忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「生活が第一」と言っても叱られない職場へ

2010年11月21日 | 過去記事

もうすぐ修了となるが、まだ、介護の学校に通っている。来月からは仕事場探しも含めて「職場実習」とやらが始まる。私といえば、これがまた謙虚な態度ですこぶる調子がいい。20代前半の若者から「年上の後輩を使う厳しさ」なども教えてもらった。彼曰く「社会は甘くないですよ?」とのことだが、よほど私は甘ちゃんに見えるのだろう(笑)。

そういえば先日の飲み会でも、私は進んでマスターをやった。ほとんど挨拶しかしていないオバサンにも店員のように扱き使われた。グラスを持ってこい、レモンを貰って来い、灰皿を取り替えろと、まあ、やられた。いやいや、愚痴ではない。正直に嬉しいのだ。

もちろん、互いにほとんど知らない仲であるから、話題は「前職のこと」にも触れる。同じクラスの人にも「パチンコ屋にいたことがある」と言ってある。今年の夏前まではバーで働いていた、とも話している。すると、ほとんどの人は私の態度からして「ずっと人に使われていた」と判断するらしい。結構な頻度で説教される。ま、可愛がられている。

それも圧倒的に女性が多い。もしくは若い男性だ。実習が始まった当初、私に対して警戒心丸出しだったのもこの人らなのだが、一旦慣れてしまうと上から目線、とまではいわんが、それでも「自分が如何に苦労してきたのか」を私に滔々と語る。20代前半の若造が「ボクほど苦労した人もなかなかいないんじゃないかな?」と言ったときには、その根拠と合わせて少々笑ってしまったが、要するに「現在の境遇」における自身の責任に向き合うつもりはないようだ。すなわち、仕事を辞めてここにいるのは勤め先の責任、である。

また、私は自分で「聞き上手」を自負しているが、両手を組んで真剣に話を聴いていると、なんと、イイ年したおばさんが泣きだした。苦労したのだという。今も苦労しているのだという。もちろん、私は「苦労知らず」という設定だ。「明るくて前向きキャラ」とは苦労知らずに見えるのだろうが、ま、事実、私は苦労らしきことをしたことはない。私より恵まれている人間はなかなかいない。とりあえず、そのおばさんには「メンヘラ・ボイン」という愛称を心の中で付けておいた。虹の理事長好みのぱいおつかいでー、ではある。

そういえば、私も妻も職場などで「あんたはええなぁ~」とよく言われる。何がなのか?と問うと「悩みが無さそうw」だと言われるのである。だが、ちょっとマッテほしい(しゃきーん)。そんな奴はいるのだろうか?それはつまるところ、もう“バカ”と言われているに等しいのではあるまいか。先日、施設実習を目前としたある日も「どこの施設だろう?どんな人がいるんだろう?」という不安と期待で教室は持ち切りだったが、私は何喰わぬ顔で愛妻弁当を喰っていた。すると、なんで、そんなに普通なのか?とからまれた。

私は馬鹿だと思われるのもアレなので、皆に合わせて「不安と期待で胃が痛いですよねぇ~」と言ったのだが、なぜだか、ウソつけ、と笑われた。なぜだ?ほわい?妻も職場で「私だって悩みくらいあります」と言ったら、あんたにはない!と決めつけられたと悩んでいた。私はそんな妻が可哀そうで「表情じゃないか?そのびっくりしたフィリピーナみたいな感じの・・ほわっと?キョウセイソウカンってナニ?とか言いそう・・」と言いかけたら叱られたのだが、ま、普段から歌ったり踊ったりしているからであると明白ではある。

しかしながら、同年代かそれ以上の男性は、なにか「本能でわかる」らしい(笑)。先の飲み会では40代半ばの先輩から「あんたはホントは辛口だろ?」だと言われて驚いた。「わかってて知らん顔してるでしょ?」とからまれた。んなぁこたぁありませんや、あっしはただの遊び人でさぁ~とかわしておいたが、そこに若い女性が「いじめられてるのぉ~??」と助け船を出してくれた。この女性には「キラー歯ぐき」という名を心の中で進呈している。

他にも楽しい仲間がたくさんいる。元阪神の掛布に似たおじさんは「ペテン師サード」と名付けているし、小さくてうるさいオバサンは「豆虫ばばあ」だし、何かと粗野な言動が売り物のあの女性は「必然的男勝り」と(心の中で)呼んでいるし、あっちの人は「引退を決意したひとさらい」で、こっちのマスクした年配の男性は目つきが鋭いので「百姓刑事(デカ)」だし、授業の時間が終わったのに質問して引っ張る、まあ、空気の読めないあの黒い顔の人は「質問ゴボウ」と呼んでいるのである。もちろん、心の中で、である。あ、あそこにいる女の人は「押しかけ美白」であり、いまトイレから出てきたのが「寿司屋を志すローランボック」である。おはようございます。

