きっと忘れない

岡本光(おかもとこう)のブログです。オリジナル短編小説等を掲載しています。

短編小説(SS) 窓の中、碧い世界 (前編)

2018年01月27日 | 小説 (プレビュー版含む)
(1)


その画面の向こうには、果てしない青空が広がっていた。


小さな部屋の片隅、背中を丸めて、私はモニターを見つめていた。

もう何日もお風呂に入っていない。私の長い髪は縺れて、歪んで、小さな胸の先で揺れている。

…気にしない。何も気にしない。私はもう「女の子」ですらないんだから。

マウスをクリックし、《世界》にログインする。私の生きている場所。本当の私のいる世界。



そこには勇敢な騎士が、魔法使いが、可愛らしい妖精が、私を待っている。

本当の私。世界を守る、明るくて強い、魔法戦士。

困難な使命。守るべき仲間。愛する世界。全部私のもの。



戦いは困難。だけど私たちは怯まない。倒せない敵なんていない。



けれど。やっぱり。それは現実ではないのだ。

午前四時。新聞配達の自転車のブレーキの音。差し込む朝の光。

ログアウトのアラーム音と共に、仲間たちは帰っていく。それぞれの居場所へ。

…私の居場所は、どこにもないのに。



「こんな現実、なくなっちゃえばいいのに」

私はポツリと呟く。その声は誰にも届かない。誰にも。


(2)


私の毎日の日課。朝起きて食事、一日分。歯を磨いて部屋に戻る。着替えはお母さんが用意してくれたものを、そのまま着る。どうせ誰も訪ねて来ない。

パソコンの電源を入れる。仲間たちが来るまで、地道にレベル上げだ。

強くならなくちゃ。みんなを守ってあげなくちゃ…。

ひたすらマウスをクリックする。BGMは消したまま。だって、本当の世界にBGMなんてないから。一人の冒険は大変だけど気楽だ。狼、巨人、亜人間。次々に切り伏せて、次のエリアに向かう。




何時間ゲームプレイを続けていただろう。パソコンの画面に没頭していると、いつの間にか、何かが頭の奥で鳴った気がした。

・・・なんだろう。目の前に光? 眩暈?  

そして、突然何かに吸い込まれるような、そんな気配を感じた。

私は、意識を失った。




気がつくと、私は碧い草原の上に倒れていた。片手には一振りの剣。身に纏った鎧はやけに軽くて、まるで手編みののセーターみたいだった。


「…!!」


しばらく経って私はやっと理解した。

来たんだ。あの場所に。ずっと憧れていたあの場所に。私は、自由なんだ! 私はもう、あっちの、現実の世界の私じゃないんだ! 

なんて素敵な出来事なんだろう。私はこの奇跡を起こしてくれた、今まで一度も信じたことのない神様に、心から感謝した。








立ち上がる。私のみじかい長く美しい金髪が揺れる。深く息を吸う。私は、ここに居る。本当に、ここに居る。剣を軽く持ち上げ、鞘にしまう。カチャリという音。僅かな重さを感じる。胸の高鳴りが止まらないまま、私は近くの村へと走り出した。青く眩しい空が、駆ける私の上に、どこまでも広がっていた。






(3)


モニター越しに、何度も何度も訪ねたその村は、私の想像よりずっと大きくて、活気に満ちていた。

村に一つしかない宿屋も、小さな雑貨屋も、広場にある二階建ての教会も、そしてなにより、そこに住んでいる人々も、私にはすべてが新鮮だった。そこにいる誰もが笑顔で、私にあいさつをしてくれる。この村には珍しいものは何もなくて、めったに冒険者が立ち寄ることはないのだけれど、ゲームをプレイし始めた時、私はこの村を気に入って、時々訪れていた。だから、住人や行商人たち、村の子どもたちとも、ゲームの初期から、私はすっかり顔なじみになっていた。

「おやおや魔法戦士様。珍しくおひとりで?」

村長さんが優しい笑顔で私に訪ねる。

「ええ、少し…仲間たちとはぐれてしまって」

私は、少しはにかんで、ぎこちなく答えた。こんなふうに外で誰かと立ち話するなんて、一体何年ぶりだろう。

「大変ですな。よければこの村で、お仲間が来るまで過ごされるとよい。住むところと食べ物くらいなら、用意できますので…」

「でも、皆さんにご迷惑をかけるわけには…」

「ならば子どもたちに、剣と魔法を教えていただければ。こんな山奥の村ですからな、教えられる住人などおらんのですよ」

…先生? 私が子どもたちの? 驚いて、私は村長さんの顔を思わず見返していた。

「いやいや、かえってご迷惑ですかな?」

村長さんが戸惑う私を見て、慌てて言った。とても心配そうな顔だ。

(ああ、この人は本当に、子どもたちに先生が必要だって思ってるんだな)

そう思うと、私はなんだか安心して、小さく息をついて、言った。

「ぜひ、やらせてください。私で…私なんかでもよければ」

笑顔で、私はそう応えていた。何年ぶりかわからない、本当の笑顔で。


(4)


