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由紀さおり・安田祥子「春の小川」
由紀 さおり(ゆき さおり、1946年[1]11月13日 - 74歳)は、日本の歌手、タレント、女優、ナレーター。本名・旧芸名、安田 章子(やすだ あきこ)。田辺エージェンシー・安田音楽事務所所属。血液型はA型。
群馬県桐生市出身。ひばり児童合唱団出身。洗足学園第一高等学校を経て、洗足学園短期大学英文科卒業[2]。姉は声楽家の安田祥子。シンガー・ソング・コメディアンを自称(正しくはシンギング・コメディエンヌ)。
群馬県桐生市に生まれ、3歳で横浜市へ移る。少女時代から姉の安田祥子と共に本名の「安田章子」名義で童謡歌手として活躍。1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」にて歌謡曲の歌手としてデビューするが、ヒットに恵まれず停滞の時代に入る。童謡歌手時代からの仕事であるCM曲やテレビ・ラジオ主題歌の吹き込みや、「大人の世界を歌えるように」という修行の意味合いもあったキャバレー・ナイトクラブへの出演を行いながら雌伏の時を過ごす。
由紀さおりとして再出発[編集]
1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)より再デビュー作となった「夜明けのスキャット」が発売される。元々TBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のOPとして制作され、当初はレコード化の予定はなかったが、リスナーからの問い合わせが相次ぎシングルリリースが企画された。しかし由紀は歌手活動で失敗した過去に対する懸念と自らの結婚を控えていた事情もあり再デビューに消極的だったが、新たに歌詞が書き下ろされる間にいずみたくらが説得してレコーディングが実現した[3]。大ヒットとなった「夜明けのスキャット」は、最終的には150万枚[4]のミリオンセラーとなり、この年の暮れには「第20回NHK紅白歌合戦」で念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たす(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。
安田 祥子(やすだ さちこ、本名:澤田 祥子[1]、1941年9月9日[2] - 79歳)は、日本の声楽家、童謡歌手、ソプラノ歌手である。血液型はO型。夫は元在日オーストリア通商代表部理事の澤田久雄[3](澤田廉三・美喜夫妻の次男、2001年死別)。妹は歌手・タレントの由紀さおり[4]。
神奈川県川崎市生まれ。東京芸術大学大学院修士課程修了。
小学生時代にひばり児童合唱団に所属[5]。その後コロムビアに所属、童謡歌手として活躍した。東京芸術大学に進学し、卒業後は同大学の大学院に入学、修士課程修了。またニューヨークのジュリアード音楽院、ロチェスターのイーストマン音楽院で音楽を学ぶ。
東京芸術大学講師を18年務めたが、コンサート活動に専念のため勇退した。ボイストレーナーとしても活動。
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