忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

近況報告(オットセイ)

2011年08月03日 | 過去記事

知らぬ間に8月になっていた。知らぬ間に―――と格好つけてみたが、べつに仕事が忙しいわけでもない。休みもあり過ぎるほどあるし、ま、いわゆる「普通の状態」である。ブログの更新が滞っていた理由も、ま、普通の理由である。いわゆる「なんとなく」だ。

仕事にも職場にも慣れてきた。そらもう半年も過ぎるから当然と言えば当然なのだが、普通に出勤して普通に働いて普通に帰宅して普通に過ごす、というサイクルが円滑に回り始めてしばらく経つ。「夜勤明け」に急いで帰宅してシャワーを浴び、昼にはまだ時間がある頃から冷蔵庫のビールを飲む至福も味わえている。今日は肴に豚肉を炒めてみた。あまりに美味かったのでトリスまで飲んでしまった。そのまま冷房の利いたリビングで犬と寝転んでいたら、いつのまにか寝てしまっていた。疲れているからメシも美味いし酒も美味いし、睡眠もどっぷりと心地良い。人間、働いて疲れる、ということは理想なのだと思う。

先日はプールに行った。市民プールだ。例の如く、倅は18歳になっても「一緒に行く」とのことで、妻と3人で行ってきた。次は孫も連れて行く予定だ。「流れるプール」で妻と遊び、倅を沈めて遊び、プールサイドにでかいバスタオルを敷いて寝転び本を読む。その隣では倅が法律の勉強をしていて、その間では妻が「たこやき」を喰っていた。これがまた「冷凍食品臭」のするモノながら350円もする(8こ)。

給料も2段階で上がった。正直、月の3分の一ほど休みがあって、パチンコ屋と比して手厚すぎるほどの福利厚生があって、残業もなく、ノルマもなく、ただ一日、無事に終わることだけが「成功」という職種で、コレはもらい過ぎなのではないか、と妻に相談したら「また、ややこしいこと・・・・」と笑われた。それはそれでいいからがんばんなさい、ということらしい。私は妻に「がんばれ」と言われた場合に限り、界王拳が使える(4倍まで)のだが、これが最近、なかなか使いどころがなくて困っている。

そういえば最近、事務所横には「アンケート入れ」なる箱が置かれるようになった。なんでも「介護サービス向上委員会」というものが立ちあがったそうだ。如何にもお役所的な感覚に参るが、これは「施設管理者が現場職員の意見、情報というモノの鮮度が落ちない時期に把握すべき」という理由からだと会議の資料にあった。どこかで読んだ文書だと思ったら私が書いたものだった。

施設は「虐待がある」ことを認めた。施設長をはじめ、相談員長、事務長などが雁首揃えて「どうしたらいいのでしょう?」には恐れ入ったが、それでも、まあ、立派だと思う。なぜなら「そこからしか改善できない」からだ。

その「成果」としてさっそく「身体拘束」がなくなった。あくまでも家族の同意を得て「一時的」とか「代替え策が無い」場合に限られていた「身体拘束」であったが、先月より介護員室にあった「身体拘束記録ファイル」は倉庫に放り込まれた。その代わり、若干名ではあるが職員が補充されて看視が行き届くようになった。ま、それでも事故が起こるときは起こるのだが、ハードに任せ切った事故と、ソフト対応を心掛けて起こる事故なら、そこは少しだけ性質が変わる。介護用品や施設備品による事故なら「取り替える」という対処が優先されるが、人的な事故ならば、そこには「介護ミス」という重大な問題が考えられる。そして人間は「失敗からしか学べない」わけだ。つまり、施設は「リスクを高めることによるソフト重視」を指針とし始めた。

