そのⅩⅣ 天下布武
天正四年(1576)、織田信長は後に安土桃山時代と呼ばれる元となった、地上
六階、地下一階で吹き抜けを持つ安土城を琵琶湖東岸に築いた。
この日本では克ってない、豪華絢爛で煌びやかな城は天主(本来は天守)閣が
聳えて、あたかも日本中とは言えないまでも、京都と近畿を威嚇していた。
天主閣・・・? 信長は神に成ろうとしていたのだろうか?
織田信長が怖れていた武将、武田信玄に継いで上杉謙信の死で天下布武は加
速度を増し、粗成し遂げられた。
明智光秀と光晴主従は、琵琶湖畔を坂本城目指して騎行していた。
光晴は安土城を振り返り、今更ながら華やかさに眼の眩む思いだった。
「あんな城は見たことは有りません」
「あれは城では無い」
光晴には良く聞こえなかった。安土城に気を取られ、光秀と離れてしまった
からだ。
馬を急がせて光秀と並ぶ光晴の耳に再び光秀の声が届いた。
「あれは城では無い。西洋の大聖堂と呼ばれている建物じゃ」
「大聖堂?」
「神の仮御殿である。故に天守ではなく天主と呼ばせておる」
牡丹のような雪がちらついて来た。
手のひらに雪の結晶を受ける光秀。
その結晶は手の温もりに堪えられずに直ぐ消えた。
「最後の雪かも知れぬ」
「はい、近頃は寒の厳しさも随分と揺らいで参りました」
「信長公は今朝、御馬揃えを命じられた」
「御馬揃え?」
「朝廷と大名、末は民百姓の隅々まで、信長軍の威容を見せつける為じゃ」
そう言うと、光秀は何事か思い出したのか、苦笑を浮かべた。
「日向(ひゅうが)よ」
信長は光秀をいつもこう呼ぶ。陰日向のない武将と、将来は九州を平定せよ
との寓意が込められていた。
「これ日向。京で御馬揃えの支度と、采配を致せ」
光秀が苦笑したのは、この後の言葉故であった。
「吝嗇も大概に致せ。金にいとまを付けるで無いぞ。足り無ければ安土の蔵か
ら幾らでも出す。いや、それよりも猿にでも借りろ」
光秀が又笑った。今度は吹っ切れたのか、からりとしていた。
信長の言葉は更に続く。
「良く聞け、金柑頭。そちの家臣で名だたるは、稲葉一鉄から盗んだ斉藤利三
位であろう。惜しむな、武将は戦の華である。新規に募れ。募って、御馬揃え
では騎馬隊を三隊組織し、騎馬戦を見せろ。この信長に恥を掻かせるな」
斉藤利三は明智家の筆頭家老で、末娘お福は後の三代将軍家光の乳母とし
て、大奥で権勢を欲しいままにした春日局である。
「殿、風の斡旋で武田の浪人三十名を召し抱えました」
「三十名か? 家康は随分と召し抱えたというぞ。まあ良い、武田の残党なら
騎馬術に長けておろう。隊長の人選は抜かるな」
「畏まりました」
「それから、三十名の騎馬上手を二隊組織せよ」
「合わせて三隊? いかが致します」
「来たるべき御馬揃えで仮の騎馬戦を演じさせる為じゃ」
光晴には過ぎた命令だった。六十名の騎馬武者は何とでもなるが、その隊長
に心当たりが無かった。
「一つお訊きして宜しいでしょうか?」
「なんだ、改まって」
「以前、殿はわたくしに、菩薩に復讐を願った時に、人では無くなったの言わ
れましたが、近頃は随分と人臭くなったと思います」
「悪魔に魂を売ったのじゃ。わしと同時にな。悪魔は人の心に住み着いて、悪
さをしたり、人を殺めたりするが、それも数年の間だけ。悪魔は気紛れでな。
そなたは十分に立派な人として成長を遂げた」
光晴は、今では斉藤利三と並んで家老職を勤めていた。
天正9年2月28日(1581年4月1日)、京都内裏東にて御馬揃えが行われた。
一番隊・惟住五郎左衛門尉長秀(丹羽長秀)。
二番隊・蜂屋兵庫頭(蜂屋頼隆)。
