神経症で悩む人の多くは、視線で苦しんでいると印象を受けます。
人の目が気になる、世間の目やしがらみ、これらもすべて人の目線あってのものですし、それが先鋭化したものが視線恐怖症といえると僕は思う。
「見る・見られる」ということは、そのまま人間関係と直結してるもの。
人からどう思われるかと気になる、恥をおそれることは、そのまま人の視線を気にするということなんだと思います。
鬱病で苦しんでいても、実は対人的な緊張(人の視線への緊張)が強く、ストレスをためてしまったからこそ発症しているかもしれませんし。
もしかしたら、人が盲目で、超音波のようなもので生きる生き物だったら(笑)視線恐怖症なんかおきっこないし、対人恐怖症も減るんじゃないかな。
そんな妄想を考えていた時期もありました。
サングラスをずっとかけていてもOKな社会にならないかなとか。
視線は気にすると、視野がすごく広くなったように感じる。
それが脇目恐怖症(脇見恐怖症)なんだけど、これはめっちゃつらい!
人混み(特に身動きとれない教室や会社)では、気になって気になって落ち着かなくなるし、視野に入ってしまったら外すことが出来ない!
その上、隣の人は、迷惑がるように眼を隠したり、嫌な顔をしたりしてする
自分の存在が迷惑なものにしか思えないし、かといってどうすることもできない。こちらも視線をガードするために、肘をついて目線が行かないように工夫したりする。
罪の意識がどんどん増幅していきました。
もう学校が終わる頃にはへとへとで神経も心もズタボロでした。
せめて視線ではなく、別の部分で対人緊張が起きた方がまだましでした(どちらも苦しいですが)
この脇目(脇見)恐怖症の人口はほんとうに多い!
自分だけと思っている人がいたら、他にも仲間がいます。
一人だけじゃないんだよ!
僕も視線恐怖症になるまでは全く脇目が気になる、自己視線が気になると言うことはありませんでした。
気になったとしてもすぐ忘れていましたし。
世の中のふつうに暮らしている人は、視線にとらわれることなく、ふつうに暮らせています。
なのに、一度気になったら最後です。
めちゃくちゃきついです。
人を避けなければいけなくなるし、人が近くに来ただけで、また自分を見るだけで、めっちゃ緊張してしまうし、必死で気にならないように努力するけれど、ますます引っ張られてしまう。
それこそ全力で抵抗するのだけれど、絶対勝てない。
あるがままが一番と本で読んでも、あるがままが視線が気になる状態なのだから、不都合でたまらなく、常に不安と神経過敏でクタクタになっていました。
で、今日はなんで急に脇目恐怖症、視線恐怖症について書いたかというと、テレビで人の視野は270度ぐらいと聞いて、じゃあ、脇目恐怖症って視野が何度に広がってしまうのか?と思ったわけ。
でも、物理的に急に視野が広くなるなんてないし、結局僕が導き出した結論は「仮に人が視野に入ったとしても、気になるか、気にならないか、仮に気になっても受け流すことが出来て対象をひっぱらないか」の差なんだと思いました。
ふつうの人は視野に入って対象を認識はしても、脳では素通りさせているから、何事もなく暮らせているんだと思うけど、視線恐怖症(脇見恐怖症)の人は視野に入ったら最後、脳がそこだけに異常に集中してとらわれてしまう。
視野に入っている以上、気にするか、気にならないかの違いだけで、ものすごく苦しんでしまうわけですよね。
気になるってことは、人の評価を気にするということだから、よく思われたい! 低く見られたくないという願望が直結しているんだね
よく思われようという思考が最大の癌なんだ!
恥をかきたくないという考えが自分を苦しめ、よけい恥をかかせてしまう!(挙動不審になるから)
もう視野に入った人を気にしてしまうんなら、それを気にしまいと努力しても無理! 無駄な努力。エネルギーの無駄遣い! 理性で必死で努力しても神経症になったら、強化してしまうだけ。
これは経験している人なら大きく頷くと思う。でも必死で気にならないように努力してしまうんだけど。これは最悪の悪循環ですね。
視野に入っているのは確かなんだから(または視野に入ってしまうかもしれない予感)、いかにそれを受け流すかが重要になってくる。まずは!
「受け流す」ことについて、担当心理療法士の岩波先生に言われたことだけど、結構うまいぐあいにいったし、すごく楽になったな。
まぁ、他にもいろいろと視線恐怖、対人恐怖症の処理をしていったんだけど、つまりは「気になることに抵抗しないで(しょうがないんだから)、それを当たり前の状態で右から左へ受け流す」という感じです。
言葉じゃうまく説明できないけれど、こればっかりは「体感」として知るしかないんだよね
いきなり気になるものを気にしないようになるなんて不可能だから。
そして、もう一つ強力に潜在意識に暗示をたたき込んだこともありました。
気になっているんなら、人に迷惑をかけてもいいから、打ち消そうとしないことの方がよっぽど楽です。
僕は暗示を「(視線が)なんだっているんだ! それがなんなんだ! もっと迷惑をかけてやるぞ!」と逆の意味でかけていました。
潜在意識の底に定着させて、かつ脳に入れ込み、本心でそうなるためには、表面だけで念じていても無理。
それこそ視線を気にならないように努力する並に不可能です。
だから、暗示が入りやすい状態になり(トランス状態・極度の変性意識状態)、かつ”狂うぐらいの”気持ちでやることが必要でした。
通われた方が、症状別(対人恐怖症、視線恐怖症など)に関連サイトをまとめてくださっています。
それはこちら
なんか行けるやれる
そうそう。
本当はその受け流すことがあるがままってことなんですよね。
私もそれで脇見がなくなり、楽になった一人です