7月31日にまめを見送り、喪失感によるふくの体調の変化を注意していましたが
食欲も衰えることなくさびしそうではあるものの穏やかに過ごしていました。
却ってワタシの方がまだキツく未だまめに関係するものをまともに見られない
日々を送っていたそんな矢先。
9月30日の寝てるとこを撮影されて起きたふく
高齢でもうワクチンは接種できなかったので鼻水は年中でしたが
今年初めに鼻水とくしゃみによる鼻血を発症して
常備薬として止血剤と目薬で治まっていたのですが
9月中頃からくしゃみが頻発するに伴い鼻血も頻発。
そしてストレスからくる膀胱炎もたまに起きていましたが
どうも膀胱炎ではないのにワタシのふとんで粗相をしていて
気になっていたのですが、10月に入りおしっこだけではなく
なんか様子がおかしく10月6日が義母の三周忌でお留守番をさせるために
実家から近いかかりつけの病院に預ける際ふくの状態を説明したところ
ただの止血剤ではなく抗生剤入りの止血剤を一週間服用させて
様子をみましょうと言われ、本当は診察を受けて・・・と思っていましたが
急を要しない感じということで服用させて様子をみることになりました。
実家にいた時は自分でパウチやカリカリも食べていました
実は昨年暮れからまめの初七日が済むまでワタシの実家で過ごしていたのですが
実家から自宅に戻りはじめはカリカリも食べていましたが
腎臓治療用のサプリを混ぜたペーストをシリンジで晩に与えていて
自分であまり食べない感じの時は低リン・高カロリーのペーストを
日に数回給餌していたのです。
毎月検診で8月に上がってしまっていたBUNとクレアチニンを下げる為
朝晩サプリ入のペーストをあたえることになりました。
プラス体重維持と腎臓のためにキドナも与えていたところ
効果があり、9月20日の検診時には元の数値に戻りこのまま上げることなくケアできて
穏やかに過ごさせてあげられたらいいなぁと思っていたので
キドナの給餌回数を増やし、サプリもキドナに混ぜて与え
カロリーを増やすようにしていて毛艶もよくなり調子は良くなっているように見えていました。
直接の原因になったかはわかりませんが、おバカと一緒にいて
しょっちゅう衝突して言い合い怒鳴り合いをしていて
ふくが粗相してしまったのも三回忌に病院に連れて行く前の日でした。
そのうちトイレで用を足せなくなり、足もふらつき
どうしてもおかしいので10月10日病院で血液検査をすると
まめの時と同じくBUNは計を振り切り、クレアチニンも上昇していて
脱水も進み静脈点滴と投薬で改善を試みる半日入院を即日から始めることに。
点滴で多少の水分は補給されても自分で水を摂ろうとできなくて
シリンジで水や給餌をしていましたが衰弱が目に見えて進んでいて
まめの時治療の効果がなくただ弱っていく姿が重なりました。
最後の病院に入るワタシに抱えられたふく
10月11日から腎臓の値を下げる投薬も始まりましたが衰弱は進み
給餌も回数できなくなってこれは決断するしかないと思いました。
翌日も半日預けて帰宅の際血液検査の予定でしたが、ワタシはこれ以上
病院で治療を続けても苦しみを与えるだけでかわいそうだから
病院に電話をして状態の説明をして先生の意見を聞いて
自宅で過ごさせてあげたいとおバカに言いましたが連れて行くと聞かない。
どうみても改善している様子に見えず移動や病院にいるストレス
静脈に管を通されている苦痛から解放させてあげたかった。
病院で診察を始めた先生も『血液検査で仮に改善があったとしても
今治療どうこうの状態じゃないです。』と言われたのに検査結果をみたいと
血管の細い腕に針を刺し出ない苦痛を与えてまで確かめないと納得できなかった男。
結果更に値は上昇していて『効果がない以上治療は苦痛を与えるだけです。
自宅でなるべくストレスのない程度にケアしてあげるのがふくちゃんにはしあわせですよ』と
ワタシと先生の意見は一致していました。
治療をやめる=命の期限が確定される
ふくが辛い治療を乗り越えて改善するなら堪えてお願いしたでしょう。
まめの時に“この状態になったら無理なんだ”ということ学んだので
もう覚悟するしかないと残りの時間をできる限りストレスなく
穏やかに過ごさせてあげることしかできないんだと、またふくにまで
同じ思いをさせてしまったのだと申し訳なさしかありませんでした。
10月12日自宅に帰り大好きなひなたぼっこをするふく