日差しが暖かく、私たちを照らしていた。

「いーち。にーい」

子どもたちの元気な声が、村の片隅の原っぱに響く。たったの3人。でも、みんな大切な私の生徒たちだ。

「せんせー。すぶりおわりましたー」

一番背の低い男の子、アインが元気よく叫ぶ。

「せんせい。次は何するの?」

そばかすの女の子、フィアがおずおずと尋ねる。三人の中で一番おっとりした、でも頭のいい子だ。

「魔法だよな? 絶対魔法!」

みんなのまとめ役、しっかり者のゼクスが目をきらきらさせて言った。冒険者になるのが夢で、一番声が大きくて、一番優しい男の子。

「えっとねー。うーん今日は」

私が村の子どもたちの先生役を引き受けて一ヶ月。永遠に変わらない春の日差しを浴びて…このゲームの世界に季節の設定がないことを、私は最近になって気付いたのだけれど…私たちの授業は毎日続いていた。

子どもたちは皆、素直でかわいい。この村には何もないけど、みんなとても楽しそうだ。

「んー。魔法もいいんだけど…」

私は、すこし考えてから、言った。

「サッカー、してみようか? この人数ならフットサルかな?」

この世界に来る前から、少し憧れていたのだ。グラウンドでキラキラ汗を流してボールを追いかける女の子たち。彼女たちみたいになれたらなって、そう思っていた。

「さっかーやる!」

「先生フットサルだって言ってるだろー!」

「ケンカしちゃダメなのー」

何の説明もしていないのに、子どもたちはもうすっかりはしゃいでいる。そうだ、ボールを用意しないと。

「ゼクス、ボールって知ってる? 丸くて、投げたり蹴ったりして遊ぶ…」

「鞠か? 鞠ならあるぞ!」

返事を言い終わる前に、ゼクスは村の中央へと駆け出していった。

「ゼクスにいちゃんまってよー」

アインが慌てて後を追う。フィアも、仕方ないなぁという顔でついて行く。三人とも、本当のきょうだいみたいに仲がいい。親を亜人間退治で亡くしていたり、大きな街から逃げるように移り住んだり、生まれた直後から孤児だったりと、みんなの身寄りは様々だけど、そんなことを感じさせるひまもないくらい、彼らは元気だ。




「せんせー。まりとってきたー!」

アインが、自分のお手柄、という表情でにかっと笑う。

「お前ついてきただけだろ! ほら!」

ゼクスがアインを手から鞠をすくい上げ、私に投げた。

「せんせい、それでサッカーできる?」

フィアが不安げに尋ねる。本物の、リアルの世界のサッカーボールよりもずっと軽くて扱いやすい。これなら私にもロングシュートが出来そうだ。

「ばっちり! じゃ、サッカーの授業をはじめます! 足で受けるんだよ?」

私は明るく、とびきりの笑顔でみんなに応える。ずっと、こんな時間が続けばいい。心からそう思いながら、私はボールを足もとに置き、子どもたちに小さくパスをした。ボールはポンと音を立てて、青い原っぱの上をゆっくりと優しく転がっていった。

私は、まだ何もわかってはいなかった。本当に、まだ何もわかってはいなかったのだ。それを思い知らされるのは、もっと後のことなのだけれど…。

ボールは転がり、私と子どもたちの笑い声の間を、駆け巡って行った。日が暮れるまでずっと、私たちはそうやって遊んでいた。


(5)


季節も天気も変わらない村にも、たまには変化がある。行商人の持ち込む商品は時折その品を変えるし、ごくたまには、巨人や亜人間が村を囲む壁の周りをうろつくこともあった。私は村の人々と力を合わせて、侵入者を追い払った。皆に頼りにされるのは嬉しかったし、なにより子どもたちを守れたことが誇らしかった。そうして私がこの村に来て三ヶ月が過ぎ、村の生活にすっかり馴染んだころ、その出来事は起こった。

「通達? ですか?」

村長さんが、村の中央の掲示板に大きな張り紙を貼った。そこには「運営からのお知らせ」と大きな字で書かれていて、その下に細々とした注意書きがあった。

「わしらには中央の言ってることはさっぱりわからんが、貼るのが決まりごとなんです」

その張り紙の内容は、私が久しぶりに目にした、ゴシック書体の日本語で書かれていた。この世界の文字以外で書かれたその張り紙が貼られている事に私はひどく不安を感じて、目で必死に内容を追った。

「PK解禁のお知らせ。エリア攻防戦機能追加。季節表示機能追加。よりエキサイトするゲーム展開。《world》サーバーで戦いまくれ! 仕様変更をお楽しみに!」

何を書いているのか、私は最初、まったく理解できなかった。一瞬意識が遠のき、目の前が白くなり、そして理解した。ああ、そうだ。これは、私がかつて何度も目にした、パソコンの運営サーバーからのメールだ。なんのことはない、ゲームの世界はゲームのまま、現実の世界は現実のまま、ずっとそのままで存在していたのだ・・・。




「せんせー、なんてかいてあるの?」






アインが不思議そうに首をかしげる。アインだけではない、他の村人たちもみな、この張り紙の内容を誰一人理解することは出来ない様子だ。これを読めるのは。理解できるのは…。

「わたし、だけ」

また、一瞬、目の前が真っ白に光った気がした。一瞬の間、暗く閉ざされた小さなあの部屋が、私の視界の奥に広がった。本当の私は、いま、一体どこにいるのだろう。

【後編はこちらから】









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