小山芳姫の御堂・・・説明板
南北朝時代に下野の守護であった小山義政は、鎌倉公方であった足利氏満にそむき粕尾城(現粟野町中粕尾:⇒現在は鹿沼市)に籠もったが、戦いに敗れて赤石河原で自害しました。
芳姫はその小山義政の正室で、義政に会うために侍女を一人伴って粕尾城に向かっていましたが、そのとき大事に持っていた乾飯(ほしいい:糒(ほしい),餉(かれい)とも。糒の音はビで備に通じ,急に備える米の意。米を蒸して陰干ししたもの。)の袋を宝の袋とまちがわれ、案内役のものに殺されてしまいました。その後、江戸時代になり村人はこれをあわれんで、寒沢林道(※国土地理院の地図を見ると栃木市星野町から谷倉山599.4mの西側(峠)を通り、鹿沼市下粕尾星宮神社に抜ける林道がある。)の奥に芳姫のお墓を建て供養したということです。芳姫のお墓は、現在、市の指定文化財になっており、この御堂は近年になって小山芳姫の墓保存会の人々によって建てられたものです。
栃木市