私が燃え尽きるまで~目覚めへの軌跡~

目覚めまでの自我の闇出し・奇跡のコースブログ

内なる教師、聖霊の導きに感謝します

2020-02-29 17:30:45 | 聖霊のガイダンス

今、私に起こってきている現象は、人としてはとても惨めな所へ行ってるかもしれないけど、

それが良きことなのだと、聖霊は教えて下さっています。



こんな仮面を持っていたのかと…気付き剥がされていく。


それは、本当に痛み、恐れ、惨めさを感じたりもするが、ただただ聖霊を信頼し、仮面を握りしめている手を離していく。


その道は、私は何も分からない。


聖霊に祈り、先導していただく。


数年前の私だったら、耐えきれなかっただろう…。


私1人では本当に無理で、聖霊が兄弟を通して励まし共に歩んで下さっています。


ありがとうございます。


感謝いたします。

丸裸の自分を神の祭壇に捧げる

2020-02-10 13:44:06 | 赦しのレッスン



数日前に、自我からすると自分の人生に起こって欲しくないことが起こる…ということがあった。


私は驚いて、恐れ・絶望を感じて泣いた。


そして、それは全くもって自分で変えることはできない。



そして、その脚本は既に書かれているので、ただ受け入れ、その現象を通して出てくる思考・感情を見つめて捧げることに使っていく。


そして、外側はつねに変化していくが、イエスに「真実のみを見れるように助けて下さい」と、


涙を流しても、怒り狂いながらでも、恐れても…


それが、本当の私だと信じていたと間違っていたことを認め、祈り続ける。


本当に私は何も分からない


私1人では間違う



今まで信じてきたものを完全に手放して、丸裸の自分を神の祭壇に捧げる。



それしか出来ないのだな…


教えて下さり有難うございます。



息子との喧嘩を通して祈る

2020-02-06 13:44:04 | 祈り



久しぶりに息子と喧嘩をした。


喧嘩の内容は、免許を取ったばかりの息子が深夜に友達を乗せてドライブに行きたいからという内容だった。


でも、家の車の保険は、夫婦限定のみ適用だ。


そして、聖霊に尋ねてみても、それがオッケーとは受け取らなかった。


それで、息子に言わせたいだけ言わせて、私はただそれに「駄目だ」と言うだけで、


最後の方は、


ママは何も僕のためにしてくれない


他の家は子供に車を貸してくれるのに、内の家だけた


こんな家に産まれて来なければ良かった…


と、私の寝室のドアを壊れそうになるくらい、ドーンと強く閉めて出ていった。



そのあと、内側を見つめると、罪悪感と恐れが起こってきた。


そして、息子によって私は気分が悪くなる


毎日、この様に責め立てられるのではないだろうか


私は駄目な母親だ


私もわがままばかり言って親に迷惑をかけた子供だった


など、しっかり見つめると、自分の小さい頃の罪悪感まで浮上してきた。


もし、私が分離の信念を掴んでなかったら、息子が何を言っても心は平安である。



でも、息子の

ママは何もしてくれない

他の家は…○○してくれる
この家に産まれなければ良かった


という言葉をリアルにし、息子と私を同時に罪人にしていることに気付く。


息子が言ったことに、反応したが、その奥にある「神から離れたと信じている信念」を掴んでいることに、涙が溢れてきた。


神の愛以外のことを信じることを辞めたい…


完璧なスピリットなのに、私は小さき弱き者だと信じることはとても惨めである。


そして、復讐の神を信じていて、私は罰せれるという恐れがゴォーゴォー出てきた。


約1時間その誤った信念を見つめ、


イエスに「神のみを求めたいです」


「真実のみを見れるように助けて下さい」


「私は何をするべきか教えて下さい」


「あなたの声のみを聴いて従います」


と両手を胸の前に合わせ祈った。


息子とのやり取りで、誤った信念と自分の本当の願望を見つめることとなった。


意志する機会をありがとうございます。



聖霊、イエス、神さま


いつも、ありがとうございます。





母に投影していた怒りや恐れを光に捧げる

2020-02-02 10:48:00 | 赦しのレッスン

ネパールの彼から、彼の家族の話を聞いている時に、怒りと恐れが襲ってきた。


それは、彼の家には、今自分の家族やスタッフを入れると13人が住んでいる。


一応、当番制で家事や食事の用意などしている。…と。



それを聞いたときに、自分の母親を思い出した。


私の母は、長男の嫁に来て、私が小さい頃は、祖父祖母、父母、自分の兄弟、叔父叔母など10人家族で、母が自営業を手伝ったり家事をほとんど一人でしたりという姿も見てきたし、


それでイライラした母の愚痴を聞かなければいけないということも多かった。


母が受け取る祖父祖母や叔父叔母の内容が、私が彼らに感じる受け取り方が全く違っていたので、母の話にいつも嫌悪感を感じていた。


そして、母の話から


母は幸せではないのだ…


なぜ、母は幸せになろうとしないのか?


私は、母のように絶対になりたくない!!と小さい頃から感じていた。



その母と、ネパールの彼の家族の話を聞いたときに、リンクして…


私も母のような道を歩まなければいけないのか…という自我の怒りと強烈な恐れがやってきたので、その感情や思考をしっかりと見つめた。


そして、その思考・感情を見つめると、状況によって私の幸せは決まると信じている。


そして、母のことを弱きもので、不幸な人だったと母の本性を歪めてみて、それをまだ信じていることに気付いた。


だから、その思いを光に捧げ、「母が神の子だと見れるように助けて下さい」「真実のみを見れるように助けて下さい」と祈った。


そして、彼にも怒りと恐れの感情・思考を正直に表現して、最後には「誤った信念に気付きました。赦しの機会を与えてくれてありがとう…」と伝えることが出来た。




外側の状況と本当の幸せとは全く関係が無いのだ。


常に神の愛の中で幸せで在っていいのだ。




聖霊・イエス


教えて下さりありがとうございます。