家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

エアコン

2005年06月28日 | 我が家のスペシャルな仕様
できるだけ、エアコンを使わなくてすごせる家に、という要望を持っていたが、ここのところの「6月の猛暑」で今週初から父が居間と自分の寝室で使用をはじめた。
が、いまのところ、子供部屋と私たち夫婦の寝室においては使わずにすんでいる(もっとも、寝室にはまだエアコンを設置しておらず、使う場合は戸をあけて共有スペースのエアコンを稼動することになるのだが・・・)。

風がうまく抜ける構造が効いている。
「してやったり」という気分。


風が入る

2005年06月11日 | 我が家のスペシャルな仕様
 ここちよい風が吹く季節になった。
 窓を開けていると、時折、たまらなくいい風が入ってくる。

 家というものに窓は必ずあるので、どんな家でも風は受けられる。ただ、窓があればそれでいいわけではない。自然にすわっていたり、寝転がっていたりするときにいい風を感じられるのが良い。風が入る口と抜ける口がうまくかみあっていないと気持ちよさを最大限享受することはできないだろう。
 なにげない時に、風の通り道をしっかり考えてあるのに気がつくと、何かうれしくなってくる。

 良い風が吹いていようがいまいが関係ない家ではなく、いい風を拾える家にしてよかったと思う(関連エントリ)。
 この機能はプライスレスだ。



子供部屋

2005年03月28日 | 我が家のスペシャルな仕様
うちの子供は現在小学生。
男子1女子1の2名からなる。
新築にあたって、子供部屋を作った。

 子供たちに部屋を与えるにあたって、はっきりさせたのは、あくまでもこの部屋の持ち主はお父さんとお母さんであるということ。
社会人になるまでは何の負担もなしに使ってもいいが、社会人になったら、相応の負担はしてもらう。負担がいやだったら、どこかに自力で部屋を借りればいいと言うつもり。
 社会の中で自分の家(居場所)を持つということの意味を教える狙いがある。学校では教えてくれないから親が教えなければならない。
そういうことを徐々に教えておかないと、平気な顔で当然のようにパラサイト生活するような大人になってしまうのではないかと危惧している。

 居場所のあることのありがたさがわからない人間は、家族に感謝するということもできないのではないかと思う。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、衣食住の「住」が抜けているのは住が足りても礼節とは関係がないからだろうか。
子供部屋が与えられるのがあたりまえのようになって、感謝の心を失った子どもたちが増えているように思えてしかたがない。


<設計・生活にあたっての大まかな決め事>

・部屋は狭くていい。勉強しやすさと寝やすさを重視して、遊びやすさは、さほど重視しない。他の場所で遊べばいい。
・カギもつけない。親である私たちの部屋にもカギなんてつけないのだから。そのくらいの信頼感がない家族などにはなりたくない。
・外から部屋に居ることを分からせる仕掛け。いわゆる「けはいを感じる間取り」というヤツである。明かりがもれれば、何をやっているかはわからないにしろ、何かをやっていることはわかる。これは欄間という形で実現。
・テレビは置かない。篭りっきりにさせないためである。たまには篭ってもいいが、ずっと篭っていれば不健康だ。別に引きこもりでなくとも、テレビがあったら、部屋の中に居続けてしまうということはありうる。ゲームも無制限にできてしまうし・・・。
ちゃんと家族共有の場所にテレビを複数台置くのでそこで見ればいいのだ。

吊り収納

2005年03月27日 | 我が家のスペシャルな仕様
 我が家では、いろいろなところに吊り収納がある。
キッチンにあるのは普通の家と同じだが、居間と、夫婦の部屋、子供部屋にも据え付けられている。
 なぜ、吊り収納になっているかというと、地窓があるからだ。収納を床につけてしまうと地窓をふさいでしまい、地窓にした理由がなくなってしまう。
 だから、吊り収納といってもキッチンのそれとは違って、天井から床上50cmくらいまでの縦長の収納になっている。

 吊り収納は地窓のリスクを抑える効果もある。
 我が家のように2階の部屋に地窓をつける場合、高所恐怖症の気がある人は多分、地窓の際に立つと足がすくむ。
 また女性の場合、高所恐怖症でなくともスカートをはいている場合など、2階の地窓の際に立つのを躊躇することもあるだろう。
しかし吊り収納がバリアーとなって、窓際に立つこと自体がありえなくなるのである。