三番隊・惟任日向守(明智光秀)。
四番隊・村井作右衛門(村井貞成)。
越前衆・柴田修理亮(柴田勝家)。
その他にも、欧風の甲冑にビロードのマントと傾きを尽くした信長本人は勿
論、御連枝の御衆に公家衆と織田軍団を総動員する大規模なものだった。
正親町天皇も招待され、馬術に通じた公家には馬揃への参加が許された。
今風に言うと、フリー参加型の大イベントで、公家から大名、一般庶民も観
覧を許され、軍団と観衆の総数は十万位に成ったと想像できます。
「でかした日向」
信長は光秀を呼びつけ、珍しくも上機嫌で褒めあげた。
「よくぞここまで。見事で有る」
「なんの上様、見物はこれからで御座る」
光秀が采配を頭上で振ると、蒼揃いの甲冑に漆塗りの面を付けた騎馬武者が
信長に大長刀を捧げて、
「馬上故、御免仕る」
大音声で呼ばわった。
「日向、あれはお前の家臣か?」
「燦候」
また一騎、今度の武者は萌葱揃で長槍を頭上で勇ましく旋回させていた。
「我が槍と騎馬術を御覧じ有れ」
「オウ! 承った」
思わず信長が鬨の声を上げると、全軍団が声を揃えて雄叫びを上げた。
「エイ、エイ、オー! エイ、エイ、オー!」
或る者は箙を叩き、或る者達は槍刀を打ち鳴らしあった。
信長の顔が興奮で紅潮していた。
今度は空馬が駆けてきて信長の前で止まると、前足を折り曲げて御礼を捧げ
た。
「今度はなんじゃ?!」
「上様の御前ではあるが、姿を現せ!」
光秀が叫ぶと、騎馬の上に姿を現す、紅に燃える甲冑に面の武具で揃えた武
者、襷に掛けた長刀を抜き放って頭上に掲げた。
「尻れい仕る!」と、言うや否やくるりと身体を回転させ、そのまま駆けて行
った。
「あの者は軽業師か?」
「なんの、実戦でも強う御座る」
天皇も公家も、騎馬武者達も観衆も皆ヤンヤの大喝采を上げた。
三騎の武者は、それぞれ蒼、萌葱、赤で揃えた三十騎の先頭に立った。
「方円! 方円の陣」
「オオッ!」
槍で揃えた萌葱の騎馬武者が大将を囲んで林のような槍衾を作った。
「偃月(えんげつ)」
「畏まった!」
蒼の部隊は、大将自らが大長刀を振るって敵陣に攻めかける態勢をとった。
「我らは車掛じゃ!」
「承った!」
赤の武者達は一斉に刀を抜き放った。
この三十騎は、川中島で謙信の取ったこの陣形に苦しめられた武田の残党
で、名だたる赤揃えの騎馬武者揃い。
蒼の大将が萌葱の槍衾に攻めかかった。
一方が崩れかかった。
「静まれ! 整えて堪えよ」
大将の下知で態勢を整える萌葱部隊。
今度は別の方から、赤の武田武者が車掛かりで次々と突っ込んで来た。
どうやらまず萌葱部隊を滅ぼしてから、蒼と赤で決戦をする作戦だ。
堪らず崩れかかった部隊に大将が命じた。
「背水の陣を敷け!」
萌葱隊は築地塀を背に必死の陣形を取った。
「実戦ではああは上手くいかぬぞ」
信長の問に応える光秀。
「なんのなんの」
「鋒矢」
「魚鱗」
目まぐるしく陣形を変えて鬩ぎ合う三隊。
実戦宛らの迫力だった。
「日向、あの三名をわしに譲れ」
「恐れながら、上様の仰せでもこれだけは適いませぬ」
「相変わらず吝い奴じゃ」
顔を合わせて共に高笑いする二人。
2017年2月21日 Gorou
天正四年(1576)、織田信長は後に安土桃山時代と呼ばれる元となった、地上
六階、地下一階で吹き抜けを持つ安土城を琵琶湖東岸に築いた。
この日本では克ってない、豪華絢爛で煌びやかな城は天主(本来は天守)閣が
聳えて、あたかも日本中とは言えないまでも、京都と近畿を威嚇していた。
天主閣・・・? 信長は神に成ろうとしていたのだろうか?
