昨日は福岡のシェア会で、参加された兄弟が、現象レベルでは平和でも、突然絶望感という思考がゴォーッと起こってくる。
それを見つめて光に捧げるとシェアして下さいました。
私を掴んでいる時は、絶望感、焦燥感、欠乏感、罪悪感など精神分裂症であることを認識する。
参加された兄弟が、その様な知覚を感じたときは、光に捧げながら泣くと仰っていたが、本当に深い悲しみや惨めさも共に起こってくる。
でも、それを見つめることで、光に必ず消えていき無だったとの自覚が戻ってくる。
本当に、それを認識しているという事は有難いことであり、私は消えるという決断が出来る。
まだ、私は消える、神のみに従うという本気の覚悟が出来ていないが、私を掴みたいという欲求を見つめながら光に捧げ続ける。
兄弟聖霊のお陰さまで、私の抵抗と神に勝ちたいという欲求をを認めることが出来ました。
いつも、教えて下さり有難うございますm(__)m
奇跡講座テキスト
アート中央出版社
T-11.5.1より
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幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない。
見ないでいることにより、幻想が保護されているからである。
幻想が危険なはずはないのだから、幻想からしり込みする必要はない。
私たちには、自我の思考体系をもっと詳しく見る準備ができている。
なぜなら、私たちが共に居れば、それを一掃できるランプがあるからである。
そして、あなた自身も自分はそれを望まないと気づいているので、準備ができているはずである。
これを行うにあたり、私たちはきわめて冷静でいよう。
私たちはただ正直に真理を探しているだけだからである。
しばらくの間、自我の「力動論」が私たちの学ぶレッスンとなる。
というのもあなた自身がそれを実在のものとしたので、その向こうが見えるようになるためには、まず最初にそれを見なければならないからである。
私たちは一緒にこの誤りを静かに取り消し、その後、それを越えたところに真理を見ることになる。