 いろいろなパーツが絡み合って役割を増幅するなどということがあるから、建築とは面白い。

書斎の役割

2005年02月15日 | 我が家のスペシャルな仕様
 「和室の選択」というエントリで少し触れたが、夫婦の部屋の横に小さな書斎を設けた。

書斎というと、何かかっこいい響きがある。堅木で作られた重厚なデスクがあって、リクライニングする革張りの椅子があって・・・ってな感じ。
 我が家のはとてもそんなご立派なものではない。3畳の畳部屋で造作の座卓があり、前後が本棚という書庫的な書斎。こじんまりとしたものである。
 妻が仕事を家に持ち帰ることの多い職業についているため、狭くともこういうスペースが必要だった。

 ただ、この書斎、期待している機能はそれだけではない。
「篭る(こもる)」ことのできる場所としての機能である。

「ひきこもり」ではないが、人間たまには篭りたくなることはある。
いろんなことがわずらわしく感じられ、しばしそれらの呪縛から逃れたいと思うときは私にだってある。また、雑音から開放され、じっくり考え事をしたいときもある。
私の両親との同居生活でがんばってくれている妻にとっても、こうした篭り場(逃げ場)があると気が楽になると思っている。

広辞苑では、書斎を「読書や書き物をするための部屋」としているが、読み書きに関係なく、篭ることのできる部屋としての存在意義もあると思う。
我が家のは狭いだけに、オーソドックスなイメージのリッチな書斎より、「篭り感」は優れているかもしれない。

基礎工事――最も大きかった予定外の出費

2005年02月02日 | 我が家のスペシャルな仕様
今回は、少し過去を振り返った話。


 我が家の建つ場所は昔、田んぼだったので、地盤が強くないということは理解していた。
 旧家屋はそんなに頑丈とも思えない普通の布基礎だった。以前は社会全般に地盤に関する問題意識が低かったし、地震に関連付けて考えることは少なかったようだ。
 周囲の家で、最近建てられたものは多くがベタ基礎で、我が家も「木造だからベタ基礎にするくらいで大丈夫なのでは」と希望的観測を持っていた。

 ところが地盤調査をしてもらうと、杭を打って基礎をつくるべしとの結果が出た。4-5m位の深さまで固い地盤はないようだ。
周囲の家は杭を打っていないのだから、地盤が弱いとはいえ杭を打たなくとも建てられる微妙な固さだったのかもしれない。しかし、もし、「なんとか建てられる」というレベルだとしたら不安感はある。

 杭打ち工事で発生する新たなコストはばかにならない。予備費として考えていた予算に収まっていればまだよかったのだが、予備費を軽くオーバーしていた。しかも予備費は地盤のためだけに配慮した数字ではない。軽軽しく返事しにくい額だった。

 結局、家づくりの原点にまで立ち返って、杭工事をすることに決めた。

家をどうしようかと模索していたころ、建て替えるという選択肢のほかに、リフォームという選択肢もあった。 しかし、とにかく日当たり、風通しの良さを望んだ父が建てさせた家は開口部がやけに多く、耐震性という面では完全に不合格。もしリフォームするならば、耐震性を考えていったんすべてを丁寧にはがして骨組みだけにしてから補強しなければならない。それならば、建て替えた方がいいという結論に至っていた。

 家の建て替えに乗り出すにあたっては、耐震ということはそもそもの大きなテーマだったのだ。
それを妥協しては意味が無くなる。

 こうして杭打ちすることになったが、投下資金は膨らんだ。
 以前のエントリ「プライスレスな家のスペック」で、プライスが付けられるスペックのグレードを上げることはローコスト化をなしえにくくする、というようなことを書いたが、プライスが付けられるスペックと分類した「耐震」が、まさにそれを具現化していたのだ。
 「耐震」という家のスペックは「現実」そのもので、そこに「夢」を見出すのは困難だ。夢でない部分に大金を投下するという行為は楽しくはない。安心感をもたらしてくれるということに満足するしかないのがつらい。

