久しぶりに息子と喧嘩をした。
喧嘩の内容は、免許を取ったばかりの息子が深夜に友達を乗せてドライブに行きたいからという内容だった。
でも、家の車の保険は、夫婦限定のみ適用だ。
そして、聖霊に尋ねてみても、それがオッケーとは受け取らなかった。
それで、息子に言わせたいだけ言わせて、私はただそれに「駄目だ」と言うだけで、
最後の方は、
ママは何も僕のためにしてくれない
他の家は子供に車を貸してくれるのに、内の家だけた
こんな家に産まれて来なければ良かった…
と、私の寝室のドアを壊れそうになるくらい、ドーンと強く閉めて出ていった。
そのあと、内側を見つめると、罪悪感と恐れが起こってきた。
そして、息子によって私は気分が悪くなる
毎日、この様に責め立てられるのではないだろうか
私は駄目な母親だ
私もわがままばかり言って親に迷惑をかけた子供だった
など、しっかり見つめると、自分の小さい頃の罪悪感まで浮上してきた。
もし、私が分離の信念を掴んでなかったら、息子が何を言っても心は平安である。
でも、息子の
ママは何もしてくれない
他の家は…○○してくれる
この家に産まれなければ良かった
という言葉をリアルにし、息子と私を同時に罪人にしていることに気付く。
息子が言ったことに、反応したが、その奥にある「神から離れたと信じている信念」を掴んでいることに、涙が溢れてきた。
神の愛以外のことを信じることを辞めたい…
完璧なスピリットなのに、私は小さき弱き者だと信じることはとても惨めである。
そして、復讐の神を信じていて、私は罰せれるという恐れがゴォーゴォー出てきた。
約1時間その誤った信念を見つめ、
イエスに「神のみを求めたいです」
「真実のみを見れるように助けて下さい」
「私は何をするべきか教えて下さい」
「あなたの声のみを聴いて従います」
と両手を胸の前に合わせ祈った。
息子とのやり取りで、誤った信念と自分の本当の願望を見つめることとなった。
意志する機会をありがとうございます。
聖霊、イエス、神さま
いつも、ありがとうございます。