久々の投稿となります。
おかげさまで通う前の精神状態と今の状態は雲泥の差があります。
充実した日が増えています。神経症も完治しました。
生き地獄の日々とは完全におさらばしています。
さて、
飯島愛さんが死去しました。原因はわからないけれど、どちらにしても彼女の心の闇が浮かび上がってきます。
この投稿記事を書こうと思ったのは、こういう記事を読んだからです。
「渋谷署によると、飯島さんが相談に訪れたのは今年1月ごろ。また、テレビ朝日の報道によると、対応した署員に「1人で寂しいから話を聞いてほしい。精神的におかしくなった」と訴えた。署員が「なぜおかしくなったんですか?」と尋ねると、「薬をのんでおかしくなっちゃった」と説明。ミニスカート姿で現れ、特に取り乱した様子はなく、一通り話をして帰ったという」
ヤフーのトップニュースにあげられていて目にしました。
このとき思ったのは、本当に相談できる、信頼できる人が彼女は欲しかったんだということ。
芸能界の友人もたくさんいて飯島愛さんの人柄の評判も良かったようですが、人間なんて本質的に孤独だということですね。その中で生きていかなくちゃいけないのかもしれません。
薬物依存だったそうで、精神的な闇をどうしても薬を大量に飲んででの紛らわせたかったのでしょう。
今回の飯島愛さんの事件(事故?)に触れて、一番惜しいと思ったのが、もし彼女が岩波先生のような存在に出会っていたら……ということです。
絶対、彼女は立ち直っていたに違いないからです。岩波先生ほどの人なら、必ず彼女は心のよりどころができたと思うし、信頼できる存在になっていたと思います。いや、絶対救われるに違いない。
人間ってどこでどういう選択をするかによって、その後の人生が大きく変わってしまうということでしょうか。
僕を顧みても、もしあのとき岩波先生に出会っていなかったら、いまどうなっていたかわかりません。劣等感に押しつぶされ、孤独感にさいなまれ、でもどうしようもなくひたすら耐えてボロボロになっていたかもしれません。もっとひどい状態になっていたかもしれません。そう考えると飯島愛さんの今回の件は、一人の芸能人の死というよりも、自分も抱えていた精神的な闇について深く考えさせられました。
信頼できる存在をもてることの幸せ、それに出会えたことの僥倖をひしひしと感じてます。
飯島愛さんも岩波先生のような(いや先生じゃなくても)存在に出会っていたら、死ぬことはなかったでしょう(体の病気が原因だったとしても)。これだけは間違いなく言えます。
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