 特に、ローコスト住宅を目指す人は、「耐震」が予期せぬ大きなコスト項目になるリスクを意識しておいた方がいい。


子供のお気に入り

2005年01月31日 | 我が家のスペシャルな仕様
職人さんに、お茶出しに行くとき、子供もついてくることがある。
その機会に子供に現場を見せる。

子供部屋はまだがらんとしており、それほど興味を示さないが、現在気に入っているのは、階段の2階手摺に開いた穴である。ここにくると、必ず穴から覗き込む。

「これ、かくれんぼうにいいね。お父さん」

さすが、子供の視点である。

にわかに、手垢べたべた、なんてのを恐れ始めた。

「これは『オシャレ』で開けてあるんだよ」

色気をかもし出すにはまだ時間がかかる娘に通じたかどうか・・・。

ワークショップ 2

2005年01月27日 | 我が家のスペシャルな仕様
身のほど知らずにも大上段に振りかぶったような話がそんなに嫌いではない私は、つい調子に乗って、住宅業界の問題や課題のような話を展開しがち(注:ただし、あくまで施主の視点にはこだわっている)なので、少し反省してミクロな我が家の紹介をば。

以前のエントリ「ワークショップ」にコメントをつけてくれた方がいたのをいい機会に、前の週末に確認した現在のワークショップについて。
前回はバーチャルといっていい存在だったが今回はリアルになった。

 造作家具が配備されたことで、だんだん空間としての役割が見えてきている。
 一番、目立つのは長いデスク。
 4mを超えており、ここで家族は勉強したり、趣味にいそしんだりする。
実際にはないだろうが、この長さだと6人家族全員が座って作業することもできないことはない。

 その両脇に棚を据え付けた。下には大判の紙(レザークラフトの型紙用)や、革素材を収納できるようにしてあり、私の趣味に配慮してある。

 写真では左側の空間があいているが、そこは子供達の部屋になる。ワークショップとの間仕切りは、これから据え付けられる造作の本棚と引き戸がその役割を果たし、その上は欄間となる。
 つまり、できあがった時、ワークショップは廊下の役割を担う。

ワークショップのつきあたりから向こうは夫婦の部屋で、さらにその向こうに書斎が続く。引き戸なので、すべて明けておけば奥行きが豊かな空間に見える。

上部は越屋根。子供部屋にある地窓から欄間を通って越屋根の窓から風が抜ける。越屋根は夫婦の部屋の上部まで伸びている。

ワークショップの窓から透けて見えているのが古屋の屋根である。



和室の選択

2005年01月21日 | 我が家のスペシャルな仕様
和室ばかりだった昔の家から様変わりして、現代の家づくりにおいては、和室を作るかどうかということ自体が検討事項となっている。
自分達もどうするか考えた。
 
 古屋を残すので、和室は最低1間は確保できている。それ以外に作るかどうかということになる。
古屋は客間なので、普段の生活の場としての和室(畳の部屋)の必要性がテーマになった。

 ありがちなのは、老人の居室を和室にするという発想だが、我が家の場合、それは最初から考えなかった。
 今後のことを考えると、むしろ両親達はベッドのほうがいい。寝起きが楽だからだ。
両親も最初からその考えだったため、両親の寝室はすんなりとフローリングに決まった。

そのほか、畳を敷く場所の候補としては、居間と私達夫婦の寝室があった。
居間はダイニングでもあり、キッチンともつながっていることを考えると、全面を畳にするという選択はできない。一部なら可能、といろいろ考えたものの、ピアノを置いたりすることと、広さの限界からあきらめた。

残る夫婦寝室をどうするかで、決め手になったのは、仕事スペースだった。
私の妻は、家に持ち帰る仕事が多い職業に就いている。そのため夫婦の部屋の横に小さな書斎を作ることにした。妻は床の上に資料を広げて仕事をするので床座りを望んだ。
書斎を和室にするのなら、寝室も和室でいいということになったのだ。

 消去法的な過程を経て和室をつくることになったものの、今から考えると夫婦の部屋を和室にしてよかったと思う。地窓からの涼しい風を受けるには床に座っていた方がいい。畳なら布団を敷かなくてもごろっとなれるから、いい風が吹いているときはそのまま昼寝ができる。