もちろん、人のことばかりではいけない。私自身にも「酒飲みバスタオル」とかつけてくれてもいい、などと阪急電車に乗りながら、一人でクスクス笑っているという今日この頃、わかってます、もうすぐ薬の時間です。認知症で「なー!」しか言わない利用者さんがツボって、結局、すごく仲良くなった久代千代太郎です。長江健二か!wwと笑うと、意味もわからず一緒に笑ってました。施設の人がびっくりしてましたが、そうですよ、このおばあちゃんは笑うんですよ、あはは。

ところで――――このクラスには「元海上自衛隊」の男性がいる。とても若い男性だ。私は密かにときめいていた。仲良くなりたい、話がしたい、飲みに行きたいのである。ということで知り合って数分、突撃をしてみたわけだが・・・・

アレだ、あの、いわゆる、親が心配して放り込んだ、というアレだ。聞くと「約一か月の船上生活」を終えてすぐに辞めたらしい。とても耐えられない、とのことだった。それで今回も親御さんが心配して、この学校に放り込んだということだった。尖閣諸島の話をしてみたが、残念ながら「???」だった。ま、そういうことだ。親御さんも本人も「介護ならやれるだろう、と思った」と公然と言っちゃうアレであった。舐めんじゃないよ(笑)。ちなみに、彼には「ポンコツ弁当箱」という称号を与えた。

しかし、だ。

それでも朝は5:30に起床。寝床を整理して顔を洗い、朝飯を喰ったら掃除&掃除だ。そして7:50には日章旗がラッパと共に掲揚される。敬礼だ。そして訓練&訓練の毎日だ。常に我々の安全を護る仕事である。「国民の生命と財産を護る」とは戦闘だけではなく、地震や洪水からも我々を助け、自らの生命を賭してまで護ってくれる。こういうありがたい存在に対して、この国の官房長官は「暴力装置」と発言し、自衛隊の最高指揮官である総理大臣は「撤回したからいいじゃないか」と国会で言う。なんとも詮無い話である。

また、新聞か何かの記事だったと思うが「金銭的報酬」におけるモチベーション向上は期待できぬ、と今更ながら書いてあった。これはどんな仕事でも同じく、給料を増やしてくれたり、休みをたくさんくれたりしても、その働く人の「やる気」にはあまり影響しない、どころか、まったく関係ないと言っても良いかもしれない。これは「ちゃんと働いたことがある人」には至極当然の価値観であり、そうでなければ社会は成り立たない。

人には「人の役に立ちたい」という願望がある。それが先ず、何よりも優先されるはずだ。現在のどんな大企業でも、創業者はそうだったりする。有名なところをいくつか書くと、例えば「安藤百福」なんかもそうだ。言わずと知れた日清の創業者であるが、安藤は台湾で紡績工場を営んでいた。そして日本に戻ると、人から頼られて信用金庫などを手掛けるも破綻、安藤は責任を取って家から何から売り捌いて補填する。そして寒空の下、ラーメンの屋台に並ぶサラリーマンを見て気の毒に思うわけだ。なんとか・・もっと簡単にあったかいラーメンを喰わせることが出来ないものか・・・あ!整いました!!ということだが、これがなかなか簡単ではなかった。安藤は自宅を改造した研究室で思考錯誤するも、どうしても「麺」がうまくいかない。保存も難しい上に、お湯をかけて美味しい麺がなかなかできない。そんなとき、安藤の奥さんは「天ぷら」を揚げ直して夕食に出す。

すぐおいしい、すごくおいしいインスタントラーメンの誕生なわけだが、私が言いたいのはこれではなく、安藤百福は決して「ラーメンで儲けてやるぜ!」だけではなく、そのモチベーションの根幹にあったものは「日本のサラリーマン」が仕事帰りにすする「一杯のラーメン」を喰わせたかっただけだったのではなかろうか、ということだ。ましてや育ち盛りの子供の夕食になど考えてもいなかったのではないかと思う。これはあの「日本マクドナルド」の藤田田も同じだった。営業会議で「子供の玩具を付けて売ればどうか。子供のころに覚えた味は大人になっても覚えているとか言うし!ネーミングはハッピーセットでどうでしょう!」という案が出されたとき、藤田田は猛反対している。曰く「子供にはちゃんとしたモノを喰わせろ」とのことだった。居並ぶ幹部連中も「自分の子供に毎日ハンバーガーを喰わせる」という覚悟のある者はいなかった。藤田田は日本人の小さな体躯を案じて、欧米列強の喰い物に着目したに過ぎない。ついでに、そのハンバーガーがちょっと美味かったわけだ。それは要するに「売れればいい」という企業の慢心に対する警句だった。それだけじゃダメだと。

