「認知的不協和」(はてなダイアリーより)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C7%A7%C3%CE%C5%AA%C9%D4%B6%A8%CF%C2
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心理学の用語。
1975年、アメリカの社会心理学者フェスティンガーが提唱。
人は何らかの物事に遭遇した場合(認知)、それが自分が持っている「認知」と相容れない場合(不協和)、その「不協和」を解消しようとすること。(不協和の逓減)
不協和の逓減には以下の3つがある。
1「認知」を変える(現実を変えたり、考えを変える)
2「認知」の重要性を低くする(事実を軽視したり、無視する)
3新しい「認知」を追加する(屁理屈や問題のすりかえ)
1や2のように、「変化」をさせたり「否定」をすることはコストが高いため、実際には、3が選択されることが多い。
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例えば、クルマを買った人は、別のクルマではなく、買ったクルマのカタログやチラシを眺めることが多いという。「自分が買ったクルマより、もっといいクルマがでているんじゃないか」「もっと安く買えたんじゃないか」と気になる。これが認知的不協和で、買ったクルマのカタログやチラシを見るのも自分の選択が正しかったと思いたいがために、認知的不協和の逓減を図ろうとする行為というわけである。
人間というものは認知的不協和を逓減するために自分に都合のいい解釈をしがちなのである。
その解釈は決して間違っていると言い切れるわけでもなく、プラス・マイナスそれぞれの要素があった場合、プラス面を重要視し、マイナス面を軽視する、といったようなもの。
それは決して計算づくの行動ともいえない。自分が選んだものを信じているから、その人の目にはプラス要因がすばらしいものに見え、マイナス要因は大して気にしなくていいものに見えているのである。
家づくりの世界でも、そうした「認知的不協和」が絡んだシーンを見かける。
例えば、「○○工法」を採用したビルダーも、そのビルダーに建ててもらった施主も、自分の選択を信じようと「○○工法」にいろいろな理論や物語を肉付けする。プラス面を賞賛するコメントを無批判に歓迎し、マイナス面についての指摘には目をつむったり、直接関係のない理論や他の条件が付随しないと弱点を回避できない理論を持ち出したりする。
対象は別に「○○工法」に限らず、建材だったり、依頼先の業態だったり、人間そのものだったりもする。
人間は普段もなにげなく、認知的不協和に端を発する行動をしているもの。特に人に指南するシーンで認知的不協和が変に絡んでくるとミスリードの恐れが出てくる。
それを客観的に意識しておきたい。
「これしかない」というような強い思いは行動のエネルギー源にもなるが、その思いが行き過ぎると他人による別の選択を許さない原理主義者のようになってしまうことに注意したい。
だから私は家づくりに絡んだ様々な指南について、「これがいい」という指南はさらりと読んでも、「これしかない」といっているかのごとき指南は注意して読むようにしている。
「これがいい」というのは別の「いいもの」の存在を許諾する余裕があるのに対し、「これしかない」というのは、それ以外の選択肢を劣っているものとみなしている。それを一般論にしようというのは原理主義的宗教と似たような空気を感じるのだ。
家を建て終わった私も、ブログなどにおいて多かれ少なかれ「認知的不協和の逓減」的な行動をしていると考えられる。
ただし、「これしかない」と思っても、あくまで「自分にとって」という前提をおいて、原理主義に陥らないよう注意し客観性を維持しようと思っている。
その反動として、万人に対して「これしかない」って言っているような家づくり指南に批判的なのかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C7%A7%C3%CE%C5%AA%C9%D4%B6%A8%CF%C2
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心理学の用語。
1975年、アメリカの社会心理学者フェスティンガーが提唱。
人は何らかの物事に遭遇した場合(認知)、それが自分が持っている「認知」と相容れない場合(不協和)、その「不協和」を解消しようとすること。(不協和の逓減)
不協和の逓減には以下の3つがある。
1「認知」を変える(現実を変えたり、考えを変える)
2「認知」の重要性を低くする(事実を軽視したり、無視する)
3新しい「認知」を追加する(屁理屈や問題のすりかえ)
1や2のように、「変化」をさせたり「否定」をすることはコストが高いため、実際には、3が選択されることが多い。
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例えば、クルマを買った人は、別のクルマではなく、買ったクルマのカタログやチラシを眺めることが多いという。「自分が買ったクルマより、もっといいクルマがでているんじゃないか」「もっと安く買えたんじゃないか」と気になる。これが認知的不協和で、買ったクルマのカタログやチラシを見るのも自分の選択が正しかったと思いたいがために、認知的不協和の逓減を図ろうとする行為というわけである。
人間というものは認知的不協和を逓減するために自分に都合のいい解釈をしがちなのである。
その解釈は決して間違っていると言い切れるわけでもなく、プラス・マイナスそれぞれの要素があった場合、プラス面を重要視し、マイナス面を軽視する、といったようなもの。
それは決して計算づくの行動ともいえない。自分が選んだものを信じているから、その人の目にはプラス要因がすばらしいものに見え、マイナス要因は大して気にしなくていいものに見えているのである。
家づくりの世界でも、そうした「認知的不協和」が絡んだシーンを見かける。
例えば、「○○工法」を採用したビルダーも、そのビルダーに建ててもらった施主も、自分の選択を信じようと「○○工法」にいろいろな理論や物語を肉付けする。プラス面を賞賛するコメントを無批判に歓迎し、マイナス面についての指摘には目をつむったり、直接関係のない理論や他の条件が付随しないと弱点を回避できない理論を持ち出したりする。
対象は別に「○○工法」に限らず、建材だったり、依頼先の業態だったり、人間そのものだったりもする。
人間は普段もなにげなく、認知的不協和に端を発する行動をしているもの。特に人に指南するシーンで認知的不協和が変に絡んでくるとミスリードの恐れが出てくる。
それを客観的に意識しておきたい。
「これしかない」というような強い思いは行動のエネルギー源にもなるが、その思いが行き過ぎると他人による別の選択を許さない原理主義者のようになってしまうことに注意したい。
だから私は家づくりに絡んだ様々な指南について、「これがいい」という指南はさらりと読んでも、「これしかない」といっているかのごとき指南は注意して読むようにしている。
「これがいい」というのは別の「いいもの」の存在を許諾する余裕があるのに対し、「これしかない」というのは、それ以外の選択肢を劣っているものとみなしている。それを一般論にしようというのは原理主義的宗教と似たような空気を感じるのだ。
家を建て終わった私も、ブログなどにおいて多かれ少なかれ「認知的不協和の逓減」的な行動をしていると考えられる。
ただし、「これしかない」と思っても、あくまで「自分にとって」という前提をおいて、原理主義に陥らないよう注意し客観性を維持しようと思っている。
その反動として、万人に対して「これしかない」って言っているような家づくり指南に批判的なのかもしれない。