タイの生活と日本の生活

タイの蝶の写真と、タイの風俗習慣生活等を紹介できれば、と思っています。日本ではタイの雑貨等を輸入販売しています

野中兼山 春野町

2015-09-30 11:25:07 | カメラ
元和元年(1615年)、播州姫路に生まれる。

祖父・野中良平の妻は山内一豊の妹合(ごう)で、父・良明は5000石を領していた。藩主・一豊は、良明に対して幡多郡中村2万9千石を与えると約束していたが、一豊の死後に反故にされたために浪人となっていた。兼山の母は大阪の商家の娘で、父の死後、兼山は母とともに土佐に帰った。

13歳のとき、土佐藩の小倉少介に見込まれて、父の従兄弟で奉行職の野中直継の娘・市の入婿となった。15歳で元服し、良継と名乗った。

寛永13年(1636年)、養父の直継が病死すると野中家を継いで奉行になった。藩主・忠義は、兼山に藩政改革を命じることになる。まず兼山は、堤防の建設、平野部の開拓で米の増産を進め、森林資源の有効活用を行い藩の財源に充てる。また、乱伐を避けるために輪伐制なども導入していた。築港も推し進め、藩内製品の諸国での販売を広める。また、身分にとらわれず郷士などを藩政改革にあてた。藩外からも植物、魚類などを輸入し藩内での育成につとめるなどした。また、捕鯨、陶器、養蜂などの技術者の移入も進め殖産興業を進め専売制の強化なども行った。これらの結果、藩財政は好転を進めていくことになる。

一方で過酷な年貢の取り立てや華美贅沢の禁止などで領民に不満は溜り、逃亡する領民も出てきた。また、郷士の役職への取り立てなどは上士の反発を買い対立を深めていった。

明暦2年(1656年)、藩主忠義が隠居し、3代藩主に忠豊が付く。寛文3年(1663年)、兼山の施政に不満を持つ孕石元政、生駒木工などが家老深尾出羽を通じて忠豊に弾劾状を提出。兼山は失脚し、宿毛に幽閉され、その年に死去した。なお、報復は過酷で男系が絶えるまで一族の幽閉は続き、解かれたのは兼山死去の40年後であった。










浜心うどん に行きました

2015-09-23 15:45:45 | カメラ
浜心うどん 桂浜海近く、
ここのうどん屋さんは、高松方式を取り入れたお店で、
セルフでトレーを持ちながら注文しますが、ほぼ待ち時間がなくて
食べれるのが特徴です、私はかけうどんを注文して、トッピングに
野菜フライと、アジフライを追加します、いずれも味が良くて
時々行きたくなるお店の一つです、お昼時はほぼ満員ですが、
時間待ちが無く、すぐに食べれるのは有り難いです、
もう一人は写真のおでんを頼み二人で、900円具合だったと思います










クールピクスAの実験写真

2015-09-22 16:01:22 | カメラ
クールピクスAで写しました、逆光で、室内です、フラッシュ撮影と
プラス補正をしたものが二枚です、
イロイロ面白がって撮影して、何かのさんこうにしています、
大きな、重いカメラは、4台ありますが、最近は持ち歩かないです、
RICOHのGRにしようか、考えましたが、重量感がある、クールピクスに
なりました、このカメラは、望遠がないから躊躇しましたが、無くても
物が新鮮に見えて、不便は感じなくなりました、








高知のパン屋 クマのパン屋さんです、

2015-09-22 15:33:45 | カメラ
高知も美味しいパン屋さんができました、
香川県に二箇所おなじようなパン屋さんがあり、
名前はパパベルと言って、いつもお客様でいっぱいです、
高知にもできて、ラッキーです、カレーパンとかぼうしパンが
おすすめみたいです、








高知 久礼の大正市場。

2015-09-21 07:39:09 | タイの蝶の写真と生活
高知 久礼の大正市場。
大正町市場は明治の頃、漁師のとってきたお魚と農家さんが作った野菜を物々交換していた場所でした。それから、旦那さんや息子さんの釣ってきた魚を、おかみさんがトロ箱一つで販売を始めると、野菜やお肉、着物など、生活にかかせない物がここ大正町市場で全部まかなえる市場へと成長しました。昔は「町民の台所」と呼ばれ、夕方の風景として、知り合いに合った人々が、「大正町へ行ってきたかよ?」と挨拶するのが日常になるほどでした


















高知のトコロテン 老舗高知屋に行ってきました。

2015-09-20 10:10:15 | 蛙をたべる
高知のトコロテン 老舗高知屋何回食べに行ってもおいしいです。
高知県土佐久礼にある当店は、祖父・祖母がところてんを製造し天秤棒で売り歩いたのが、創業のきっかけとなりました。 創業当時より現在まで変わらぬ秘伝の手作り製法で、瀬戸内海特産である『天草』のみをその原材料にしております。これが、当店のところ天は『磯の香』を存分に残した『健康食品』といわれる所以です。 またご賞味いただく際のたれは、黒蜜や酢醤油ではなく、近海で獲れた良質のじゃこ・鰹節等をもとに、創業当時から変わらぬ味付けの風味を持った当店オリジナルのものです。

  当店の基本概念は、製造・卸売りであるため、県内外の小売店(スーパーマーケットを含む)、飲食店への出荷が主力であることに変わりはありません。しかし、約10年前製造工場の至近に直営店舗を設置したところ、近隣の商店街や海水浴場、リゾートホテル等よりの来店が飛躍的に増え、今や土佐久礼の名物店になっております。その結果、高知県内外のテレビ、新聞、旅行雑誌等のマスコミに再三取り上げられることとなり、近年はこれらの影響・効果によりますお客様、インターネットよりのお客様なども増えてきました。当店は、この全国のお客様のニーズにお答えできるよう、保存法や発送方法を確立いたしました。、、、高知屋のHPより。