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一聞百見「釜石の奇跡」を導いた男 津波・地震をやり過ごす教育の真髄2021/3/19 北村理

2022-05-02 12:16:26 | 連絡
2021/3/19 北村理
東日本大震災から間もなく10年。
この間、日本列島は相次ぐ災害に見舞われるなかで、防災対策は行政主導から住民による自助、共助主導へと大きくかじを切ろうとしている
そのきっかけとなったのは、岩手県釜石市の小中学生約3千人が防災教育・訓練の成果を生かし自主的に避難した「釜石の奇跡」だ。
釜石の小中学生を8年間にわたり指導した片田敏孝・東京大特任教授(60)
<片田 敏孝(かただ としたか、1960年11月19日 -61歳 )は、日本の工学者。防災研究者。群馬大学名誉教授。東京大学情報学環特任教授。


はこの10年間全国を駆け回り、避難対策の指導を続ける。片田さんに、釜石の子供たちの行動への評価とその後の反響について聞いた。
(聞き手・編集委員 北村理)
 〇防災教育の成果
--10年を振り返って
片田 大震災から4日後の3月15日、釜石にようやくたどり着いたとき、市職員から「子供たちは無事でした」と聞かされました。
その一言があったからこそ、この10年間、全国の自治体での避難対策の指導や、政府への提言を続けられていると改めて感じています。
--本紙は片田さんが釜石で活動を始めたときから報道し、大震災前年も防災教育が浸透し始めたと報じたので、大震災当日も片田さんに取材しました
片田 当初返答できなかったのは、釜石に連絡を取るのをためらっていたからでした。
子供たちの主体性を育むため、高齢者を助ける訓練にも取り組んでいましたので、逃げ遅れたのではないかと心配したのです。
15日に実態が分かるまで、どう責任を取ろうかとそればかり考えていました。今でもこのときの焦りは鮮明に記憶しています。
--数十人の子供の遺体が釜石の海岸でみつかったという誤報も流れました
片田 亡くなったのは小中学生3千人のうち5人でした。
学校の管理下にあった小中学生は全員無事だったのですが、市中心部の高台にある釜石小学校は8割の児童が下校していました。
当時の加藤孔子(こうこ)校長は、学校まで津波が押し寄せたのをみて、
覚悟したと話していました。教員は大震災当日夜から自らの被災も顧みず安否確認に奔走したそうです。
心中如何(いか)ばかりだったかしのばれます。
--加藤さんによると、13日午後3時2分、全員の無事を確認し、教員らは涙を流し歓声をあげたそうです。(注1)
(注1)岩手県釜石市立釜石小学校校歌:生きるための羅針盤みたいな歌作詞井上ひさし、作曲宇野誠一郎
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/d0ffcbb5c092d849754bf641564b9e48

片田 小中学生は防災教育・訓練の通りに地震と同時に津波を想定し避難しました。
家に1人でいた子、足の不自由な友達を背負って逃げた子たち、ある兄弟は3階建ての自宅の屋上で津波をかぶりながらも助かりました。
彼らは自宅周辺が浸水したのをみたとき、50センチの津波でも流されると教わったのを思い出し、自宅にとどまりました。「
津波来ない」という祖父母を引っ張り出した子、あの日あのときの子供たちの行動は大人の想像をはるかに超えたものでした。
--各学校は取材に、防災教育の成果だったと認めていました
片田 対談した教育評論家の尾木直樹さん
尾木 直樹(おぎ なおき、1947年1月3日 - 75歳)は、日本の教育評論家、法政大学名誉教授、臨床教育研究所「虹」主宰。愛称は「尾木ママ」[1][2][3]。
 
