(6)
夏がきた。
兆候は、穏やかに始まった。遥か東にある王都が、隣国に攻め落とされたという知らせが、旅の商人から届けられた。彼はありったけの荷物を荷馬車に詰め込み、足早にこの村を去っていった。西へ逃げろと言い残して。
秋がきた。
東からの風に、血の匂いが混じった。村人たちは、一人、また一人と姿を消していった。ある者は東へ行ったきり戻らず、ある者は西へと逃げ、ある者は数少なくなった村の守り手としての使命を果たし、死んでいった。
冬がきた。
アインも、フィアも、ゼクスも、少なくなった大人たちに混じり、それぞれの仕事をこなすようになった。私たちの授業で繰り返し繰り返し学んだ技で、彼らは獣を焼き払い、切り裂き、爆ぜさせていった。そして私も、この村と子どもたちの生活を守るため、巨人や亜人間を狩った。追い払うなどという悠長なことをする余裕は、もう村にはなかった。私の剣は血で汚れ、欠け、そして磨り減っていった。
ある日、本当に久しぶりに、新しい冒険者が村を訪れた。
バニィと名乗るその若者は、青いローブを被った黒髪の若い青年だった。
「東の王都は、完全に崩壊しました。黒い鎧を来た兵士の一群が、あっと言う間に城を焼き払って…」
バニィは悔しそうに目を伏せ、私たちにそう言った。
「ここまで逃げてくるのが精一杯でした。仲間もばらばらになってしまって…。おそらく、もう…」
村長の提案で、バニィはこの村の自警隊の一人として組み込まれることになった。彼は氷の術の使い手だった。この世界では、あまり見ないタイプの術なのだが、彼曰く、その術はどんな敵をも凍らせ、一瞬で砕く…らしかった。村は今、ひとりでも多くの手を借りなければならない状況だ。自警団に魔法の使い手が増えるのはありがたかった。
バニィの魔法は、私たちの予想より遥かに強力だった。氷の嵐が敵の動きを止めることで、私たちの仕事は遥かに楽になった。私は、凍りついた亜人間の身体を剣で砕き、足で蹴りつけた。動けない敵を相手に、私の身体は身軽になり、手足は確実に敵を捉えた。
「あなたは、ずっと一人で戦ってきたんですか?」
ある日、バニィが戦いの後、私に尋ねた。
「私? そうね…。一人じゃない時もあったけど…」
あの時は確かに独りではなかった。でも…。かつてのオンラインゲーム仲間たちと戦った日々が、私には遠い過去の記憶に思えた。
「貴女は孤独に強いんですね。村を離れて、他の強いギルドに入って暮らす手もあったでしょう?」
「強くはないです。独りに慣れただけ」
私は、荒く手入れした剣を鞘にしまいながら、無愛想な顔でそう答えた。
「でも」
バニィは笑って言った。
「それでも貴方は強いですよ。僕は王都を追われた・・・負け犬ですから」
「それでも、その負け犬のあなたの力が、村のみんなには必要なの」
私は気弱に笑うバニィに向き直って、まだ幼さの残るその白い顔に、大きな声で告げた。
バニィの瞳には、むこうの世界から来た者だけにわかる、暗い光があった。けれど私は、彼に過去を尋ねる事は出来なかった。私自身と同じように、バニィも何かを抱えて、あの現実の世界から、この世界に入り込んだのだろう。それは、別に私が知る必要のないことだ。・・・けれど。
「それでも、あなたは、強いの。私がそれを知ってる」
そう言って、私は地面を軽く蹴り、バニィに向かって右手を伸ばした。彼の細い右手が、ためらいがちに差し出され、私に触れた。その手は柔らかく、温かかった。私たちは、笑顔で握手を交わした。
(8)
そしてさらに数ヶ月が経ち、王都を襲った黒い軍隊が村を襲った。彼らは一瞬で村の門を焼き払い、なすすべのない村人たちを虐殺していった。数日間、村の外に亜人間退治に出掛けていた私とバニィが戻った時には、村は既に、黒く煤け焼きただれていた。
村に立ち上る黒い煙が、遠い平原から見えた。異変に気がついたわたしとバニィは、村へと駆け、その惨状を目の当りにしてただ呆然とするだけだった。絶望感すら感じないまま、私は、教会に向って歩いた。万が一、もしかしたら、子どもたちだけでも、奴らは見逃したかもしれない。ありえない願いを心の中でつぶやきながら、私は歩みを進めた。
