忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

自己啓発セミナー

2012年09月22日 | 過去記事

「自己啓発セミナー」の類に誘われたことがある。パチンコ屋のとき、グループ総帥の長男が社長を継ぐちょっと前、コレにハマった。山の中で3泊4日かそこら。安くはない参加費用ながら、何人かの子分も放り込んでいた。その子分の一人が私と同期、一回り年上のオッサンだった。「研修どうだったの?」と京橋の居酒屋で久しぶりに飲むと、オッサンは思い出して泣いた。不気味だった。

私のことが大嫌いだった長男も不気味だ。グループの周年パーティーの席上、挨拶に立った「新社長」だったが、その場で子分をひとり舞台に立たせて親指と人差し指で「輪」を作らせる。それからその「輪」に自分の人差し指を引っかけ、子分に「魔法の言葉」を言わせる。子分が「ありがとう」と連呼しているとき「輪」は壊れない。でも「もうダメだ」と連呼しているときは、あっさりと「輪」は外れてしまう、みたいなことを紹介した。

2本のペットボトルの水。片方には「ありがとう」片方には「ばかやろう」。すると、あら不思議。「ありがとう」の水は「水の結晶」がこんなに美しい。「ばかやろう」の水は結晶がバラバラ―――こういうことを真面目な顔で言うヤツとは距離を計って付き合いたい。

パーティーの会場。私が部下に「輪」を作らせ人差し指で振り回していると、近くを「新社長」が通る。同グループ内とはいえ別の会社。わざわざ忙しいのに来てやったのだから、御苦労さまです、本日はどうも、と挨拶くらいあるのかと思ったら睨まれただけだった。ありがとうありがとうと言いながら、このままでは指が折れる、と判断した部下は「輪」を潰され「無理っす!こんなん無理っす!ヤラセですよアレは!」と、真後ろに「新社長」がいるとも知らずに叫んでいた。

京橋でのオッサン。私に千円紙幣を見せてくれた。切れ端だ。聞くと「四等分した」とか。4人ひと組で行動。地元の商店や会社やらにお邪魔して「トイレ掃除させてください」をやったあと、4人で1時間千円稼いで来い、とか言われるらしい。そのときの千円紙幣を記念に仲良く四等分、今でも大事に持っているのだと涙目で言っていた。

私が「ふうん」と馬鹿にすると、オッサンは「でも罪になるけどね、ホントは」と笑った。

なんで?

「だってほら、お金を燃やしたり、切ったりしたら罪になるんじゃないの?」

阿呆。それは貨幣。コイン。貨幣損傷等取締法。紙幣だったらマジシャンはみんな罰金だ。

オッサンは「へえ~そうなの!教えてくれてどうもありがとう!!」と涙目。まだ「セミナーの毒」が抜けていないから、何にでもすぐに感動してしまう。不気味だった。

ところで、このオッサンと同じく「感謝」とか「喜び」を学んできた、という若旦那の新社長だったが、私が彼の管理する店舗から「不正ロム」を見つけたときには「見つけてくれてありがとう」ではなく、お父さんに言わないでね、だった。つまり、自分で入れていた。

そのお父さん、グループの総帥は、私が内部不正を報告した際、でかい部屋の床で膝を折り、私の手を握って泣いた。会社や従業員ではなく「息子を助けてやってくれ」と号泣した。義を見てせざるは勇無きなり。私はセミナーには行かなかったが、幼少のころ祖母からきつ~くやられていた。爺ちゃんはそんなことしない、爺ちゃんならこうする、とか。

私は自分の金も使い、自分の時間を使い、自分の部下を使い、全店舗の遊技台を点検、不正防止策を講じた。すると出るわ出るわで新社長の子分、本部の幹部が何人か、あと現場の店長、管理職クラスが何人かが逃げるように辞めた。幹部会議の日、本社近くで私と偶然に出会った現職店長は挙動不審、私の姿を遠くから認めると、その場で硬直していた。

私は「古畑任三郎」の如く、彼に対してフレンドリーに近寄り、あ、そうそう、あなたの店でとんでもないものをみつけました、これは驚かれると思いますよ、とか言いながら反応を窺い、え~っと、あったあったこれだ、とそっとカバンの中から「ルパン三世のジッポライター」を取り出した。彼は冷や汗をかき、その場で更に固まっていた。あなたの店の景品の中にありました、欲しかったンですコレ、特別に買わせてもらいました、んふふふ・・・こいつもすぐに辞めた。

調べていくと、黒幕がわかった。いくら世間知らずの馬鹿だとはいえ、どう考えても「新社長」にバレず、見つからず、これほどの規模の内部不正を続けるには無理があった。私の手を握って泣いた総帥は泣くに泣けない現実を知った。すると、最初の言葉通り、つまり、今度は逆の意味での「息子を助けてやってくれ」だった。手を引いてくれと。あのとき、もしかすると「哀号」と泣いていたかもしれない。確認すればよかった。