 和室をなくすというのがトレンドになりつつあるなかでは、逆に将来は和室があるほうが価値のあることになるのではないか、などとも考えた。
 私が学生のころは、フローリングの部屋ということだけでうらやましがられた。ところが今やフローリングはあたりまえすぎて、そのことによる付加価値はない。
今後、畳の部屋がうらやましがられる時代もくると踏んでいる。

「夏涼しい」とは

2005年01月12日 | 我が家のスペシャルな仕様
 住宅の供給サイドから、「夏涼しく、冬暖かい家」などという住み心地を表したキャッチコピーをよく聞く。
 このうち、「夏涼しい」ということに関して最初はとまどわされた。
涼しいとはどういうことなのか?
① 冷房が効いている(効きやすい)から
② 冷房をつけなくても外の熱気を遮断しているから
③ 風が通るから

むろん、正解などというものはない。涼しさに対する考え方はそれぞれで異なるということだ。ただ、その考え方次第で家のつくりは違ってくるはず。

私の場合は夏の暑さを完璧に遮断するような過ごし方をしようとは思っていない。暑いからこそ夏なのだ、という考え方である。四季は感じていたい。
 そうはいっても暑さに無防備に身をさらすわけはなく、イメージで言えば「木陰の涼しさ」の中に身をおきたい。だから、家屋自体が熱を帯びないような遮熱・断熱の工夫があったうえで、風が通るのがいい。
 それでも去年のような、どうしようもない猛暑の日が続く場合があるので、ダメなときには冷房機器を使うという2段構えで考えている。

 巷でよく聞く「夏涼しい家」の多くは、家の断熱の優秀さを強調しているものの、風通しについては語られていない。それがわかってからキャッチコピーにそれほど魅力を感じなくなった。

暑くなれば真っ先に冷房を入れる、という生活パターンの家ならば風通しなど考えなくてもいいが、我が家は違う。このため、しっかり風が通るように窓配置や間取りを考えて設計してもらってある。
越屋根や、地窓欄間、引き戸などはその工夫の一つといっていい。


伊豆石

2005年01月09日 | 我が家のスペシャルな仕様
 玄関ポーチと玄関土間には伊豆石を敷く。
 建築家の提案によるもので、恥ずかしながら、私はそれまで伊豆石というものの存在は知らなかった。
 伊豆石とは正確には伊豆若草石というもので、温泉などの風呂に使われることが多い。水に濡れても滑りにくく、濡れると緑色が濃くなるのが特徴だ。
若草石という名前が示すように淡いうす緑色をしている。落ち着いたアプローチになると期待している。

(伊豆石についての詳細は東海採石興業 http://homepage3.nifty.com/wakakusa/ のHPで)

「気配(けはい)」の考え方

2005年01月05日 | 我が家のスペシャルな仕様
 「けはいが感じられる家」というコンセプトを聞くようになって久しい。
その割に、「気配(けはい)」の捕らえ方が各様で、混乱している感がある。

ある人はいう。
「けはいを重視していつでも見えるようにしたら、四六時中、監視されているようで子供も息がつまるのではないか」
これは、「けはい」を曲解している。

けはいを感じるというのは、目に見える位置にいるというのとは違う。目に見えるのは、けはいを感じているのではなくて、実際にそこにいることを認識しているということだ。
「けはいの認識」と「実物の認識」は同一に考えるとミスリードすると思う。

けはいとは、そもそもおぼろげなものである。
「何をしているかまではわからないけど、そこに居ることはわかる」というような状態でも、けはいを感じているといえる。
姿は見えなくても、部屋の光が揺れたり、音が聞こえたりするだけでそれは「けはい」だ。においを感じてもそれは「けはい」である。
 つまり、けはいは実物を目にするのではなく、存在を感じるということだ。監視する・されるという構図とはそぐわない。

家づくりで考えることは、けはいの濃淡をどのようにつけるかということだろう。けはいの濃淡を深く考えずに間取りを考えることが、「けはいが感じられる家」に対する誤解を生んでいるような気がする。
例えば、ドアの一部をスリガラスにして光が漏れるようにすれば、その部屋の人の存在を感知できる。逆に、何の開口もないドアで防音性能が高い部屋にしたら、ドアを開け閉めした瞬間の音でしか、人間のけはいは感じられなくなる。濃淡をつけることは可能だ。