教会の扉は、堅く閉ざされたままだった。
「アイン、フィア、ゼクス!」
扉を開ける。小さな礼拝所には、誰もいなかった。
「…」
バニィが無言で私の後に続く。
「そんな…」
私は、ゆっくりと膝を折り、崩れ落ちた。バニィがあわてて私の肩を支える。その時、かたりと物音がした。
「せんせい?」
幼い声が、礼拝所の壁に反響した。
「せんせい? せんせい!!!」
ぼろ布を身にまとったフィアが、女神像の裏からおずおずと顔を出した。
「フィア! 無事だったのね!」
フィアは、足を引きずり、よろめきながら私たちの元へと進んだ。バニィが駆け寄り、優しく彼女を抱き上げた。
「みんな、みんな、みんな…」
フィアはうわごとのように呟くと、小さく息を吐いた。その息は小鳥のさえずりよりも小さく、弱弱しかった。
「先生? 先生だよな…」
教会の鐘つき台に登る梯子の上から、ゼクスの声が小さく響いた。
私は、フィアをバニィにまかせ、梯子を登った。村を見渡す鐘つき台には、ここ数ヶ月で、見違えるように大人びた顔つきになったゼクスがいた。
「よぉ先生。走ってくるの、見えたぜ」
鐘つき台の床に横たわったぜクスは、擦れた声でそう言った。
「…先生がさ、帰ってきたら、すぐわかるようにってさ。フィアがうるさくてさ…」
ゼクスの顔は青ざめ、額には汗が滲んでいた。
「もう俺とフィアしかいないからさ、俺があいつを守ってやらなきゃって」
私は、ゼクスの頬に手を当てた。…一年前にはあんなにきれいだった桃色の頬が、青黒く染まっていた。
「…がんばったね、ゼクス、がんばったね」
私は、彼を抱きしめることしか出来なかった。
「先生たちが狩りに出ていってすぐに、大きな軍隊が来たんだ…」
ゼクスは、ぽつぽつと語り出した。
「黒い鎧の連中が、いきなり村を襲ってきた。俺たち、必死で戦ったんだ。村長まで剣を取って」
私は、自分の服の袖をナイフで切り裂き、それからその切れ端でゼクスの頬を拭った。
「もういいよ? ゼクス。もういいから…」
「最初に村長が死んで、それから大人たちが総崩れになった。誰も逃げなかったけど、でも、何も出来なくてさ。アインは…」
ゼクスの肩が、びくりと痙攣した。
「アインは、その時、死んだんだ。痛いよ、痛いよって。にいちゃん、たすけてって、そう言って」
ゼクスの頬を涙が伝った。
「俺、何も出来なかった。フィアを連れて、教会の床下に隠れるしか出来なかったんだ。ずっと息を殺して、小さくなって」
「ゼクス…」
「俺たちがずっと隠れてたら、床の上が静かになったんだ。俺とフィアが床下から這い出したときには、あいつらはどこかに消えてた。それから、フィアと二人で、先生を待つことにしたんだ」
風に吹かれ、教会の鐘がカランと鳴った。
その音を聞いて、ゼクスの表情が、一瞬、一年前出会ったときの子どもっぽい笑顔になった。
「先生、俺、剣も魔法も下手だけど、頑張ったんだ」
「えらいね、ゼクス」
私は、精一杯の笑顔を作った。笑わなきゃいけない。彼のために。今だけでも。
「俺さぁ…先生が帰ったら、言おうと思ったんだ。ありがとう、って」
ゼクスは静かに目を閉じ、ほんとうにかすかに、息を吐いた。
彼の左足は、膝から先が失われ、血だらけの布が巻かれていた。きっとフィアが巻いたものだ。
「ありがとな。先生が教えてくれたんだ。戦い方を全部。剣の振り方も、盾の持ち方も」
彼の肩が揺れる。私には、もう何も出来ることはなかった。
「ごめん、ゼクスは一生懸命がんばったのにね。私がもっと…」
「フィアが」
ゼクスが、かすかな声で呟く。
「フィアが下で」
彼の声は、その言葉を最後に、途絶え、失われた。私に、その続きの言葉を聞く事は、もう出来なかった。
教会の鐘が、もう一度だけ、カランと鳴った。わたしは、大切な何かを、また失った。
(9)