は「子供の生きる力を引き出すのが教育の本来の姿。それを釜石の子供たちは示した」と評価しました。
〇子供から大人へ、意識変える
--子供たちに避難できた理由をきくと
「片田さんや先生が本気で心配してくれたから」と答えました
片田 その心配が釜石で大震災まで8年にわたり防災教育を続けた理由です。当初、子供たちに津波の話をすると「逃げないよ」というのです。
何度も津波の被害を受けている釜石では、世界で最大級の湾口防波堤が築かれました。大震災の津波で破壊されてしまうのですが、釜石の大人たちは「お金をかけた防波堤があるのになぜ逃げねばならん」という意識が強く、それが子供たちにも伝わっていたのです
--そのまま大震災を迎えていたらと思いますね
片田 明治29年の三陸地震では住民の4分の3が犠牲になっています。
ですから子供たちがどうなるのかは容易に想像できました。
住民の意識を変える方法を模索する中で、学校に着目しました。
子供たちに教育すれば家庭に伝わると考えました。
大震災後に行った避難調査をみると子供が地域の大人を巻き込み避難した状況が分かります。
--ある教員は、教わった通り地震と同時に避難し始めた子供たちに引っ張られたと話していました
片田 大人は日々の仕事や生活に縛られてますから、いつ起きるか分からない災害に備えることに積極的でないのです。
子供にはそれがないので、教わった通りに迷わず行動します。防災教育を始めた当初、教員も「忙しいから」と腰が重かったのです。
--教員の意識はどう変わったのですか
片田 意識調査をしたら、教員の6割が津波と無縁の岩手県内陸部の出身でした。
これでは防災教育は進まないと感じ、当時の教育長に全教員対象の講演会の開催をお願いし、そこで「このままでは子供たちの命は守れない」と訴えました。
教育長は釜石沿岸部で代々津波の被害を受けた家系だったので、協力を得られました。こうした講演を重ねるうちに理解ある教員が増えていったのです。
--防災教育のポイントは何でしたか
片田 まずは、豊かな漁場など自然に恵まれた釜石で生活するためには、津波地震をやり過ごすことも必要だという話をし、なぜ防災教育・訓練に取り組まねばならないのかを小中学生に納得させました。
そのうえで、各教科に津波や地震の学習を織り込んだカリキュラムを開発したり、津波の碑から歴史を学んだり、通学路を歩き避難場所・避難路の確認マップを作成しました。
また家族と避難計画を話し合い、地震発生時に家族がそれぞれどこへ逃げるのか確認することを求めました。
--大震災の津波は事前の想定を超えていましたが小中学生は避難しました
片田 避難対策は行政が公表するハザードマップ(被害想定地図)を目安にしますが、自然災害は毎回違う起こり方をします。
ですから、子供たちには、地震即避難とともに「想定を信じるな」「状況下で最善を尽くせ」という教育を徹底しました。(注1)
〇防災は生活に根差した知恵
--釜石の子供たちの避難は本紙が大震災6日後に報道し反響を呼びました
片田 従来、行政が住民を守ると定めた災害対策基本法に住民による防災計画が位置付けられるきっかけとなりました。意外だったのは金融、鉄道、メーカーなど企業からの社員研修の依頼でした。彼らの関心は小中学生があの困難な状況でなぜ自主的に判断し避難できたのかでした。
--企業の反響について著書「失敗の本質」で知られる経営学者の野中郁次郎さん
野中 郁次郎(のなか いくじろう, 1935年5月10日 -87歳 )は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授、カリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授、日本学士院会員。
知識経営の生みの親として知られる。
2002年に紫綬褒章受章。
2017年、カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールから同大学最高賞の生涯功績賞を史上5人目として授与された。
元組織学会会長。
 
が分析しています
片田 野中さんは、防災教育の目標が「釜石で幸福に生きること」であることを評価しました。誰もが納得できる目標に向かい、皆で知恵を出し合い災害に備えるという前向きの姿勢が困難な状況下での判断力を生んだと。
一方、停滞気味の企業は目標を見失いがちで、社員は自主性を失っており、だからこそ釜石の事例に学ぼうとしているとの分析でした。
--本紙はこの10年、野中さん、尾木直樹さんなど各界の専門家と片田さんの対談を企画し、釜石の防災教育の効果を検証しました
片田 建築家の安藤忠雄さん
<安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年(昭和16年)9月13日 - 81歳)は、日本の建築家。一級建築士(登録番号第79912号)。安藤忠雄建築研究所代表[1]。東京大学特別栄誉教授[2]。21世紀臨調特別顧問、東日本大震災復興構想会議議長代理、大阪府・大阪市特別顧問。コンクリート打ちっ放し建築を主に住宅や教会、ホテルなど国内外に数々の作品を発表。「住吉の長屋」(1976年)、「光の教会」(1989年)、「ベネッセアートサイト直島」(1992年-)、「淡路夢舞台」(2000年)、「こども本の森 中之島」(2020年)などの代表作が知られる[1][3]。 

 

との対談で、安藤さんは「生まれ育った場所の自然によって人間性、生きる力が育まれる。自然への不安があるからこそ想像力や行動する勇気がわいてくる」と話されました。
このことはまさに釜石の防災教育が目指していたことであり、この10年、全国で防災教育の指導をするうえで励みになっています。
--平成26年に皇居で天皇、皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)へのご進講の機会がありました
片田 ご進講は2時間以上に及びました。両陛下は子供たちの避難の様子だけでなく、なぜそのような行動を取ったのかについて、ひとつひとつ納得するまで質問されました
--当時の侍従長の川島裕(ゆたか)さん
<川島 裕(かわしま ゆたか 1942年5月2日 - 80歳)は、日本の官僚、元外交官。侍従長(第8代)。外務事務次官を務めた。犬養毅の曽孫。 

によると、両陛下は地震学者のご進講を聞かれる度に「国民はどうすればよいのか」と心配され、その答えを片田さんからお聞きになり喜ばれたということでした
片田 ご進講後、皇后さまから「子供たちの教育のことよろしく」とお言葉をいただきました。1度のご進講で、防災は知識や方法論ではなく、その土地の自然への理解、生活に根差した知恵であるべきだという深い理解をされたことに驚きました。
--近年、AI(人工知能)など情報技術で防災を解決すべきだとの主張がみられます
片田 釜石の子供たちは情報に頼らず逃げました。
本質論でいえば災害時の避難に情報は不要です。
ふだんの備えがあれば、災害が起こった瞬間から避難行動に移るからです
情報に頼ると、ふだんの備えを怠ります。
また災害時は必ず想定外の現象が発生します。
その時のとっさの判断力は、釜石の子供たちのように自然への理解を深め、
具体的な行動計画を身に付けていないと、働きません。
そのことを今後も伝えていきたいと思います。





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