ひなたぼっこするふくとワタシ
前日からとても天気がよかったのでひなたぼっこをさせてあげたかったけど
病院にいたので今日は帰ったらさせてあげようと
ベランダの日当たりの良いところに寝かせてあげて
気持ちよさそうにしているふくを見守りました。
給餌しても飲み込みができなくなってきていて体力も消耗するばかりでも
無理に与える訳にもいかないので薄めたキドナを与えましたが1mlがやっと。
水分もふくませても口の端から出てししまい上手く飲み込めません。
体温維持のために湯たんぽやカイロをあて熱くなりすぎないように
場所を変えたり、床ずれしないよう寝姿勢を左右変えたり
乾いてしまう口や鼻をしめらせたりしながら看ていました。
ほぼ起きて看ていましたが前々日から以前なら寝てなくてもうたた寝なんかしなかったのに
途中で眠くて眠くて仕方がなく2時間くらいではっとして起きるような感じだったので
この日も1時間半ほど仮眠をとりましたが仮眠をとってる間に何か起きたら・・・が怖くて。
末期の状態なのに呼吸は安定していて一見すやすや眠っているようにしか
みえませんでしたが仮眠前から少しづつ呼吸が早くなっているはわかりました。
それでも苦しそうなところを見せず横たわるふく。だけど確実に衰弱している。
無力でそばにいることしかできないのに何を眠くなってるんだ!と立ち上がったり
体を動かしたりしても異常な眠さで意識がなくなりそうで。
朝7時におバカを起こし1時間だけ仮眠をとろうと眠り出して30分
起こされ行ってみると痙攣が始まっていて、ついにきてしまったのかと
思わず抱き上げて『がんばったね。苦しいのにごめんね、ありがとね』と言って
涙が止まらなかった。『呼吸がわからないからおろせ!』といわれたけど
この期に及んで呼吸?何言ってんのこいつ。と怒りがこみ上げる。
仕方なく床におろして見守り続ける。
まめも『まだここにいたいよん』と2度目の脚が脚が伸びた後呼吸が止まりましたが
ふくは何度も抗い、止まった?と思った後もう一度ぴーんと脚が伸びて停止しました。
きっと相当苦しかっただろうにそれをワタシ達にみせまいとしてくれていたのでしょう。
昨年同じ様な状態になって回復してくれたふくはこの一年薬や点滴・サプリなど
どんどん種類も量も増えても耐えてくれていました。
まめがなくなった後もさびしく辛かったのにきっとまだ一緒にいてあげたい一緒にいたいと
ちいさな体で想像できないくらいの苦痛に耐えていたのでしょう。
そして誕生日の11月1日はむかえられませんでしたが、正確な誕生日は不明なので
すでに20歳になっていたに違いなく、20歳に見えないかわいらしいまま
元気そうに振舞ってくれたのでしょう。
11年ずっとワタシや家族に笑顔と愛情としあわせを与えてくれた。
かわいい娘のまめにも会わせてくれた
毎日一緒に猫同士のようにふとんで枕で一緒に眠ってくれた
調子の悪い時はいつも寄り添ってくれた
猫なのに他者を気遣えるやさしい、そして強い娘でした。
看病中ワタシが眠くて仕方がなかったのは一緒に寝て欲しかったのか
ワタシに苦しむ姿を見せたくなかったのか
わかりませんが、最期まで抗って一緒にいたいと闘っていた姿を忘れません。
2023年10月13日午前8時4分 ふくは永眠いたしました
ふくの祭壇
お骨になったふくとゆき兎さんからのお花
本日10月14日13時ふくはキレイなお骨になりました。
虫歯で抜いた左上下犬歯以外何一つ欠けることのない
キレイなお骨でまめの時と同じく肩甲骨もキレイに残っていました。
少し気持ちが落ち着いてまめのことを、まめの容れ物をアップしようと思っていた矢先
ふくを亡くし、かなりキツいです。
報告として長くなりましたがお知らせしましたがこのブログの主役が3人とも旅立ってしまい
そろそろ終幕に向けて行こうと考えております。
まめやふくのこと、容れ物のことはアップしたいと思っております。
ガブ・ふく・まめを愛してくださった皆様本当にありがとうございました。
本日も訪問いただきありがとうございます
食欲も衰えることなくさびしそうではあるものの穏やかに過ごしていました。
却ってワタシの方がまだキツく未だまめに関係するものをまともに見られない
日々を送っていたそんな矢先。
9月30日の寝てるとこを撮影されて起きたふく
高齢でもうワクチンは接種できなかったので鼻水は年中でしたが
今年初めに鼻水とくしゃみによる鼻血を発症して