教会を後にし、バニィとフィアと一緒に、ゼクスの亡骸を裏庭に埋めた。アインの遺体は、いくら探しても見つからず、私たちは、彼の大切にしていた練習用の剣をゼクスのとなりに埋め、墓標代わりの小さな石を二つ、彼らの眠る土の上に置いた。
彼らの埋葬を終えた私の頭上には、いつもと変わらない、青い空が広がっていた。その色は限りなく青かった。私は、大きく息を吸った。村の空気は血と煤の匂いがした。
どこかで、小鳥の鳴く声がした気がした。
「せんせーフットサルってさー」
記憶の中のゼクスが私に笑いかける。
「キーパーがどうしてもボールをとめれないときは、どうすんだ?」
フィアとアインは、無邪気に歓声を上げながらボールを追いかけている。
「強いシュートとか来たとき?」
わたしはしばらく考えて、こう言った。
「怪我するから、逃げなさい」
「いいのかよ? 点数はいっちゃうぞ?」
「いいのよ、怪我するくらいなら逃げていいんだから。フィアにもアインにも、そう教えなきゃね」
私は、ふと思いついたように言う。
「…そうね、そうだ。授業で剣も魔法も教えてるけどね」
ゼクスの目をじっと見て、私は言う。
「もし私が居ない時に強い敵が来たら、すぐ逃げて。フィアとアインを連れてね」
ゼクスは少し首をかしげて考えてから、ゆっくりと答える。
「そっか…みんなを怪我させちゃいけないんだな?」
「そう、正解。いい子ね。約束よ」
わたしは、満面の笑みで、そう答えた。遠い日の、記憶。暖かな夏の日の出来事。
思い出に浸り、ただ立ち尽くす私の顔を、フィアが心配そうに覗き込む。
「せんせい、だいじょうぶ?」
彼女の身体には、大きな傷はひとつもなかった。ゼクスは、私との約束をきちんと守ったのだ。
「うん、大丈夫よ」
私は笑う。ゼクスが私との約束を守ったこと、それがフィアを救ったのだ。ならば、私は、2人のために、笑わなければならない。何がなんでも。
「大丈夫。フィア、あなたは私が守るから」
笑顔でそう告げる。
「…どうします? これから」
バニィが途方にくれた顔で呟く。
「そうね、とりあえず山側の道を…」
言いかけて、私は大きなめまいを感じた。バニィの身体が薄く、霞のようにゆらめいていた。
「…さん、サーバーが不安定で…不具合が…」
バニィの声が途切れる。彼だけではない、私自身の身体も陽炎のように揺れ、次第に色を無くして行く。
「…んせい? せんせい!」
フィアが叫ぶ。…まだダメだ、私は、まだ、彼女を。祈るように、手を伸ばす。
「フィア、わたし…」
「サーバーエラーです。回線を中断します。復旧は未定です」
機械的な音声が私の頭の中に響き、世界は黒く閉ざされた。私の身体から重さがなくなり、フワリとどこかに投げ出されるような感触が、一瞬だけ私を包んだ。
世界が終わる、プツンという音が、小さく響いた。
その画面の向こうには、果てしない暗闇が広がっていた。
小さな部屋の片隅、背中を丸めて、私はモニターを見つめていた。
もう一週間もお風呂に入っていない。私の長い髪は縺れて、歪んで、小さな胸の先で揺れている。
…気にしない。何も気にしない。私はもう「私」ですらないんだから。
マウスをクリックし次のサイトを探す。私の生きている場所。本当の自分のいる世界。わたしは、それを探し続ける。
そして、私は見つけた。見慣れたトップページに記載された、見慣れない文字を。
【サービス終了のお知らせ。オンラインRPGブルーワールドは4月1日をもって全サービスを終了致しました。ご利用ありがとうございました】
しばらく呆然としていると、パソコンの画面の隅に電子メールの着信サインが光った。反射的にメールトレーをクリックする。
(こんにちは、バニィです。リアルでは初めまして、ですね)
意外な相手からのメールに、私は驚いた。
(手短にお伝えします。あなたがサーバーダウンで消えた後、僕は、もう少しだけあの世界に留まることが出来ました。その間に僕は、フィアさんに僕の杖と魔道書を渡し、西の商都の孤児院まで送り届けることが出来たんです。あなたの言うとおり、僕は強くなれた。フィアを守り通せるくらいには)