例えば、ベッドの四方を柵で囲むのは身体拘束になる。車椅子の後ろに椅子など置いて、事実上「動けなくする」ということも身体拘束である。自分でオムツを外したり、傷口を引っかいたりするため、ズボンの腰を「紐などで縛ってしまう」のも身体拘束となる。しかしながら、これらは認知症などの利用者の安全を確保するためのものであり、自傷行為のような行動を抑制させる上で、いわば「仕方がない」とされていることである。当施設はコレを「全面廃止」としたわけだ。全国的にどうなっているかは知らないが、この仕事をしている人なら、これが「どういうこと」を意味するのかわかると思う。

物事に何でも理由があるように、認知症の利用者がしでかす行動にもちゃんと理由がある。私はこの施設に入った当初、認知症のお婆さんに対して怒鳴り声を上げる職員に仰天した。例えば「徘徊行動」と呼ばれる周辺症状は、その原因を「不安」と確定している。それに「徘徊」とは「目的もなくウロウロすること」であり、そんなものは高齢者施設ではなく、夜中の繁華街などにたくさんいる。だから私は「徘徊」と聞けば、すぐに「ウォーキング」とか「散歩」と言い換えている。言うまでもなく、施設の利用者さんは「もうすぐ子供が学校から戻るから米を炊く」とか「近くまで知り合いが来ているから、駅まで迎えに行く」などの正当な理由があって歩き回っている。ただ、問題は子供がもう還暦だったり、どこの駅なのかわからなかったりするだけだ。何ら「おかしい」ところはない。

認知症になる高齢者は先ず、家に閉じこもり、布団に閉じこもり、最後は自分に閉じこもる。認知症患者の人が「自分の世界」を持っている、などということは介護学校で習うことだ。その理由はわかり切っている。不安だからだ。今まで、ついさっきまで社会の一線でバリバリやってきた爺ちゃん、家を切り盛りして家族を支えてきた婆ちゃんが、ある日を境にして「アレ?」となる。上手く話せなかったり、何を忘れたのか忘れるほど物忘れだったり、体に「小さくない異変」を感じたりする。情けなくて不安にもなる。誰とも会いたくなくなり、なによりその事実を認めたくない。そんな微妙な精神状態ながら、家の外で見ず知らずの他人から怒鳴られれば、いったい、どんな気持ちになるのか、考えなくともわかる。軽く扱われる、子供のように接してくる、などは耐え難いはずだ。

また、酷いモノになると「排泄介助する時間だから」というだけの理由で利用者を捕まえ、無理矢理トイレに引き摺りこんでパンツをずり下げる。コレを巷でやったら警察が黙っていないはずだ。つまり、どちらが「(物事を)認知出来ていない」のかわからない。

例えば、30人いる利用者が一斉にトイレに用がある、とするのは異常だ。甲子園の巨人の攻撃じゃあるまいし、なにも「そのとき」に走り込まなくとも、おかしくもなんともない。ちゃんと「行きたい」と言える人もいるのに、すべてを「こちら側の都合」で行うなど、認知症でなくとも、私だって「そんなところ」からは逃げ出したいと思って、施設内をウロウロ歩き回るだろう。ともかく、それら利用者さんの「動機」を探り、対応することが仕事なのであって、呆け老人に食事させたり、排泄させたり、寝かせたりするだけの簡単なお仕事ではないはずだ。ここは大きなポイントのはずなのだ。

「オムツを自分で外してしまう」人は「気持ち悪い」とか「痒い」とかになる。ならば、コレも気付いて対処すれば問題解決だ。傷口を引っかくのも同じようなもので、これも可能な限り、まめに取り換えるなどで改善されるはずだ。というか、家で、家族がそうだったら、そうするだろう、というだけの話なのだ。

「昼からお風呂だし・・・」という女性職員がいた。利用者さんの下半身は便に塗れている。それをナイロン製のシーツに包み、そのままミイラのようにベッドに寝かせていた。気付いた時間は午前10時半。お風呂に入るのは午後2時以降である。どこの誰がウンコ塗れのまま4時間も寝ているのか、ということで、すぐに浴室に連れて行ってシャワーで洗って着替えさせた。所用時間は15分程度か、お菓子喰いながら「彼氏出来ないんですぅ~」とか言っている時間あれば、あと数人は洗える。要するにそういうことだ。