織田信長が怖れていた武将、武田信玄に継いで上杉謙信の死で天下布武は加
速度を増し、粗成し遂げられた。
明智光秀と光晴主従は、琵琶湖畔を坂本城目指して騎行していた。
光晴は安土城を振り返り、今更ながら華やかさに眼の眩む思いだった。
「あんな城は見たことは有りません」
「あれは城では無い」
光晴には良く聞こえなかった。安土城に気を取られ、光秀と離れてしまった
からだ。
馬を急がせて光秀と並ぶ光晴の耳に再び光秀の声が届いた。
「あれは城では無い。西洋の大聖堂と呼ばれている建物じゃ」
「大聖堂?」
「神の仮御殿である。故に天守ではなく天主と呼ばせておる」
牡丹のような雪がちらついて来た。
手のひらに雪の結晶を受ける光秀。
その結晶は手の温もりに堪えられずに直ぐ消えた。
「最後の雪かも知れぬ」
「はい、近頃は寒の厳しさも随分と揺らいで参りました」
「信長公は今朝、御馬揃えを命じられた」
「御馬揃え?」
「朝廷と大名、末は民百姓の隅々まで、信長軍の威容を見せつける為じゃ」
そう言うと、光秀は何事か思い出したのか、苦笑を浮かべた。
「日向(ひゅうが)よ」
信長は光秀をいつもこう呼ぶ。陰日向のない武将と、将来は九州を平定せよ
との寓意が込められていた。
「これ日向。京で御馬揃えの支度と、采配を致せ」
光秀が苦笑したのは、この後の言葉故であった。
「吝嗇も大概に致せ。金にいとまを付けるで無いぞ。足り無ければ安土の蔵か
ら幾らでも出す。いや、それよりも猿にでも借りろ」
光秀が又笑った。今度は吹っ切れたのか、からりとしていた。
信長の言葉は更に続く。
「良く聞け、金柑頭。そちの家臣で名だたるは、稲葉一鉄から盗んだ斉藤利三
位であろう。惜しむな、武将は戦の華である。新規に募れ。募って、御馬揃え
では騎馬隊を三隊組織し、騎馬戦を見せろ。この信長に恥を掻かせるな」
斉藤利三は明智家の筆頭家老で、末娘お福は後の三代将軍家光の乳母とし
て、大奥で権勢を欲しいままにした春日局である。
「殿、風の斡旋で武田の浪人三十名を召し抱えました」
「三十名か? 家康は随分と召し抱えたというぞ。まあ良い、武田の残党なら
騎馬術に長けておろう。隊長の人選は抜かるな」
「畏まりました」
「それから、三十名の騎馬上手を二隊組織せよ」
「合わせて三隊? いかが致します」
「来たるべき御馬揃えで仮の騎馬戦を演じさせる為じゃ」
光晴には過ぎた命令だった。六十名の騎馬武者は何とでもなるが、その隊長
に心当たりが無かった。
「一つお訊きして宜しいでしょうか?」
「なんだ、改まって」
「以前、殿はわたくしに、菩薩に復讐を願った時に、人では無くなったの言わ
れましたが、近頃は随分と人臭くなったと思います」
「悪魔に魂を売ったのじゃ。わしと同時にな。悪魔は人の心に住み着いて、悪
さをしたり、人を殺めたりするが、それも数年の間だけ。悪魔は気紛れでな。
そなたは十分に立派な人として成長を遂げた」
光晴は、今では斉藤利三と並んで家老職を勤めていた。
天正9年2月28日(1581年4月1日)、京都内裏東にて御馬揃えが行われた。
一番隊・惟住五郎左衛門尉長秀(丹羽長秀)。
二番隊・蜂屋兵庫頭(蜂屋頼隆)。