彼のメールをリアルで読むのは、なんだか奇妙な感じだった。全てはゲームの中の出来事のはずなのに。
(ゲームサービス終了直前でしたが、フィアからあなたへの伝言を預かりました。お伝えしておきます)
フィアは、今はもうどこにも存在しない。消えてしまった、0と1との電気信号とプログラムソースの塊でしかない。それなのに何故、こんなに胸が痛むんだろう。フィアのやさしい笑い顔が心に浮かぶ。
「先生は、いまどこにいますか。私は、大丈夫です」
大丈夫な訳がない。たった一人で。西の商都までは、何ヶ月もかかるのに。商都だって、いつ襲われるか分からないのに。なにより、その商都はもう存在しないのに。
「先生。教えてくれたこと、いっしょうわすれません。ありがとう」
どうして? 彼女の一生は、プログラムの中にしかないのに。そのプログラムは、もう消えてしまったのに。
「この村からどこか別の場所に行ってしまっても、ずっとずっと、みんなのいい先生でいてください。大好きです。ありがとう」
私は、モニターの前で、大声を上げて泣いた。
私は、無力だ。どうしようもなく。
そうして何時間か泣いた後、私は顔を上げた。
私は無力だ。
…でも、それでも、もしかしたら、私は。
あの金髪の、背の高い戦士のように。あの世界の「私」のように。
このリアルの世界でも大切な何かを見つけ、そして今度こそ、守り通すことが出来るのかもしれない。
バニィからのメールに「ありがとう。またメールします」と短い返信を送り、マウスをクリックしパソコンの電源を落とした。壁に掛かった時計が、かちりと音を立てる。午前7時、これから長い一日がはじまる時間だ。
(さて、何からはじめてみようかな。運動でも、してみようか…)
そう考えながら、私は、椅子から立ち上がり、背筋を伸ばし、小さく伸びをした。
私はあの世界に確かに居た。そして、あの世界の人々は確かに生きていた。暖かい日差しの中で。
だから、私は、今日、立ち上がるのだ。例えこれから何度、剣を折られたとしても。
(了)
夏がきた。
兆候は、穏やかに始まった。遥か東にある王都が、隣国に攻め落とされたという知らせが、旅の商人から届けられた。彼はありったけの荷物を荷馬車に詰め込み、足早にこの村を去っていった。西へ逃げろと言い残して。
秋がきた。
東からの風に、血の匂いが混じった。村人たちは、一人、また一人と姿を消していった。ある者は東へ行ったきり戻らず、ある者は西へと逃げ、ある者は数少なくなった村の守り手としての使命を果たし、死んでいった。
冬がきた。
アインも、フィアも、ゼクスも、少なくなった大人たちに混じり、それぞれの仕事をこなすようになった。私たちの授業で繰り返し繰り返し学んだ技で、彼らは獣を焼き払い、切り裂き、爆ぜさせていった。そして私も、この村と子どもたちの生活を守るため、巨人や亜人間を狩った。追い払うなどという悠長なことをする余裕は、もう村にはなかった。私の剣は血で汚れ、欠け、そして磨り減っていった。
ある日、本当に久しぶりに、新しい冒険者が村を訪れた。
バニィと名乗るその若者は、青いローブを被った黒髪の若い青年だった。
「東の王都は、完全に崩壊しました。黒い鎧を来た兵士の一群が、あっと言う間に城を焼き払って…」
バニィは悔しそうに目を伏せ、私たちにそう言った。
「ここまで逃げてくるのが精一杯でした。仲間もばらばらになってしまって…。おそらく、もう…」
村長の提案で、バニィはこの村の自警隊の一人として組み込まれることになった。彼は氷の術の使い手だった。この世界では、あまり見ないタイプの術なのだが、彼曰く、その術はどんな敵をも凍らせ、一瞬で砕く…らしかった。村は今、ひとりでも多くの手を借りなければならない状況だ。自警団に魔法の使い手が増えるのはありがたかった。
バニィの魔法は、私たちの予想より遥かに強力だった。氷の嵐が敵の動きを止めることで、私たちの仕事は遥かに楽になった。私は、凍りついた亜人間の身体を剣で砕き、足で蹴りつけた。動けない敵を相手に、私の身体は身軽になり、手足は確実に敵を捉えた。
