解脱した人は新しい足跡を蓄積せずに生を生きていく。
覚醒の炎が彼の貯蔵庫を焼き尽くしたからだ。
彼の悟りは新しいカルマが彼にとりつくことを妨げる。
彼にとって、過去と未来はともに消え去ったのだ。
そのような人の行為は未来の報酬という概念に動機づけされない。
「私がこれをすれば、これが起こるだろう」と考えて行為することはない。
行為はおこるだろう。
だが、行為をしているという感覚はそこにないのだ。
彼は為されたことに特別な興味を示さない。
そして、それに対する執着もない。
あなたにこの最終の誕生と特定の脚本を備えた身体を与えたカルマが、運命づけられたさまざまな活動に身体を従事させ続けるだろう。
だが、そこには身体との同一化も、計画することも、あれはすべきでこれはすべきではないという観念も存在しない。
あなたはそれを通して夢の中の登場人物の様に生きていく。
そしてこれまで足跡が生みだしてきた終わりのない転生と苦しみの全過程を理解するだろう。
そしてあなたはそれらが今、永遠に終わったこと、そして決してふたたび繰り返すことはないと理解するのだ。
あなたは世界の創造者がけっして存在しなかったことを理解し、それを直接知るだろう。
創造者も、創造も存在しない。
これが究極の真理だ。
もし足跡が残されない場所にたどり着きたければ、創造者も創造も存在しないことを直接知る場所に到達しなければならない。
そこで、あなたはけっして誰も束縛されていなかったこと、けっして誰も解放されなかったこと、誰も真理を求める人はいなかったことを知るだろう。
覚醒の炎
P267より