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■名越健郎(なごし・けんろう) 1953年、岡山県生まれ。
東京外国語大学ロシア語科卒業後、時事通信入社。
バンコク支局、モスクワ支局勤務。
ワシントン支局長、モスクワ支局長、外信部長、編集局次長、仙台支社長等を経て退社。
2012年から拓殖大学海外事情研究所教授、国際教養大学特任教授。著書に『独裁者プーチン』(文春新書)『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)など。
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ロシアが北方領土の開発を進めています。先月22日のメドベージェフ首相をはじめ、今月に入って農業相や運輸相が択捉島を訪問し、島の整備状況を視察しています。
一方で、プーチン大統領は極東地域の土地を国民に無償で分け与える法案の立法化について言及するなど、日本政府に対する「けん制」の動きが目立ちます。
ロシアの北方領土整備は、どれくらい本気なのでしょうか。
ロシア問題に詳しい拓殖大学海外事情研究所の名越健郎教授が解説します。
ロシアのメドベージェフ首相が8月22日に北方領土の択捉島を訪れ、「クリール(諸島)はロシアの一部であり、われわれは今後も訪問を続ける」などと日本に一切配慮しない強硬発言を行い、日露関係が後退しました。
クリール諸島とは千島列島と北方領土のロシアでの呼称。
ロシアは現在の「クリール(千島)社会経済開発計画」を来年から10年間継続することを決めており、実効支配を強化する構えです。しかし、ロシアの経済危機や汚職・腐敗など計画をめぐる問題も少なくありません。
ロシア政府が7月の閣議で承認した新しい開発計画は、現行計画(2007-15年)が今年で終了することから、それを延長して千島のインフラ開発を図るものです。
全30島近い千島列島のうち、人が居住しているのは北部のパラムシル島、北方領土の国後、択捉、色丹 の計4島だけで、千島開発計画とは事実上、北方領土開発といえます。
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メドベージェフ首相が署名した新計画(16-25年)は投入予算を700億ルーブル(約1200億円)に増加し、輸送、水産、観光、鉱業など産業分野を強化し、併せて教育や医療などサービスも改善させるとしています。
700億ルーブルのうち4割は連邦予算から支出するそうです。
ガルシカ極東発展相はこの閣議で、税制や関税免除、インフラ建設など投資環境を整備した新型特区を千島諸島にも適用する方針を示し、北方領土開発を優先的に行う意向を明らかにしました。
また、
(1)10年間で12万平方メートルの住宅を建設する、
(2)8つの学校・幼稚園を新設する、
(3)アスファルト道路を計42キロに拡張する――と述べ、こうした生活環境の改善により、
「25年までに千島の人口を25%増やし、2万4000人以上にする」と強調しました。
閣議では、メドベージェフ首相が「社会経済発展計画に沿って、民間用だけでなく、軍事インフラも同時に進める」と強調し、これを受けてショイグ国防相は、「国後、択捉で新しい軍事拠点の建設を進めており、年末までに終了し、部隊を再編する」と述べました。
こうして、ロシアは北方領土を戦略的要衝とし、軍事、経済両面で長期的に開発しようとしています。
北方領土海域は世界有数の漁場ですが、ソ連時代、極東の遠隔の地とあって開発は後回しにされていました。
ソ連崩壊前後の混乱時には、政府の支援が減り、島民は困窮を極め、「神と政府によって忘れられた島」と自嘲していました。
ロシア経済が疲弊した1990年代、政府に絶望した島民の中には、日本への返還論も出ていました。
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しかし、21世紀にプーチン政権が誕生すると、石油価格高騰で経済が高成長を遂げ、自信をつけたロシアは2007年から千島開発計画に着手します。
千島が相対的に貧しいこと、政府の予算が潤沢になったこともありますが、プーチン大統領が国策として、民族愛国主義を扇動したために第二次大戦の戦勝意識が強まったことで、「戦利品」の北方領土を重視する意識が出てきました。
プーチン大統領が「ロシアの4島領有は大戦の結果だ」と開き直ったのもこのころです。
今、北方領土をビザなし渡航で訪れると、新しい住宅や施設が立ち並び、道路も舗装されるなど「ロシア化」が進んでいるのが実感できます。
住民と話しても、日本への返還など一切念頭にない印象を受けます。
日本にとっては、ロシア政府が北方領土に関心を払わず、住民が離島して無人島化するのが望ましいですが、事態は逆の展開になっています。
ロシア政府が新しい開発計画を採択したことは、ロシアは少なくとも2025年までは返還を想定していないことを意味します。
ただし、計画の履行にはいろいろ問題もあるようです。
なによりも、ロシア経済は原油価格下落で不況色を強め、今年はマイナス成長です。外貨準備高も減少しており、このまま原油価格下落が続けば、いずれデフォルト(債務返済不能)に陥るとの観測もあります。
開発基金をめぐるトラブルも多く、択捉島の地区長二人が予算を横領した容疑で更迭されました。
前サハリン州知事も今年2月に収賄容疑で逮捕されています。
これらは氷山の一角とみられ、ロシアを覆う汚職・腐敗が開発計画にも及んでいるようです。
しかし、プーチン政権は国策として北方領土開発を推進する方針を決めています。
実は、メドベージェフ首相は択捉視察の5日前、プーチン大統領と一緒にウクライナから強制併合したクリミア半島を訪れており、クリミアの実効支配強化策を協議したばかりです。
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ウクライナ危機で欧米から経済制裁を受けるロシアは、安全保障上の危機感を強め、クリミアとクリールで実効支配を強化し、民族愛国主義を高めようとしています。
クリミアとクリールがロシア民族主義の最前線になった形です。
プーチン大統領自身は領土問題での「ヒキワケ」に言及するなど、日露平和条約締結に前向きな姿勢を見せたこともありますが、欧米の制裁や国内経済の苦境で、愛国心高揚によって国民の危機意識を高め、政権延命を図っています。北方領土が愛国主義の犠牲になっている構図で、ロシアが正気に戻らないと領土交渉も進みません。
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