「あなたは、ずっと一人で戦ってきたんですか?」
ある日、バニィが戦いの後、私に尋ねた。
「私? そうね…。一人じゃない時もあったけど…」
あの時は確かに独りではなかった。でも…。かつてのオンラインゲーム仲間たちと戦った日々が、私には遠い過去の記憶に思えた。
「貴女は孤独に強いんですね。村を離れて、他の強いギルドに入って暮らす手もあったでしょう?」
「強くはないです。独りに慣れただけ」
私は、荒く手入れした剣を鞘にしまいながら、無愛想な顔でそう答えた。
「でも」
バニィは笑って言った。
「それでも貴方は強いですよ。僕は王都を追われた・・・負け犬ですから」
「それでも、その負け犬のあなたの力が、村のみんなには必要なの」
私は気弱に笑うバニィに向き直って、まだ幼さの残るその白い顔に、大きな声で告げた。
バニィの瞳には、むこうの世界から来た者だけにわかる、暗い光があった。けれど私は、彼に過去を尋ねる事は出来なかった。私自身と同じように、バニィも何かを抱えて、あの現実の世界から、この世界に入り込んだのだろう。それは、別に私が知る必要のないことだ。・・・けれど。
「それでも、あなたは、強いの。私がそれを知ってる」
そう言って、私は地面を軽く蹴り、バニィに向かって右手を伸ばした。彼の細い右手が、ためらいがちに差し出され、私に触れた。その手は柔らかく、温かかった。私たちは、笑顔で握手を交わした。
(8)
そしてさらに数ヶ月が経ち、王都を襲った黒い軍隊が村を襲った。彼らは一瞬で村の門を焼き払い、なすすべのない村人たちを虐殺していった。数日間、村の外に亜人間退治に出掛けていた私とバニィが戻った時には、村は既に、黒く煤け焼きただれていた。
村に立ち上る黒い煙が、遠い平原から見えた。異変に気がついたわたしとバニィは、村へと駆け、その惨状を目の当りにしてただ呆然とするだけだった。絶望感すら感じないまま、私は、教会に向って歩いた。万が一、もしかしたら、子どもたちだけでも、奴らは見逃したかもしれない。ありえない願いを心の中でつぶやきながら、私は歩みを進めた。
教会の扉は、堅く閉ざされたままだった。
「アイン、フィア、ゼクス!」
扉を開ける。小さな礼拝所には、誰もいなかった。
「…」
バニィが無言で私の後に続く。
「そんな…」
私は、ゆっくりと膝を折り、崩れ落ちた。バニィがあわてて私の肩を支える。その時、かたりと物音がした。
「せんせい?」
幼い声が、礼拝所の壁に反響した。
「せんせい? せんせい!!!」
ぼろ布を身にまとったフィアが、女神像の裏からおずおずと顔を出した。
「フィア! 無事だったのね!」
フィアは、足を引きずり、よろめきながら私たちの元へと進んだ。バニィが駆け寄り、優しく彼女を抱き上げた。
「みんな、みんな、みんな…」
フィアはうわごとのように呟くと、小さく息を吐いた。その息は小鳥のさえずりよりも小さく、弱弱しかった。
「先生? 先生だよな…」
教会の鐘つき台に登る梯子の上から、ゼクスの声が小さく響いた。
私は、フィアをバニィにまかせ、梯子を登った。村を見渡す鐘つき台には、ここ数ヶ月で、見違えるように大人びた顔つきになったゼクスがいた。
「よぉ先生。走ってくるの、見えたぜ」
鐘つき台の床に横たわったぜクスは、擦れた声でそう言った。
「…先生がさ、帰ってきたら、すぐわかるようにってさ。フィアがうるさくてさ…」
ゼクスの顔は青ざめ、額には汗が滲んでいた。
「もう俺とフィアしかいないからさ、俺があいつを守ってやらなきゃって」
私は、ゼクスの頬に手を当てた。…一年前にはあんなにきれいだった桃色の頬が、青黒く染まっていた。
「…がんばったね、ゼクス、がんばったね」
私は、彼を抱きしめることしか出来なかった。
「先生たちが狩りに出ていってすぐに、大きな軍隊が来たんだ…」
ゼクスは、ぽつぽつと語り出した。
「黒い鎧の連中が、いきなり村を襲ってきた。俺たち、必死で戦ったんだ。村長まで剣を取って」
