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不快指数(東京湾西岸大田区本門寺公園)4/11(日)6時晴れ寒い・・・4/12(月)・・・

2021-04-11 09:38:57 | 連絡
〇不快指数(東京湾西岸大田区本門寺公園)



4/11(日)6時晴れ寒い、12時晴れ肌寒い、18時晴れ肌寒い
〇4/11(日)6時、屋内18℃48%何も感じない
〇4/12(月)6時晴れ寒い、12時晴れ何も感じない、18時晴れ肌寒い
〇不快指数は、1957年(昭和32)、米国で蒸し暑さを示す温湿度指数を冷房設計に用いたのが最初。日本では1961年(昭和36)夏から使われ始めた。
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E5%BF%AB%E6%8C%87%E6%95%B0-123712
不快指数 DIは(Tは乾球気温℃、Hは湿度%)下式から計算する。
DI=0.81T+0.01H×(0.99T−14.3)+46.3 
寒い<55、55≦肌寒い<60、60≦何も感じない<65、65≦快い<70、70≦暑くない<75、75≦やや暑い<80、80≦暑くて汗がでる<85、86<暑くてたまならい
気温と湿度だけで算出するので、必ずしも体感とは一致しない。
〇弧状列島、東京湾西岸の鎌倉時代対平成・令和時代の対比?:1260年~1281年代の鎌倉幕府北条氏・日蓮上人対クビライ(忽必烈)皇帝の元寇➡753年後➡ 2013年~2021年代の太平洋・インド洋海路国・地域連携対西大陸習近平主席・皇帝独裁政治体制(注1)の一帯一路・海外遠征

  • 民主主義指数


〇2016年03月04日 06:56文藝春秋SPECIAL 2016春「世界史のなかの戦国時代~異常気象 小氷河期が戦乱を生んだ~」田家康(日本気象予報士会東京支部長)8世紀から13世紀にかけては太陽活動が現在と同様に活発であり、世界史の尺度でいう「中世」に「温暖期」があっただろうとされている。その後の15世紀から19世紀にかけては、太陽活動は低迷しており、時に大きく下がった時期があったことがみてとれる。このおよそ400年間は、気温が現在よりも低下していたことから小氷期(小氷河期)とよばれている。
 


〇中世の温暖期八戸藩飢饉一千年小史によると、この資料には過去1300年くらいの災害や飢饉の記録があるが、874年から1229年までの357年間にはなぜか飢饉・凶作の記録がない。同じ平安時代西日本では大旱魃で飢饉が頻発している。さらに屋久島の年輪の記録からも中世の温暖期の痕跡が読み取れる。


○弧状列島、東京湾西岸、大田区、「馬込文士村」、昭和28(1953)年~52(1977)年まで大田区中央1丁目(大田文化の森https://www.jalan.net/kankou/spt_13111ae2192002358/近く)に古書店「山王書房」(現在「カフェ昔日の客」)店主の関口良雄さん著書『昔日の客』には、尾崎一雄、尾﨑士郎、上林暁、野呂邦暢、三島由紀夫…作家たちとの交流が書き残されてれています。


□本門寺公園の気温、湿度、天気のサイト

□不快指数計算サイト


□東京湾西岸,大田区の3時間毎天気のサイト
https://tenki.jp/forecast/3/16/4410/13111/3hours.html 



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