もちろん、不可抗力はある。「どうしようもない事故」というものは厳然としてある。だからこそ「なぜ起こったのか」「どうすれば防げるのか」を考えることもできる。深夜、人の目が無いことを由として、ナースコールを切り、仕事もせずに携帯電話で遊んでいるから、利用者さんはベッドから転落して骨折する。コレの対処が「ベッドを柵で囲む」なら素人以下の馬鹿者である。利用者家族も納得する「仕方がない」とは、こちらが誠心誠意、可能な限り安全に過ごしてもらおうとする仕事をしていたときに限られる。こんなことは一般社会、その他の業種では常識の範疇である。すなわち、汗の量やカロリーの消費が「損」だと思う安モノ労働者の無自覚から発生する事故は防げる。コレは確実だ。

私は夜勤のとき「眠くない」と起き出す利用者さんがいれば、当然のように付き合ってもらう。タバコを吸うときは一緒にベランダに出る。そして本人が「もう寝る」と言えばベッドに誘導する。先日は介護員室で「動物図鑑」を一緒に読んだ。お婆さんは小さい文字が読めないから、動物の写真を見て「これはなに?」とか聞いてくる。私は説明文を読む。どこにいるか、何を食べているか、どんなふうに過ごしているか、を説明する。すごく真面目に聞いてくれる。年は若いかもしれないが「自分のことばかり話したがる連中」といるより、ずっと心も安らぐ。もちろん、ナースコールがあれば飛んでいくから、その間は座ってちゃんと待っている。昼とは違い、不思議なほどウロウロしない。




夜勤が明けた。御蔭様で何事もなく、無事に朝になった。あとは簡単な事務報告をして帰るだけだ。他の職員も出勤してくる。先ほどの「彼氏できないんですぅ~」と仲の良い「彼女出来ない~」も来た。30半ば同士、付き合えばいいのに。

朝っぱらから「次に生まれ変わるなら、絶対にオットセイ!ハーレムをつくる!」とか阿呆臭い男の夢を語っている。私にも同意を求めてきた。ちよたろさん、そうですよね?

「オットセイのハーレムにいるメスの4分の3は他のオスの子供を産みます。ちゃんと種の遺伝的多様性を守っているんです。1匹のオスに本気で群がるメスなんていません。そこには何か必ず理由があるんです。馬鹿で哀れなのは、いつも男、オスだけです。あ、ところで、おはようございます。昨夜の報告書読んでおいてくださいね」

よ、よくしってますね、そんなこと・・・・さ、さすが・・・ですね・・・


うん。さっき読んだの。

2 コメント

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お疲れ様 (ナミ)
2011-08-07 16:05:51
たった半年ですごいですね。私は10年になりますが今だに悩みはつきません。
看護師である事と介護士である事の壁みたいなものがぶっ壊せないのです。
ともかく賞賛させて下さい。
正直あなたのブログを拝見しながら多分辞めてしまうんだろうなと思っていました。
私は私の場所で戦います。
夜勤明けのビールはうまいですよね。
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Unknown (久代千代太郎)
2011-08-08 10:26:06
>ナミ さん

>正直あなたのブログを拝見しながら多分辞めてしまうんだろうなと思っていました


ww

私もですw



>夜勤明けのビールはうまいですよね



ウマイですね。生かされてる喜びです。



>看護師である事と介護士である事の壁みたいなものがぶっ壊せないのです


よじ登る、地面を掘る、回り道する、通り抜ける(笑)とか、ま、ぶっ壊す以外にも手があるかも、ですな。少なくとも「壁が見えている」という人は、どこの世界でも貴重な存在です。素晴らしい。無理せず、互いに頑張りましょうね。コメント、ありがとうございます。

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