私は、自分の服の袖をナイフで切り裂き、それからその切れ端でゼクスの頬を拭った。
「もういいよ? ゼクス。もういいから…」
「最初に村長が死んで、それから大人たちが総崩れになった。誰も逃げなかったけど、でも、何も出来なくてさ。アインは…」
ゼクスの肩が、びくりと痙攣した。
「アインは、その時、死んだんだ。痛いよ、痛いよって。にいちゃん、たすけてって、そう言って」
ゼクスの頬を涙が伝った。
「俺、何も出来なかった。フィアを連れて、教会の床下に隠れるしか出来なかったんだ。ずっと息を殺して、小さくなって」
「ゼクス…」
「俺たちがずっと隠れてたら、床の上が静かになったんだ。俺とフィアが床下から這い出したときには、あいつらはどこかに消えてた。それから、フィアと二人で、先生を待つことにしたんだ」
風に吹かれ、教会の鐘がカランと鳴った。
その音を聞いて、ゼクスの表情が、一瞬、一年前出会ったときの子どもっぽい笑顔になった。
「先生、俺、剣も魔法も下手だけど、頑張ったんだ」
「えらいね、ゼクス」
私は、精一杯の笑顔を作った。笑わなきゃいけない。彼のために。今だけでも。
「俺さぁ…先生が帰ったら、言おうと思ったんだ。ありがとう、って」
ゼクスは静かに目を閉じ、ほんとうにかすかに、息を吐いた。
彼の左足は、膝から先が失われ、血だらけの布が巻かれていた。きっとフィアが巻いたものだ。
「ありがとな。先生が教えてくれたんだ。戦い方を全部。剣の振り方も、盾の持ち方も」
彼の肩が揺れる。私には、もう何も出来ることはなかった。
「ごめん、ゼクスは一生懸命がんばったのにね。私がもっと…」
「フィアが」
ゼクスが、かすかな声で呟く。
「フィアが下で」
彼の声は、その言葉を最後に、途絶え、失われた。私に、その続きの言葉を聞く事は、もう出来なかった。
教会の鐘が、もう一度だけ、カランと鳴った。わたしは、大切な何かを、また失った。
(9)
教会を後にし、バニィとフィアと一緒に、ゼクスの亡骸を裏庭に埋めた。アインの遺体は、いくら探しても見つからず、私たちは、彼の大切にしていた練習用の剣をゼクスのとなりに埋め、墓標代わりの小さな石を二つ、彼らの眠る土の上に置いた。
彼らの埋葬を終えた私の頭上には、いつもと変わらない、青い空が広がっていた。その色は限りなく青かった。私は、大きく息を吸った。村の空気は血と煤の匂いがした。
どこかで、小鳥の鳴く声がした気がした。
「せんせーフットサルってさー」
記憶の中のゼクスが私に笑いかける。
「キーパーがどうしてもボールをとめれないときは、どうすんだ?」
フィアとアインは、無邪気に歓声を上げながらボールを追いかけている。
「強いシュートとか来たとき?」
わたしはしばらく考えて、こう言った。
「怪我するから、逃げなさい」
「いいのかよ? 点数はいっちゃうぞ?」
「いいのよ、怪我するくらいなら逃げていいんだから。フィアにもアインにも、そう教えなきゃね」
私は、ふと思いついたように言う。
「…そうね、そうだ。授業で剣も魔法も教えてるけどね」
ゼクスの目をじっと見て、私は言う。
「もし私が居ない時に強い敵が来たら、すぐ逃げて。フィアとアインを連れてね」
ゼクスは少し首をかしげて考えてから、ゆっくりと答える。
「そっか…みんなを怪我させちゃいけないんだな?」
「そう、正解。いい子ね。約束よ」
わたしは、満面の笑みで、そう答えた。遠い日の、記憶。暖かな夏の日の出来事。
思い出に浸り、ただ立ち尽くす私の顔を、フィアが心配そうに覗き込む。
「せんせい、だいじょうぶ?」
彼女の身体には、大きな傷はひとつもなかった。ゼクスは、私との約束をきちんと守ったのだ。
「うん、大丈夫よ」
私は笑う。ゼクスが私との約束を守ったこと、それがフィアを救ったのだ。ならば、私は、2人のために、笑わなければならない。何がなんでも。
「大丈夫。フィア、あなたは私が守るから」
笑顔でそう告げる。
「…どうします? これから」
バニィが途方にくれた顔で呟く。
「そうね、とりあえず山側の道を…」
