農僕日記 JAPAN

農薬を使わない農業を紀州和歌山でゼロからスタート。
農業は僕たちの平和活動♪ライフワークいざゆかん(^g^)(^y^)

TOKKO

2009-08-21 | 旅僕日記五
特攻TOKKO
http://blog.goo.ne.jp/generalistgen/d/20090621
(↑旅僕日記より


和歌山県に、日高町(ひだか)という所があります。
場所は、和歌山市と白浜町の間ぐらい、海側です。

この町に、
1945年5月、、特攻の隊員として出撃し、、
帰還した方が住んでいます。
花道柳太郎(はなみちりゅうたろう)さん。現在、84歳。

あれやこれやで、、、
近所のおじいちゃんと話す感覚で、会ってきました

本や資料やテレビじゃない、、
正真正銘の元特攻隊員。ナマです!!
今から、64年前の実話。

必死を意味する、特別攻撃
特攻に行くと決まれば、生きて帰るという考えはできない。
死ななければならなかったのだ(それしか思考がない)。
(帰ってくれば、次の特攻隊への士気も下がる)

特攻出撃,前夜
爪と髪を切り封筒に入れた。
遺書を書き、封筒と身の周りのものを箱につめた。
眠りにつく、静かな夜の中で1人、大事な人達が巡り、泣いた。。
…死にたくない…

 たてまえと本音。
誰もが、特攻前の夜は、1人泣いたヨ
でも、死にたくないとは、口がさけても言わなんだ。
「お国のタメに、死んできます!!」  …出撃!!

そして、たくさんの若い命が消えた…

柳太郎さん…「今は、生きてきてよかったと思える!」
特攻に出撃した日、沖縄の悪天候により帰還した柳太郎さん。
しかし、終戦後30年間、特攻帰りというのを隠した。
生きて帰ってきたのだ(特攻=死)。
「お前は国賊だ! 非国民だ! はじさらしだ!!
死にたくなかったから、戻ってきたんだろう?!」
と言われるのは、自分だけでなく、親までも。
だから隠した。親は自分が元特攻隊員だと知らぬ間に死んだ。

今は、自分が帰還した事への,とらえ方は、
それぞれの人たちの、自由だと思えるようになった。

特攻(戦争)の証言、、
未来に映像や資料は残す事ができる
しかし、
映像や資料では、、疑問や質問には、答えられない。
自分が、生きてる限り、答えられる。。
(今回もたくさん質問に答えてくれました。)

柳太郎さんの、人生の言葉は『 』だそうですが、
命と書かれた色紙の裏に、、、
こう書かれてました。。↓

お話できてよかったです!!