常備薬として止血剤と目薬で治まっていたのですが
9月中頃からくしゃみが頻発するに伴い鼻血も頻発。
そしてストレスからくる膀胱炎もたまに起きていましたが
どうも膀胱炎ではないのにワタシのふとんで粗相をしていて
気になっていたのですが、10月に入りおしっこだけではなく
なんか様子がおかしく10月6日が義母の三周忌でお留守番をさせるために
実家から近いかかりつけの病院に預ける際ふくの状態を説明したところ
ただの止血剤ではなく抗生剤入りの止血剤を一週間服用させて
様子をみましょうと言われ、本当は診察を受けて・・・と思っていましたが
急を要しない感じということで服用させて様子をみることになりました。
実家にいた時は自分でパウチやカリカリも食べていました
実は昨年暮れからまめの初七日が済むまでワタシの実家で過ごしていたのですが
実家から自宅に戻りはじめはカリカリも食べていましたが
腎臓治療用のサプリを混ぜたペーストをシリンジで晩に与えていて
自分であまり食べない感じの時は低リン・高カロリーのペーストを
日に数回給餌していたのです。
毎月検診で8月に上がってしまっていたBUNとクレアチニンを下げる為
朝晩サプリ入のペーストをあたえることになりました。
プラス体重維持と腎臓のためにキドナも与えていたところ
効果があり、9月20日の検診時には元の数値に戻りこのまま上げることなくケアできて
穏やかに過ごさせてあげられたらいいなぁと思っていたので
キドナの給餌回数を増やし、サプリもキドナに混ぜて与え
カロリーを増やすようにしていて毛艶もよくなり調子は良くなっているように見えていました。
直接の原因になったかはわかりませんが、おバカと一緒にいて
しょっちゅう衝突して言い合い怒鳴り合いをしていて
ふくが粗相してしまったのも三回忌に病院に連れて行く前の日でした。
そのうちトイレで用を足せなくなり、足もふらつき
どうしてもおかしいので10月10日病院で血液検査をすると
まめの時と同じくBUNは計を振り切り、クレアチニンも上昇していて
脱水も進み静脈点滴と投薬で改善を試みる半日入院を即日から始めることに。
点滴で多少の水分は補給されても自分で水を摂ろうとできなくて
シリンジで水や給餌をしていましたが衰弱が目に見えて進んでいて
まめの時治療の効果がなくただ弱っていく姿が重なりました。
最後の病院に入るワタシに抱えられたふく
10月11日から腎臓の値を下げる投薬も始まりましたが衰弱は進み
給餌も回数できなくなってこれは決断するしかないと思いました。
翌日も半日預けて帰宅の際血液検査の予定でしたが、ワタシはこれ以上
病院で治療を続けても苦しみを与えるだけでかわいそうだから
病院に電話をして状態の説明をして先生の意見を聞いて
自宅で過ごさせてあげたいとおバカに言いましたが連れて行くと聞かない。
どうみても改善している様子に見えず移動や病院にいるストレス
静脈に管を通されている苦痛から解放させてあげたかった。
病院で診察を始めた先生も『血液検査で仮に改善があったとしても
今治療どうこうの状態じゃないです。』と言われたのに検査結果をみたいと
血管の細い腕に針を刺し出ない苦痛を与えてまで確かめないと納得できなかった男。
結果更に値は上昇していて『効果がない以上治療は苦痛を与えるだけです。
自宅でなるべくストレスのない程度にケアしてあげるのがふくちゃんにはしあわせですよ』と
ワタシと先生の意見は一致していました。
治療をやめる=命の期限が確定される
ふくが辛い治療を乗り越えて改善するなら堪えてお願いしたでしょう。
まめの時に“この状態になったら無理なんだ”ということ学んだので
もう覚悟するしかないと残りの時間をできる限りストレスなく
穏やかに過ごさせてあげることしかできないんだと、またふくにまで
同じ思いをさせてしまったのだと申し訳なさしかありませんでした。
10月12日自宅に帰り大好きなひなたぼっこをするふく
ひなたぼっこするふくとワタシ
前日からとても天気がよかったのでひなたぼっこをさせてあげたかったけど
病院にいたので今日は帰ったらさせてあげようと
ベランダの日当たりの良いところに寝かせてあげて
気持ちよさそうにしているふくを見守りました。
給餌しても飲み込みができなくなってきていて体力も消耗するばかりでも
無理に与える訳にもいかないので薄めたキドナを与えましたが1mlがやっと。
水分もふくませても口の端から出てししまい上手く飲み込めません。
