ネパールの彼から、彼の家族の話を聞いている時に、怒りと恐れが襲ってきた。
それは、彼の家には、今自分の家族やスタッフを入れると13人が住んでいる。
一応、当番制で家事や食事の用意などしている。…と。
それを聞いたときに、自分の母親を思い出した。
私の母は、長男の嫁に来て、私が小さい頃は、祖父祖母、父母、自分の兄弟、叔父叔母など10人家族で、母が自営業を手伝ったり家事をほとんど一人でしたりという姿も見てきたし、
それでイライラした母の愚痴を聞かなければいけないということも多かった。
母が受け取る祖父祖母や叔父叔母の内容が、私が彼らに感じる受け取り方が全く違っていたので、母の話にいつも嫌悪感を感じていた。
そして、母の話から
母は幸せではないのだ…
なぜ、母は幸せになろうとしないのか?
私は、母のように絶対になりたくない!!と小さい頃から感じていた。
その母と、ネパールの彼の家族の話を聞いたときに、リンクして…
私も母のような道を歩まなければいけないのか…という自我の怒りと強烈な恐れがやってきたので、その感情や思考をしっかりと見つめた。
そして、その思考・感情を見つめると、状況によって私の幸せは決まると信じている。
そして、母のことを弱きもので、不幸な人だったと母の本性を歪めてみて、それをまだ信じていることに気付いた。
だから、その思いを光に捧げ、「母が神の子だと見れるように助けて下さい」「真実のみを見れるように助けて下さい」と祈った。
そして、彼にも怒りと恐れの感情・思考を正直に表現して、最後には「誤った信念に気付きました。赦しの機会を与えてくれてありがとう…」と伝えることが出来た。
外側の状況と本当の幸せとは全く関係が無いのだ。
常に神の愛の中で幸せで在っていいのだ。
聖霊・イエス
教えて下さりありがとうございます。