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The 人物伝:是枝 裕和(これえだ ひろかず)、概要、生い立ち

2022-06-04 08:59:19 | 連絡
 
〇概要
是枝 裕和(これえだ ひろかず、1962年6月6日[2] - 59歳)は、日本の映画監督、脚本家、ドキュメンタリーディレクター、映画プロデューサー。東京都練馬区出身[3]。
東京都立武蔵高等学校[4]、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業[5]。
早稲田大学基幹理工学部表現工学科教授[6]、立命館大学産業社会学部客員教授[7]。
ドキュメンタリー出身の映画監督として知られ、国内外で高い評価を受ける日本人監督の一人である[2]。

〇生い立ち[編集]
東京都の練馬区に生まれ[3]、9歳から清瀬市の清瀬旭が丘団地で過ごす。
のちに旭が丘団地は『海よりもまだ深く』の主人公の実家として撮影場所にも使われた[8]。
鹿児島県生まれで奄美大島に渡った曽祖父、奄美生まれで台湾に渡った祖父、台湾生まれでシベリア抑留を経験した父という家系に生まれた[9]。
母親が映画好きだったため、幼いころから池袋の映画館でさまざまな映画を鑑賞[10]。
TV作品ではウルトラマンやウルトラセブンに描かれた怪獣や宇宙人に差別や戦争のメタファーを託した名作たちに影響を受け[11]、萩原健一のファンでもあり、萩原主演の『前略おふくろ様』や『傷だらけの天使』に一番大きな影響を受けたと語り、アルフレッド・ヒッチコックの『鳥』にも衝撃を受け、『鳥』をみた翌日に道で鳥を見かけ怖いと感じるほど衝撃を受けた[12]。
1972年ミュンヘンオリンピックの男子バレーボールの金メダル獲得に感動し、中学・高校とバレーボールに没頭し部活では部長を務めていた[13]。
物書きになろうと、早稲田大学第一文学部文芸学科に進学するが[14]、大学に入学してすぐにフェデリコ・フェリーニの映画を観て衝撃を受け、大学よりも映画館に足を運ぶ日々が続く[15]。
特に早稲田の近くにあったACTミニ・シアターは年会費1万円でフリーパスで映画が観られたため毎日通っていた[15]。
シナリオ文学にも熱中し、ビルの警備や福武書店のバイトを掛け持ちでやりながら、バイト代は倉本聰、向田邦子、山田太一、市川森一のシナリオ集を揃えるのに当てていた[16]。
大学では岩本憲児に師事し、卒論は創作脚本を書いた[14]。



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