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[筆者プロフィール] 丸谷 元人(まるたに・はじめ)
1974(昭和49)年、奈良県生れ。
1974(昭和49)年、奈良県生れ。
オーストラリア国立大学卒業、同大学院修士課程中退(東アジア安全保障)。オーストラリア戦争記念館の通訳翻訳者を皮切りに、パプアニューギニアでの戦跡調査や、輸送工業事業及び飲料生産工場の設立経営、さらにそれに伴う各種リスク対策(治安情報分析、要人警護等)を行った後、西アフリカの石油関連施設におけるテロ対策や対人警護/施設警備、地元マフィア・労働組合等との交渉や治安情報の収集分析等を実施。
また、米海兵隊や米民間軍事会社での各種訓練のほか、ロンドンで身代金目的の誘拐対処訓練等を受ける。
さらに防衛省におけるテロ等の最新動向に関する講演や、一般企業に対するリスク管理・危機管理に関するコンサルティングに加え、複数のグローバルIT企業における地域統括セキュリティ・マネージャー(極東・オセアニア地区担当)やリスク/危機管理部門長等を歴任。
現在、日本戦略研究フォーラムの政策提言委員として、『週刊プレジデント』や月刊誌『VOICE』『正論』などへの執筆をも行う。
著書に『The Path of Infinite Sorrow: The Japanese on the Kokoda Track』(豪Allen & Unwin社)、『ココダ 遥かなる戦いの道』『日本の南洋戦略』『日本軍は本当に「残虐」だったのか』『学校が教えてくれない戦争の真実』(ハート出版)、『なぜ「イスラム国」は日本人を殺したのか』(PHP研究所)等がある。
著書に『The Path of Infinite Sorrow: The Japanese on the Kokoda Track』(豪Allen & Unwin社)、『ココダ 遥かなる戦いの道』『日本の南洋戦略』『日本軍は本当に「残虐」だったのか』『学校が教えてくれない戦争の真実』(ハート出版)、『なぜ「イスラム国」は日本人を殺したのか』(PHP研究所)等がある。
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今回の事件を防げなかったことは返す返すも残念至極だ。
かつて歴代最長の政権運営を行い、バランス感覚のある外交安全保障政策を推進してきた安倍晋三という人物を警察が守れず、みすみす失ってしまったという点においては取り返しのつかない大失態であったと言える。
そして残念ながら、今回の失敗は、日本警察の警護能力の低さの証明とともに、世界中の警察や軍などにおいて「絶対にやってはならない失敗のお手本」として、長く引き合いに出されることになるだろう。
とはいえ、人間も組織も間違いは犯すものだ。
そしてその間違いは、時に取り返しのつかないものになってしまうわけだが、しかし責任をしっかりと追及し、失敗の原因を把握した以上は落ち込んでいても仕方ない。
この悔しさや痛みをしっかりと受け止めて、再び、今度はより強く立ち上がるしかないのである。
実は、ここまで偉そうに書いてきた筆者もまた、アフリカ勤務時代に取り返しのつかない失敗をしている。
当時、筆者が所属していた企業は、現地のある大企業およびその創業者とビジネス上のトラブルを抱えており、その解決のために交渉せざるを得ない状況になっていた。その相手はアフリカ経済界の超大物であるものの、正体は、競合企業の乗っ取りや誘拐監禁、さらに事故に見せかけた殺しまでやるという、ヤクザ以上に危険な男であった。
そんな相手との交渉を担当することになったのが当時の筆者の直属の上司であったが、この方は「セキュリティなど保険に過ぎない。
金ばかりかかるだけで不要」という、平和ボケした日本のサラリーマンにありがちな考えをお持ちであった。
それでも筆者は、そんな上司に対して、彼が交渉をしようとしている相手がどれだけ危険な人物かを説明し、そんなところにノコノコと出ていくべきではない、どうしても行くなら身辺警護に加えて大統領府などとも繋がっている弁護士などを帯同すべきだという意見具申を何回も行った。
しかし上司は、「そんなこと言っていたら何もできないだろう。
それにあなたはいつも危ない危ないと言うが、結局何も起こらないじゃないか」と言われ、やがて他の数人の幹部からも「丸谷は狼少年だ」などと陰口を叩かれるようになった。
筆者自身、そんな反応に内心反発しつつも意見具申を続けたが、あまりの陰口に嫌気が差したこともあり、その上司が交渉に出かける日の朝に限っては、一切のアドバイスをすることをしなかった。
そうしたら、その日のうちに事件が起きてしまった。
筆者が危険だと警告したその相手のオフィスに丸腰で交渉に出かけた上司は、そこに突然踏み込んできた、金で雇われたに違いない武装警察隊に身柄を拘束された上、パスポートを取り上げられ、不潔な留置所に不法監禁されてしまったのである。
上司はその後も軟禁状態に置かれることとなってしまったのだが、日本本社の懸命な交渉に加えて、パートナー企業や顧客の協力、さらに政府機関への働きかけなどが功を奏した結果、この事件は2カ月近く経ってようやく解決を見た。