三番隊・惟任日向守(明智光秀)。
四番隊・村井作右衛門(村井貞成)。
越前衆・柴田修理亮(柴田勝家)。
その他にも、欧風の甲冑にビロードのマントと傾きを尽くした信長本人は勿
論、御連枝の御衆に公家衆と織田軍団を総動員する大規模なものだった。
正親町天皇も招待され、馬術に通じた公家には馬揃への参加が許された。
今風に言うと、フリー参加型の大イベントで、公家から大名、一般庶民も観
覧を許され、軍団と観衆の総数は十万位に成ったと想像できます。
「でかした日向」
信長は光秀を呼びつけ、珍しくも上機嫌で褒めあげた。
「よくぞここまで。見事で有る」
「なんの上様、見物はこれからで御座る」
光秀が采配を頭上で振ると、蒼揃いの甲冑に漆塗りの面を付けた騎馬武者が
信長に大長刀を捧げて、
「馬上故、御免仕る」
大音声で呼ばわった。
「日向、あれはお前の家臣か?」
「燦候」
また一騎、今度の武者は萌葱揃で長槍を頭上で勇ましく旋回させていた。
「我が槍と騎馬術を御覧じ有れ」
「オウ! 承った」
思わず信長が鬨の声を上げると、全軍団が声を揃えて雄叫びを上げた。
「エイ、エイ、オー! エイ、エイ、オー!」
或る者は箙を叩き、或る者達は槍刀を打ち鳴らしあった。
信長の顔が興奮で紅潮していた。
今度は空馬が駆けてきて信長の前で止まると、前足を折り曲げて御礼を捧げ
た。
「今度はなんじゃ?!」
「上様の御前ではあるが、姿を現せ!」
光秀が叫ぶと、騎馬の上に姿を現す、紅に燃える甲冑に面の武具で揃えた武
者、襷に掛けた長刀を抜き放って頭上に掲げた。
「尻れい仕る!」と、言うや否やくるりと身体を回転させ、そのまま駆けて行
った。
「あの者は軽業師か?」
「なんの、実戦でも強う御座る」
天皇も公家も、騎馬武者達も観衆も皆ヤンヤの大喝采を上げた。
三騎の武者は、それぞれ蒼、萌葱、赤で揃えた三十騎の先頭に立った。
「方円! 方円の陣」
「オオッ!」
槍で揃えた萌葱の騎馬武者が大将を囲んで林のような槍衾を作った。
「偃月(えんげつ)」
「畏まった!」
蒼の部隊は、大将自らが大長刀を振るって敵陣に攻めかける態勢をとった。
「我らは車掛じゃ!」
「承った!」
赤の武者達は一斉に刀を抜き放った。
この三十騎は、川中島で謙信の取ったこの陣形に苦しめられた武田の残党
で、名だたる赤揃えの騎馬武者揃い。
蒼の大将が萌葱の槍衾に攻めかかった。
一方が崩れかかった。
「静まれ! 整えて堪えよ」
大将の下知で態勢を整える萌葱部隊。
今度は別の方から、赤の武田武者が車掛かりで次々と突っ込んで来た。
どうやらまず萌葱部隊を滅ぼしてから、蒼と赤で決戦をする作戦だ。
堪らず崩れかかった部隊に大将が命じた。
「背水の陣を敷け!」
萌葱隊は築地塀を背に必死の陣形を取った。
「実戦ではああは上手くいかぬぞ」
信長の問に応える光秀。
「なんのなんの」
「鋒矢」
「魚鱗」
目まぐるしく陣形を変えて鬩ぎ合う三隊。
実戦宛らの迫力だった。
「日向、あの三名をわしに譲れ」
「恐れながら、上様の仰せでもこれだけは適いませぬ」
「相変わらず吝い奴じゃ」
顔を合わせて共に高笑いする二人。
2017年2月21日 Gorou