言いかけて、私は大きなめまいを感じた。バニィの身体が薄く、霞のようにゆらめいていた。
「…さん、サーバーが不安定で…不具合が…」
バニィの声が途切れる。彼だけではない、私自身の身体も陽炎のように揺れ、次第に色を無くして行く。
「…んせい? せんせい!」
フィアが叫ぶ。…まだダメだ、私は、まだ、彼女を。祈るように、手を伸ばす。
「フィア、わたし…」
「サーバーエラーです。回線を中断します。復旧は未定です」
機械的な音声が私の頭の中に響き、世界は黒く閉ざされた。私の身体から重さがなくなり、フワリとどこかに投げ出されるような感触が、一瞬だけ私を包んだ。
世界が終わる、プツンという音が、小さく響いた。
その画面の向こうには、果てしない暗闇が広がっていた。
小さな部屋の片隅、背中を丸めて、私はモニターを見つめていた。
もう一週間もお風呂に入っていない。私の長い髪は縺れて、歪んで、小さな胸の先で揺れている。
…気にしない。何も気にしない。私はもう「私」ですらないんだから。
マウスをクリックし次のサイトを探す。私の生きている場所。本当の自分のいる世界。わたしは、それを探し続ける。
そして、私は見つけた。見慣れたトップページに記載された、見慣れない文字を。
【サービス終了のお知らせ。オンラインRPGブルーワールドは4月1日をもって全サービスを終了致しました。ご利用ありがとうございました】
しばらく呆然としていると、パソコンの画面の隅に電子メールの着信サインが光った。反射的にメールトレーをクリックする。
(こんにちは、バニィです。リアルでは初めまして、ですね)
意外な相手からのメールに、私は驚いた。
(手短にお伝えします。あなたがサーバーダウンで消えた後、僕は、もう少しだけあの世界に留まることが出来ました。その間に僕は、フィアさんに僕の杖と魔道書を渡し、西の商都の孤児院まで送り届けることが出来たんです。あなたの言うとおり、僕は強くなれた。フィアを守り通せるくらいには)
彼のメールをリアルで読むのは、なんだか奇妙な感じだった。全てはゲームの中の出来事のはずなのに。
(ゲームサービス終了直前でしたが、フィアからあなたへの伝言を預かりました。お伝えしておきます)
フィアは、今はもうどこにも存在しない。消えてしまった、0と1との電気信号とプログラムソースの塊でしかない。それなのに何故、こんなに胸が痛むんだろう。フィアのやさしい笑い顔が心に浮かぶ。
「先生は、いまどこにいますか。私は、大丈夫です」
大丈夫な訳がない。たった一人で。西の商都までは、何ヶ月もかかるのに。商都だって、いつ襲われるか分からないのに。なにより、その商都はもう存在しないのに。
「先生。教えてくれたこと、いっしょうわすれません。ありがとう」
どうして? 彼女の一生は、プログラムの中にしかないのに。そのプログラムは、もう消えてしまったのに。
「この村からどこか別の場所に行ってしまっても、ずっとずっと、みんなのいい先生でいてください。大好きです。ありがとう」
私は、モニターの前で、大声を上げて泣いた。
私は、無力だ。どうしようもなく。
そうして何時間か泣いた後、私は顔を上げた。
私は無力だ。
…でも、それでも、もしかしたら、私は。
あの金髪の、背の高い戦士のように。あの世界の「私」のように。
このリアルの世界でも大切な何かを見つけ、そして今度こそ、守り通すことが出来るのかもしれない。
バニィからのメールに「ありがとう。またメールします」と短い返信を送り、マウスをクリックしパソコンの電源を落とした。壁に掛かった時計が、かちりと音を立てる。午前7時、これから長い一日がはじまる時間だ。
(さて、何からはじめてみようかな。運動でも、してみようか…)
そう考えながら、私は、椅子から立ち上がり、背筋を伸ばし、小さく伸びをした。
私はあの世界に確かに居た。そして、あの世界の人々は確かに生きていた。暖かい日差しの中で。
だから、私は、今日、立ち上がるのだ。例えこれから何度、剣を折られたとしても。
(了)