昨日は真我なるハートの勉強会だった。
昨日も個人のナナシは個のアイデンティティーを保持するためにこういう事を言いたい!という思考は起こってきたが、
それも全てイエスに捧げ、必要なことを話させて下さいと祈り、参加させていただいた。
以前と参加する姿勢が変化し、実践コースに参加する前は、始まる前の30分前くらいから心静かにしたいという思考が起こってきて目を瞑り静寂の中に入る。
それは、イエスがその様にして下さる。
そして、シェアしながら涙が溢れてくる。
個人の自我は、いい感じで明るくシェアしたいのにと思っているが、それは出来ないという事が起こる。
そして、シェアしながらのりこさんが、何か奉仕をする様なボランティアか仕事をするという聖霊からガイダンスが来てませんか?みたいなニュアンスで聞いて下さった。
1つは、掃除の仕事をするという聖霊からのガイダンスが来たことをシェアした。
そして、のりこさんが例えば、介護の仕事もいいですよ~!打ち砕かれるというより癒しが起こるんですよね。と言われている時に、それが個人ののりこさんではなく、聖霊が言って下さるように聴こえてきた。
なぜ、その様に聴こえたかというと、
最近の祈りで、
どうぞ最速で目覚めに導いて下さい。
何に価値があって何に価値がないのかを教えて下さい。
目覚めを目的として、私が何をしたらいいのか教えて下さい。
あなたのガイダンスのみを聞くことが出来る様に助けて下さい。
神のみを思い出せる様に助けて下さい。
真に見れる様に助けて下さい。
と、イエス、神を思い出した時はずっとこの様な祈りをひたすら繰り返していた。
だから、のりこさんの言われていることが、その祈りの答えの1つなのだと受け取る事となった。
だから、シェアが終わった後すぐに、福岡市◯区介護の仕事と調べて、3つくらいを携帯のメモに残した。
そして、自我はまたゆっくりと見ればいいか~と先伸ばしにしようとしていたが、1つの所にエントリーしていた。
そして、そこの住所をよく見たら、家の直ぐ近くのデイケアの施設だった。
その後、そこの社長から電話があり、8月2日にその施設に行き、話を聞くことになった。
よく分からないが、その仕事が必要であれば、やるという事が起こってくるのだろう。
ナナシ個人の設定では、私の人生の中でやりたくない仕事3つ、警察官、看護士、介護士だった。
短大の時に、寮のおばさんから婦人警官の仕事を進められたが、こんな私が、道徳的にきっちりと生きる人生を想像出来なかったのと、死に直結する様な仕事だからと感じ断った。
看護士は、勉強が好きではなかったからなれない職業なのだが、抜けてる私は何かミスをして、患者さんを殺してしまうのではないか?という恐れがあるので絶対にやりたくない仕事だと思っていた。
そして、介護士は、大変な仕事だとのイメージが大きかった。
人のお世話をする…ましてや介護の必要なお年寄りや認知症などの症状がある方に接するとは、包容力や何があっても理性的な私で居ないと、感情的な言葉を発したり、暴力的な発言や態度をしてしまうのではないかという恐れがあった。
姪っこが介護の仕事をしていて、やりがいを持っていたが、一人のお年寄りに感情的になり、軽くだけど叩いてしまったと落ち込んでいたとき、
それは他人事ではなく分かると感じたし、絶対に私はその仕事が出来ないし、やりたくないと感じていた。
全くもって私がやれる自信がない……
というか、絶対にやりたくない…
でも、今回それが聖霊の導きで必要であれば、やることになるのだろう。
本当に私一人では、何に価値があって何に価値がないのか、全く持って分からない。
ただ、もう私は身体と掴んでいる時、神から分離したと信じた3.5分裂の知覚がゴォーゴォー起こってくるのを認識するので、何も幸せではない。
だから、もうイエスの声のみを聴きたい。
抵抗を辞めたい…
もう既に終っているしそれは起こってなかったということを思い出して、神のみを思い出したい
自我の私が妄想した幻想をイエスに全て捧げ、神を思い出す目的のために使っていただきたいですと祈ります。