そこには明確、且つ、公的な「なぜ売りたいのか?」が必須なのである。それは人間が労働を行う基本中の基本、人の役に立つ、が抜け落ちていないかの確認作業が欠かせないということだ。すなわち、士魂商才である。

自衛隊員に「なぜ、自衛隊に入ったのか?」を問うと、まさか「金儲け悪いことですか?」とは答えまい。また、冒頭の介護教室の若者にも意地悪で問うてみた。無論、なんで、介護の仕事をしようと思ったのか?と聞けば「人の役に立ちたい」とか「高齢者の助けになりたい」などという模範的な答えは予想の範疇であるが、私は根性が曲がっているから、

「キミらはまだ20代でしょう?年収が1000万円とか2000万円を狙うなら、もう、今からでも遅いかもしれないのに、なんで、いま、介護なの?この仕事は金にならないと有名だしね、私はね、39歳だけどね、もう、子育てが終わっているんだよ?でも、キミらはこれから結婚して子供も出来る予定でしょ?とてもじゃないけど足りないよ?どうするの?」

という質問になる。もちろん、これには全員が黙ってしまった。私も黙ってしまった。

なぜにそこで「福祉を学びたい」とか「高齢者を支える仕事をしたい」と応えられぬのか。飛び込み面接ではなく、少なくとも30日以上、この仕事のなんたるかを学んだあとである。ぼやけていたモチベーションがくっきりと具現化し、もうちょっと具体的に「やりたいこと」が明確になっていてもよさそうだが、ともかく、金を稼ぎたい、という仕事ではないことくらいはわかっているはずだ。しかしやはり、月額15万とか20万にしかならぬという現実に対して向き合うと絶句するのだ。同時に近い将来、かなりの確率で訪れるであろう「困ったこと」に関しては先送りしているのである。草食系かなんか知らんが、とくに男性の劣化が著しいと感ずる。「自分が働いて嫁さんと子供を喰わせていく」などトンデモナイと平然としている。もう、そんなことが出来る世の中ではない、というマスコミの論調は渡りに船だ。20代前半から「昔は良かったですよねぇ~」と言われると唖然とする。ちなみに、その元海上自衛隊員は「人と話すのが苦手だから」と答えた。まだマシだ。

しかし、同時に、だ。それでもいい、と思った。介護の世界も若い人材は必要だろう。また、どんな業界でも「篩にかけられる」ことはある。どんなに人手不足の業界であっても、使えない奴は使えないともしれている。また、これも私の昔からの持論であるが、何事も先ず、とりあえず、でいいのだ。就職も結婚も、普通に生きる我々からすれば、それらはすべからく「偶然」に過ぎない。私が妻に出会ったのも、偶然にも私が働く職場に来ることになったからだ。道ですれ違っていただけならば、思わず一目惚れした私の一方的な片思いで終わっていた可能性はふんだんにある。仕事も同じく、私は隙間に一年の飲食業を挟み、現在まで10年ずつ2社に勤めたが、これも全て偶然である。しかしながら、これらの経験は現在の私を形成する重要なファクターであることも自明だ。つまり、偶然とは必然に変容させることが肝要なのだ。仕事とは「どこでするか?」はあまり重要ではなく、むしろ「なにをするか?」がとても大切だ。若いころは往々にしてこれを忘れる。

民主党の議員は胸に手を当てて考えてみるがいい。今言った通り「どこで」よりも「なにを」と考えてみるがいい。現在、どこで?と問われれば、それは「与党で」となろう。しかしながら、そこで「なにを」しているのか?と問われれば、堂々と胸を張って「日本の国益のために」と言えるかどうか、アンチ民主党の人間ではなく、支持者でもなく、自分の親や子供、そして英霊に対して応えてみるがいい。前を向いていられるか?目を逸らさずにモノが言えるか?と自問してみることだ。「国会で」「与党として」は格好がよろしい。しかし、そこで「何を」しているのか?と問うたとき、何も感じんなら次の当選はない。

ま、でも心配無用だ。介護の世界は人手不足。世のため人のため、社会的弱者のため、心身をフル活用することが出来る仕事だ。まさに「(利用者の)生活が第一」である。そのよく動く顎や、乾かぬ舌も使えるだろう。ただ、給料は安いらしいぞ?ww

2 コメント

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お疲れ様でした (パイオツ謄写堂)
2010-11-21 14:47:01
私の好みは、パイオツ かいでー、かつ しーあ そいほーです。

介護を受ける自己負担比率がアップすると、今までは少ない年金となけなしの貯蓄で受けてきた介護サービスをキャンセルするケースが増えると思います。他方、半島学校無料化と聞くと全くやりきれない思いです。
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Unknown (久代千代太郎)
2010-11-21 23:08:06
>かつ しーあ そいほー


民主党は年内に(とりあえず)2億円以上、金正日にプレゼントしたいようですな。

阿呆極まりない。楽には死ねないでしょうな。
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