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By - NEWS ONLINE 編集部 公開:2022-02-02 更新:2022-02-02
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
京都府北部にある福知山市。市内の大江町は、「鬼ゆかりの地」として町おこしをして来ました。地域のシンボル「日本の鬼の交流博物館」は、観光スポットにもなっています。
平成6年からここを拠点に活動するのが、「世界鬼学会」。「学会」と名乗ってはいますが、基本的には一般の方々が中心の「鬼好き」の集まりです。いまは全国からおよそ300人が参加しています。
会長の八木透さん
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八木 透(やぎ とおる、1955年5月16日 - 67歳)は、日本の民俗学者。佛教大学歴史学部歴史文化学科教授。専門は民俗学・文化人類学・家族史。
経歴[編集]
1955年(昭和30)年、祇園祭鉾町の家系に生まれる。京都生まれの京都育ち。生粋の京都人[1]。父親が祇園祭のお囃子をやっていた。母親は生粋の東京人で京都の商家に嫁いできたということもあり、京都を良く思っていなかったらしい。そんな母親の影響もあり、高校生ぐらいまでは祇園祭にさほど興味がなかった。民俗学の研究を始めて「京都のことを知らずに民俗学はできない」と思い、祇園祭に目を向けるようになった[2]。祇園祭綾傘鉾保存会理事ほか多数歴任。佛教大学の学生や卒業生とともに祇園祭の後継者問題だけでなく、歴史や途絶えた伝統の復活にも一役買っている。これが目的で佛教大学に入学してくる学生もいるほどである[3]。祇園祭山鉾巡行や五山送り火では毎年、実況解説役としてテレビ出演している。趣味は登山。なお、息子の八木岳はプロダクション・エース所属の男性声優。
略歴[編集]
- 1955年5月 京都府京都市出身。
- 1984年3月 佛教大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。
- 2010年4月 佛教大学歴史学部歴史文化学科教授。
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は、昭和30年生まれの66歳。京都・祇園祭に奉仕する家に生まれ、
いまも京都市の大学で教鞭をとっている、生粋の京都人です。
八木さんの専門は、私たちの文化を研究する「民俗学」。
しかし、鬼について深く研究したことはありませんでした。
ところが10年ほど前、世界鬼学会での講演をきっかけにお声がかかりました。
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「八木先生、鬼学会の会長をやっていただけませんか?」(博物館・館長)
「それは困りますよ。そこまで鬼のことに詳しくありませんから」(八木さん)
「先生、民俗学がご専門でしょう? 大丈夫、大丈夫です!」(博物館・館長)
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そこで、「名前だけなら」と引き受けた鬼学会の会長職。しかし、鬼をテーマに話したり、文章を書く機会も増えました。鬼について真剣に調べ出すと、八木さんはその魅力にどんどん引き込まれて行きます。
「もしかして、鬼が私を呼んでくれたのではないか?」
いつの間にか、鬼が八木さんの心の真ん中にどっかり腰を下ろしていたのです。
八木さんは、「鬼には2つの魅力がある」と気付きました。
①1つは、ものすごいバリエーションの「顔」があること。
➁もう1つは、必ずと言ってもいいほど倒されてしまうのに、のちに心を改めて「人の役に立っている」ことです。
そもそも「鬼」という言葉は、一説には「穏(おん)」がなまって「鬼(おに)」になったと言われています。
文字通り得体が知れず、目に見えないものが「鬼」とされており、
平安時代までの書物に鬼の絵は残っていません。
ところが、武士の世の中がやって来ると一変しました。絵巻物に鬼が絵として描かれるようになったのです。
室町・江戸時代と、描かれた鬼が私たちの暮らしと結びつき、時として人間臭さを感じさせるような、さまざまな顔の鬼がつくられて行きました。
現代ではさらに発展して、『鬼滅の刃』のようなマンガやアニメのキャラクターとして親しまれる時代となっています。
八木さんには、気になっている鬼がいます。
それは、青森・岩木山の麓に伝わる鬼です。この地域はもともと、火山灰の土で水はけがよく、農業にあまり向かない土地でした。そこへ鬼が現れて、あっという間に用水路をつくり上げて行ったという伝説があるそうです。
この鬼、実は「特に悪いことをしていない」とのこと。その理由について、
八木さんは「鬼も2種類あるから」だと考えています。
①1つは、時の権力者に逆らって「鬼」とされた人たち。
➁もう1つは、特に秀でた技術などを持っていて「鬼」とされた人たちだそうです。
それにしてもなぜ、ある時期から「鬼の絵」が描かれるようになったのでしょうか? 八木さんは、「人は見えないものが怖いから」ではないかと話します。
昔の人たちは、本来は見えないはずの鬼を「見える絵」に描くことで、恐怖に打ち克とうとしたのかも知れません。
2年ほど前、八木さんはテレビを見て、思わず「これは間違いなく現代の鬼だ!」と叫びました。映し出されていたのは、新型コロナウイルスの顕微鏡写真。いまでもよく見る、あのイガイガの写真です。
「目には見えないウイルスを敢えて大きく映し出すことで、何とかして『あのウイルスに勝ちたい』と、私たちは決意を強くしているに違いない」
八木さんは、「人間がいる限り鬼はなくならない」と言います。
「鬼は遠ざけるほど怖くなります。鬼とは『共存して行くもの』と割り切った方が、福を呼ぶことにもなると思います。
だからこそ、もっと鬼について知って欲しいんです」
八木さんはコロナ禍のいま、その使命感に燃えています。
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