数年ぶりでこのブログを更新してみた。
見返して、飽き性の自分が100日間もブログを更新していたことに驚いたが、一部の記事のみを残し、大半は削除することにした。
以上、余談。
さて、昨年冬、島根県で起こった女子大生殺害および死体遺棄事件について、僕の個人的な見解を述べる。
この事件は日本の田舎で起こった一殺人事件として、発生当初の報道の扱いは、比較的静かなものだった。第一報道では、片田舎の通り魔事件的な扱いだったはずだ。ここらへんの詳細は、検索すれば、今でも大量の情報がアップされている。
しかし、被害者の氏名や殺害状況が報道され、捜査が長期化するにつれ、様々な憶測、予想がネットを駆け巡るようになった。関係者(容疑者ではなく)の氏名、所属までネットで公開されるという有様で、発生当初のネットでの騒ぎはちょっとしたものだった。
この事件に関し、ネットで散見されたのは「酒鬼薔薇聖斗」事件と関連するのではという意見だった。死体損壊の状況等からの指摘が多い。
それはいい。日本で猟奇殺人が発生することは稀だし、状況に類似点があるのも事実だ。
だが、類似点の指摘以上の…断言や確定的な分析がこうも見られるのは…一体何故なのか。そこまで無責任に、「断言」を公開していいものなのか。
それがネットと言ってしまえば、それまでだが…。
一週間で消える写真週刊誌や、一瞬で流れ終わるTV番組とは、ネットは本質が違う。
ネットは記事が残る限りそこに掲示され、発信を続けるメディアだ。ならばせめて「事件に対する断言」には、発信側が慎重になるべきではないだろうか。
未事件は、大抵、時とともに風化し、忘れたころに意外な犯人が逮捕され
「ああ…そういうのもあったね」 と人々の話題になり、そしてまた風化していく。
その時に「あれ間違いでした。すいませんでした」って訳には、いかないよね?
と思ったりするのだ。
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