今日は、真我なるハートの実践仲間とズームでシェアした。
それは、私が墓場まで持っていきたいと思っていたことをシェアしたいという内容だった。
私は、その兄弟に既に他の兄弟にシェアした内容をシェアしていたが、
話を進めていると、もう一つ私が墓場まで持っていきたいと思う内容があったことに気付きシェアをしていた。
でも、兄弟は、それを肯定もせず否定もせずただただ聞いてくれる。
そして、シェアをしながら、いかに自我の私が「秘密を持った私」「恥ずべき秘密を持っている私」「このような秘密を持っている私には罪がある」という自己概念を、分離維持をするために握りしめたいのだ…という事に改めて気付かされた。
ノープライベートソートにイエスが導いて下さっている。
そして、それを表現することにより光のもとへ消えていき、それは1度も起こっておらず、幻想だったということを教えて下さる。
自我は兄弟との関係を、分離強化のために使おうとするが、
イエスは、兄弟との関係を神に愛されている神の子でしかなかった…ということを教えることのみに使って下さる。
本当に有難いことです。
今日も、「私は何者だったか?」を問う機会を下さり有難うございますm(_ _)m
兄弟聖霊に心より感謝いたします。