新社長はそれから、私が「会社を乗っ取ろうとした」というデマを流した。在日らしいやり方だ。中古機を売ると業者から「ちよたろさんの口座番号を教えてください」とか電話も来た。我が社はどこかのグループとは違って個人口座を使用してませんが、と普通に言うと「それじゃあ面白くないでしょ。ちょっとくらい、オイシイ思いもしないと」とか言い返してきた。それに中古機の管理は部下の店長にさせている。私が勝手に売ったり買ったりもできない。それでも、もし、売ったなら売ったで入金が無いとおかしいと誰でもわかるようになっている。どこかのグループと同じにしないでくれ、ちゃんと会社の口座に振り込むように、と電話を切った。この頃、いろんな誘惑があった。馬鹿はみんな自分と同じだと思うから、汚い金でも金はカネ、どうせこいつも喰いつくだろうと思っていた。

それから怪しげな噂も立てられた。

ある日「社長マン」が私を呼んで神妙な顔をした。「良くない話を聞いた」ということだった。なんですか?と問うと「おまえが(スロットの)設定を売っていると聞いた」

だれに聞いたの?

「言えない。その人もいろんな人から聞いたと」

どうやって?

「紙に書いたメモを渡したところを見た人がいる」

いつ?

「朝方。店の前の道路で」

店の前?馬鹿なんじゃないの?ンで、なんで紙に書くの?

「知らない」

その紙は?

「知らない」

売った相手は?

「知らない」

あんたはどう思うの?

「一応、確認しただけだ」

バカバカしい。

「他にもある」

なにおぅ?

私は「店舗の女性従業員を全員、もれなく手篭めにしていた」ことになっていた。どれほどの絶倫。・・・・・・ンで?どうすんの?

「す、すまなかった」

朝鮮クラブ、奢って。私の行きつけ、ぜんぶ周ってボトル入れておいて。

「・・・・わ、わかった」



京橋のオッサン。まだまだ「自己啓発セミナー」の素晴らしさを語る。自己アピールもしたが、それより「自省アピール」が効いたという。自分の中にある弱さ、汚さ、悪さを引きずり出して晒す。ボクはこんなに悪い人間です、私はこれほど愚かな人間です、とやれば目の前が晴れるのだとか言う。私はもっと目の前が晴れたらいいのに、と思って「本部の3階の倉庫。入って右側の棚の一番上、なんで“吉宗(スロット機種)”の基盤があんなにたくさん置いてあるの?」と聞いた。基盤の交換は所轄警察に変更承認申請書出さないとダメ、無断でやったなら無承認変更、それこそ罪になるでしょう。

号泣して「悪うございました」と言えと教えられたはずだが、オッサンは「・・・!!な、なんで知ってるの?」と驚いてしまった。迂闊に過ぎる。私はつまり、こういうこと?と念を押した。いま、現場ホールで稼働しているのは不正基盤、所轄警察の検査や私なんかが調べに入る日には倉庫の基盤と交換する。倉庫の基盤は正規品。

「なんで知ってるの?」については「入って見たから」。私はこれでもオッサン、あんたと違ってグループのトップポジション。身内以外の人間では最上職位、私が「倉庫を開けろ。中を見せろ」と言えば、勤め人なら誰でも開ける。無理なら壊して入る。残念でした。

お客さんに悪いとか思わないの?

「・・・・・。」

従業員に申し訳ないとかは?

「・・・・・。」

年の離れた若い嫁はんと可愛らしい子供、元気にしてるの?おとうさん、カッコ悪いけども。

「・・・・・。」

大した「自己啓発セミナー」もあったものだが、子分がこんなんだから親分も大したことない。私が干渉しなくなってからのグループは派手にやった。競合店から「新しい社長は馬鹿、素人。どうにでもなる」と見下されながら、時代もなにも読まず、ただ格好良いか悪いかですべてを判断、金もないのに無意味な無理も相当やっていた。私が「社長マン」を抱いて自爆してから3年と少し。民主党政権が発足してからと同じ頃、そのグループが壊滅したと風の便りに聞いた。調べたら大小問わず、すべての会社、店舗が無くなってしまった。驕れるものは久しからず。当然の帰結、というアレだ。

若旦那はペットボトルの水ではなく、普通にお客さんとか、汗水流して働いてくれる従業者に「ありがとう」を言っておればよかった。こちらは人間、あちらは水素と酸素の化合物。いくら古代ギリシャのタレスが「万物のアルケー(根源)は水」とか言っても、嘘吐きで泥棒の「ありがとう」は通じない。



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