晴れて自由の身となった上司は、そうして事件が解決するや否やすぐに日本に帰国されたが、もともとの持病が凄まじいストレスのせいで悪化したこともあったのだろう、帰国して数週間で亡くなってしまったのである。
その後、盛大な社葬が行われたので筆者も足を運んだが、まだ中学生か高校生くらいのお子さんがいたのを見て、重いハンマーで頭を殴られるような感覚に陥ったものであった。
確かに現場では何度も言い合いさえした上司ではあったが、それでも実際にその方が命を落としてしまった、そして自分がそれを守れなかったという現実が一気にのしかかってきたのである。
特に、なぜ上司が出発する当日の朝、最後の最後まで身辺警護と弁護士をつけてほしいと言わなかったのか、なぜあそこで諦めてしまったのか、ということが悔やまれてならなかった。
もちろん、その上司はそんな忠告など聞かなかったかもしれないが、万が一にも聞いてくれたかもしれないし、そうであれば、この目の前で黙しているご遺族の方々はこんなところで嘆き悲しまずに済んだはずなのである。
そんな時に、関係者から追い討ちの如く浴びせられたのが「あの人を殺したのはお前だ」という心ない声であった。
その言葉はその後も長く筆者自身を苦しめ、その結果、自分はセキュリティの仕事など向いていない、いっそのことやめてしまおうとさえと思ったのだが、そんな取り返しのつかない失敗の経験から学んだのは、セキュリティ要員というのは、なにを言われても伝えるべきことは伝え、どんな状況にあっても諦めてはならず、また「そんなものは絶対にあり得ない」という考えを持ってはいけない、ということだった。
警備、警護を担当する人間には「何もないのが当たり前」に浸ることなく、「何もないのを当たり前にする」ための努力が常に求められるからである。
〇事件を契機として警護能力の飛躍的強化を
ちなみに、かつて「狼少年」などと笑われていた筆者が立ち直ったのは、『企業危機管理』(ダイヤモンド社、1998年発行)という本を読んだことにある。
同書は、公安畑から奈良県警本部長などを経て警察庁警備局長になられた故・三島健二郎氏の作であり、この名著からは今でも学ぶところが大変に多いのだが、この本の副題にある「狼少年で何が悪い」という言葉に筆者は救われたと言っても過言ではない。
以来、この本は筆者のバイブルとなっているが、おかげで筆者は、過去に自身が犯した前述の取り返しのつかない失敗を乗り越えて、もう一度セキュリティや危機管理の仕事をやろうと心に決めて今日に至っている。
前出の米民間軍事会社代表のマスタレルズ氏は、「確かに計画的な攻撃から防御することは常に非常に困難です。しかし、だからこそ警護を担当するSPは、極めて実戦的な訓練を日々徹底的に行いつつ、世界中で発生している最新のテロ戦術の情報を熱心に収集分析して、それらにも対応可能な知識と技量を維持していく必要があるのです」と言っている。
一方、元ロンドン警視庁のガルブレイス氏は「強力な警護チームを作るには多額のコストがかかる」と指摘する。
「強力な警護チームの育成に向けた投資は、少額の掛け金だけではいざという時に満足な補償は期待できないという点で旅行保険に似ています。
安倍元総理のような人物を二度と失わないためには、高いコストをかけてでも要員に最新かつ包括的な訓練を提供し続けて経験を積ませることで、どんな状況でも対象者を必ず守ることができる高い能力を備えた警護チームを地道に作っていくしかありません。そこに近道など存在しないのです」(ガルブレイス氏)
警備や警護の世界は、ゼロか100しかない。
何もなければ時に「お前らなど不要じゃないか」と言われるし、何かあったら「なぜ防げなかったのか」と非難されてしまうような仕事でもある。
しかし、そんな万に一つあるかも知れない状況に日々備えるのが、プロの警護要員の任務だし、経験豊富な海外の警護チームもまた、いくつもの大失敗を乗り越え、多くの血を流しながら、一流となるための研鑽を今日もずっと積んでいるのである。
今回、一警護チームの気の緩みが、日本という国にとって極めて重要な立場にあったリーダーの損失という重大な事態を招いてしまった。
この失敗はいくら後悔しても取り返せるものではない。
また、日本警察の能力に対する国内外の信頼はこれで大きく揺らぐであろうし、犯罪予備軍やテロ組織に対しても、日本という国は攻撃しやすい場所であるとの印象を与えてしまったことであろう。
つまり、今回の失敗によって日本の未来とその安全は大きく損なわれてしまったと言える。
日本の警察SPの皆さんには、今回の事件で失った内外の信頼を取り戻すため、そしてより安全な日本を作るためにも、この国の治安を長らく守ってきたという伝統と日本警察のプライドをかけて、是非ともこの悲劇的な安倍元総理銃撃事件を乗り越え、その経験を糧にさえして警護技術の飛躍的強化に取り組んでいただきたい。
それが、自らの政治生命をかけて日本の安全保障の向上に貢献し続けた故・安倍晋三元総理への最大の手向けではないだろうか。
◎本稿は、「日本戦略研究フォーラム(JFSS)」ウェブサイトに掲載された記事を転載したものです。
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