先日は、れいさんとズームでシェアをした。
れいさんが、これ皆に来てると思うんだけどというニュアンスで、「責めなくていいよね」とシェアをしてくれたとき、
スポッと蓋が外れた感じで涙が溢れだした。
リトリートで、れいさんがKさんに同じことをシェしたことで、Kさんに癒しが起きたことは知っていたが、それを全くの他人事又は、分離ありきで受け取っていた事に気付かされた。
そして、分離維持の欲求を保持したいがために、自分を責め続けることを好んでいた。
自我は「お前には罪がある」と信じさせたいという誘惑が常に来ていることに改めて気付かされた。
その隠していたものが、今回のやり取りで消える分だけが消えていった。
あとは、ただただ出てくるものをシェアさせていただいた。
本当に有り難かった。
聖霊の導きで、兄弟が鏡になって私の心の反映を見せて下さった。
れいさん、有難うございますm(__)m
愛しています。
イエス、聖霊、神さま
いつも、有難うございますm(__)m
有難うございますm(__)m