体温維持のために湯たんぽやカイロをあて熱くなりすぎないように
場所を変えたり、床ずれしないよう寝姿勢を左右変えたり
乾いてしまう口や鼻をしめらせたりしながら看ていました。
ほぼ起きて看ていましたが前々日から以前なら寝てなくてもうたた寝なんかしなかったのに
途中で眠くて眠くて仕方がなく2時間くらいではっとして起きるような感じだったので
この日も1時間半ほど仮眠をとりましたが仮眠をとってる間に何か起きたら・・・が怖くて。
末期の状態なのに呼吸は安定していて一見すやすや眠っているようにしか
みえませんでしたが仮眠前から少しづつ呼吸が早くなっているはわかりました。
それでも苦しそうなところを見せず横たわるふく。だけど確実に衰弱している。
無力でそばにいることしかできないのに何を眠くなってるんだ!と立ち上がったり
体を動かしたりしても異常な眠さで意識がなくなりそうで。
朝7時におバカを起こし1時間だけ仮眠をとろうと眠り出して30分
起こされ行ってみると痙攣が始まっていて、ついにきてしまったのかと
思わず抱き上げて『がんばったね。苦しいのにごめんね、ありがとね』と言って
涙が止まらなかった。『呼吸がわからないからおろせ!』といわれたけど
この期に及んで呼吸?何言ってんのこいつ。と怒りがこみ上げる。
仕方なく床におろして見守り続ける。
まめも『まだここにいたいよん』と2度目の脚が脚が伸びた後呼吸が止まりましたが
ふくは何度も抗い、止まった?と思った後もう一度ぴーんと脚が伸びて停止しました。
きっと相当苦しかっただろうにそれをワタシ達にみせまいとしてくれていたのでしょう。
昨年同じ様な状態になって回復してくれたふくはこの一年薬や点滴・サプリなど
どんどん種類も量も増えても耐えてくれていました。
まめがなくなった後もさびしく辛かったのにきっとまだ一緒にいてあげたい一緒にいたいと
ちいさな体で想像できないくらいの苦痛に耐えていたのでしょう。
そして誕生日の11月1日はむかえられませんでしたが、正確な誕生日は不明なので
すでに20歳になっていたに違いなく、20歳に見えないかわいらしいまま
元気そうに振舞ってくれたのでしょう。
11年ずっとワタシや家族に笑顔と愛情としあわせを与えてくれた。
かわいい娘のまめにも会わせてくれた
毎日一緒に猫同士のようにふとんで枕で一緒に眠ってくれた
調子の悪い時はいつも寄り添ってくれた
猫なのに他者を気遣えるやさしい、そして強い娘でした。
看病中ワタシが眠くて仕方がなかったのは一緒に寝て欲しかったのか
ワタシに苦しむ姿を見せたくなかったのか
わかりませんが、最期まで抗って一緒にいたいと闘っていた姿を忘れません。
2023年10月13日午前8時4分 ふくは永眠いたしました
ふくの祭壇
お骨になったふくとゆき兎さんからのお花
本日10月14日13時ふくはキレイなお骨になりました。
虫歯で抜いた左上下犬歯以外何一つ欠けることのない
キレイなお骨でまめの時と同じく肩甲骨もキレイに残っていました。
少し気持ちが落ち着いてまめのことを、まめの容れ物をアップしようと思っていた矢先
ふくを亡くし、かなりキツいです。
報告として長くなりましたがお知らせしましたがこのブログの主役が3人とも旅立ってしまい
そろそろ終幕に向けて行こうと考えております。
まめやふくのこと、容れ物のことはアップしたいと思っております。
ガブ・ふく・まめを愛してくださった皆様本当にありがとうございました。
本日も訪問いただきありがとうございます
たくさん頑張ったね。。。ありがとう。
ふくもおかしいと思ったときにはとき既に・・・
きっとずっと苦しいのを我慢して
一日でも一緒にいたいと思ってくれていたのでしょうね。
先にまめもガブもが待っていてくれるので
さびしくなくてよかったと思いたいです。
ふくちゃん 安らかに そして皆んなでもっちさんを見守ってね。
昨年の腎数値悪化から奇跡的に回復して悪いながらも
病院や治療を耐えて一緒にいてくれました。
まめがなくなってそれでも頑張ってくれていたのだと思います。
11年もの間、我が家で最高齢の20歳という年齢、だけどかわいいままの娘でした。
前のお母さんがなくなりおうちがなくなってしまったふくとまめに
同じ思いをさせない・ずっと一緒にいる・ワタシが先にいなくならない
そして前のお母さんやガブの元に送り届けること
それだけは守れたと思っています。
感謝しかありません。