ウチの場合でいうと、子供部屋と共有スペースをつなぐ欄間が光と音を通し、感度の高い「けはい感知装置」となりそう。一方、両親達の部屋には廊下側の壁の一部にスリガラスがはめ込まれ、緩やかな気配を外に漏らす。
こうしたことを図面から読み取った時、建築家の仕事はデザインだけではないことがわかる。いや、むしろ、こうした機能が暮らしの上での機能美をかもしだすかもしれない。またしても設計というものの面白さを感じさせられるのだった。


地窓の利点

2004年12月24日 | 我が家のスペシャルな仕様
 2階の部屋には地窓がある。
 この地窓は通風に大きな役割を果たす。
家の南側と北側に温度差さえあれば、何の動力もなく家の中を風が通る。
地窓は北側にあり、日陰の(南側に比べれば)やや冷えた空気を取り込む。それが、家の中を通って、高い位置にある越屋根の窓から抜けるという仕組み。

 地窓の利点はまだある。北側の家とのプライバシー問題が生じにくいのだ。
我が家の北側は、北側の家の南側と対面しているわけで、我が家が北側に大きな開口をつくったなら北側の家は気になるだろう。
しかし、地窓というだけあって、地面(床)のあたりが開口している。窓を開けていても、視線がぶつかることはまず無い。逆に地窓から我が家を覗き込もうとしてもせいぜい足元しか見ることができない。
 地窓は、「外界を拒絶しない家」という希望とプライバシー問題の双方をほどよくクリアしている。

駐輪場――外観対策と土間の収納

2004年12月23日 | 我が家のスペシャルな仕様
 住宅では、自転車、バイクを収める場所が必要だ。
 我が家の場合、現時点で自転車4台(大人用2、子供用2)と原付バイクを2台、有している。
リストラを考えてはいるが、多分1台減らすのがやっとだろう。
 これだけあると、しっかり置き場所を決めないとみっともないことになる。

 自転車類が外に出ていると家の外観に影響を与える。ごちゃごちゃした電信柱に加えて、これ以上、家の周囲にごちゃごちゃしたパーツは増やしたくはなかった。
そこで、家の内側(外壁より中)に駐輪場を作ることにした。

 このことは、外観をすっきりさせること以外にもメリットがあった。
 それは土間ならではの収納空間になることだ。
 土間があると、スコップやバケツなど外で使うものを収納するのにいい。
我が家の場合、古屋で使う火鉢や炭などをここに置く予定だ。
 漬物樽を置くスペースとしても使える。
 古新聞・古雑誌の一時的な保管場所にもなる。
 
 昔の家では、土間が重要な役割を果たしていたことがよくわかる気がする。

ガレージについて

2004年12月13日 | 我が家のスペシャルな仕様
 ガレージを設置することは強い要望ではなかった。特に車好きというわけでもないし、屋根のある駐車場を作ってくれさえすればいい、という程度の希望にすぎなかった。
 しかし、結果的には設置した。ガレージの上を有効活用する魅力的な設計プランがでてきたためだ。

ただ、ガレージについては、前から気にしていることがあった。
これまでガレージのある家をいくつも見たが、何かしら近寄りがたい雰囲気を感じることが多かったのだ。
金属製のシャッター戸がそんなムードを作り出しているように思う。閉まったシャッターの前に人間が立っているのは風景になりにくい。居心地が悪く、その場から離れたい気にさせる。

営業時間の終わった商店ならそれでもいいが、住宅のガレージは昼間に閉めていることは多い。道路に接する家の大きなパーツであるだけに、無表情な面にすることは家全体の雰囲気をよそよそしいものにしかねない。
ご近所と気さくにつきあうのが我が家の家風なので、もし設計事務所に、シャッターを使わなければならないと言われていたら、戸のないオープンなカーポートにしたかもしれない。

建築家はもともとシャッター嫌いのようだったうえ、
外界を拒絶するような感じの家にしてほしくない
、という要望を伝えてあったこともあって、提案してきたのは金属枠に「すのこ」状に木を張る形の戸を作るというもの。
隙間があるので、外からは車とともに庭の緑が透けてみえるはずである。
暗くなりがちなガレージという空間に光が差し込んで明るくなる効果もある。