ちゃんと話そうよと。
何もなくなってしまったワタシ達がふたりになってやっとまともな話ができたのです。
自分たちの歳のことなども考えこれから先20年も生きるコとは暮らせないと
思っていたので、ふくとまめを見送ったらもう動物を家族には迎えないと
決めていたのですが、改めてその話をした時に夫が憤慨していたので再度なぜかを話しました。
今までワタシは猫を猫というよりひとりの人間のように意思を尊重してきたし
自分がされて嫌なことをしないように自分より優先して考えるようにしていました。
夫はかわいいといいながらあれこれ理由をつけては面倒もケアもしてこなかった。
子供と同じというならワタシとおなじじゃなくても『仕事してたらお前が面倒見るのは当たり前』という
今までのような気持ちでいるあなたとはもう新しいコを迎えるつもりはないんだよと言いました。
かわいがりたいだけの身勝手な気持ちで一緒に暮らすならワタシは迎えないと。
ワタシはもう自分の一部を欠けるようなそんな思いに耐えられないんだよ。と
10月16日のことです。ぽっかり穴が空いた気持ちの中、実家に向かう途中路上に鳥のようなモノが
横たわっているのを発見。亡くなっているなら他の車に轢かれたりしたように
移動させて市に回収依頼をしようと他の方と一緒に鳥をシートにくるみ
見ると左の翼の付け根が折れて出血していた。車?電柱?に接触した?
電話をしようとしていたら夫が『まだ生きてるぞ!』と言うので
ふくがお世話になっていた病院が野生動物を搬送してもよい病院になっていたことから
そこに見たことろ鳶に思えるその鳥を運び込み、鳥獣専門ではないので止血と傷からの
感染予防の処置をしていただき診察してもらえる病院や野生動物を受け入れてくれるところを
あちこち探して電話していましたが昨今の鳥インフルエンザの影響で鳥を扱った病院ではNO。
環境局からは希少動物以外は放鳥してくださいとの言葉とたらい回し的扱いしかされず。
野生動物ですから自然の中で起きたことなら仕方のないことでしょう。
口は空きっぱなしほぼ動かずまばたきだけしている状態でした
でも、人のせいで傷ついて瀕死でも希少種ではないから寒空に放せという言葉に
理不尽で怒りしか感じず、どうにか怪我の治療と保護してもえる場所を探さねばと
考えましたが鳶の内臓などの損傷もわからない状態で移動もさせられず
『見取りでいいならウチで預かって様子をみましょう』とおっしゃってくださったので
お任せして引き続き治療してもらえるところを探すことにしました。
翌日、もう旅立ってしまったかなどうしてるかなと預けた病院に電話したところ
昨日より状態が良くなって口も閉じ、大丈夫な方の羽を動かしたりしているとのこと。
でも壊死が進むと身体に影響があるので早く治療先を見つけないとと言われました。
鳶は幸い少しずつ元気になり、起き上がってダンボールの端にとまったり
与えられたごはんを食べられるまでになりましたが、多くの患畜さんが訪れる病院に
このまま預かっていただくわけにもいかず早く治療先を見つけねばなりません。
はじめの病院から診察していただける病院に輸送中の鳶
夫がSNSの知り合いでカラス保存会の方がいてボランティアでカラスの診察をしてくれる
獣医師さんがいると教えてもらったとのことで、元の病院からそちらの病院に連れていきました。
レントゲンの結果は『開放骨折』肩の付け根の先からポッキリ折れていて骨の内部も乾燥している。
感染症予防の抗生剤と羽が落ちないように保定して巻いてあるだけだったので
このままでは壊死が進んでしまう。こちらの先生達も中型以上の鳥の断翼手術の経験がなく
手術は行えないので、知り合いや色々な施設に連絡をとってくださりましたがやはり
鳥インフルエンザの影響もあり野鳥保護施設、動物園なども受け入れできないとの返答。
こちらの先生に鳶の診察の際カルテを作るからと『このこの名前どうする?』と聞かれ
情がわくから名前なんてつけずにいようと思っていたワタシと夫は『!?』
でも『アビ』という名前が浮かんだのでアビにしました。
帰りにはアビにちょうどよさそうな止まり木になりそうな枝もいただきました。
ぴったりな止まり木にとまるアビ
ワタシも旭山動物園に連絡し獣医師さんとお話をしましたが鳥インフルエンザが収束するまで
野鳥の受け入れはできないと。でも、もし片方の翼がなくなっても元気でいて鳥インフルエンザが
収束したら受け入れは可能とのとの言葉をいただき、最後の頼みで釧路にある『猛禽類研究所』に
連絡をして事情を説明すると連れてきてくださるなら受け入れしますとの返事が!
札幌からは片道6時間かかる移動距離。
今のアビならきっと持ちこたえてくれる。連れて行ける日まで家で面倒をみることになりました。
鳶のごはんなんて何をあげたらよいのかもわからず動物病院で教えてもらった鳥肉・鳥の内臓系
を買ってきて食べやすい大きさに切り分け一日120~160gを数回に分けて与えていました。
トビの顔をまじまじと見つめたのもはじめてでしたが、なんともかわいらしい顔なんです。
このコの鳶生でこの一週間は痛くて怖くて長い時間だったでしょう。
こんな大怪我を負っているのにこのコは生きたいと思ってがんばっている。
なんとしても助けたい。できれば元のように空を羽ばたかせてやりたいけど
それが叶わくても安心して暮らせる場所を見つけてあげなきゃいけない。
このコが諦めていないのにワタシが諦めるわけにいかない。
どうか、無事に釧路に着いて無事に手術がおわりますように。
10月22日、釧路に向かう道中大型犬用のケージに止まり木を固定して後部座席に乗せていましたが
Gがかかったりして不安定なので片翼でバランスもとりずらく何度もこけて
ひっくり返ったりするアビをなおしてやったりしながら『猛禽類研究所』に到着。
まずは鳥インフルエンザの判定をするためPCR検査をしてもらう。
人間のように口の粘膜と肛門に例の長い綿棒のようなものを入れ調べます。
これで『陽性』と判定されると診察も受けられず『殺処分』・・・
結果が出るまで30分という時間が途方もなく長く感じました。
室内に入れないケージのままのアビの傍でどうか陰性でありますようにと祈りました。
結果は『陰性』( ノД`)良かった。そしてようやく診察です。
やはり骨の内部も壊死があり翼部分は壊死が進んでおり
断翼、骨の壊死部分を切除する処置が必要との診断でした。
手術が終わり術後の経過をみて連絡をいただき迎えに来るになりました。
何もかも初めてのことで何も分からず早くきちんと診てくださるところにと
気が気じゃなかったのでようやく安心してお任せできるところに預けられ
ワタシも夫もほっとしました。
長距離移動なので釧路に一泊し、そのよるやっとワタシは
ふくがなくなって以来“おいしい”と思って食事が食べられたのでした。
続きます
本日も訪問いただきありがとうございました