奥武蔵の風

14 共存する新旧の追分(2)久保交差点

(前回からの続きです) 

 奥武蔵を代表する追分の一つであったこの横手の分岐が、街道の重要な役割を終えてごく普通の田舎道になったのは、取って代る新しい別の追分ができたからです。

 そこで、目の前の光景を忘れないうちに新しい追分を訪ね、共存する新旧二つの追分の姿を重ね合わせてみることにしましょう。

 さっそく左の川越方面への道を進むことにします。右の飯能方面への広い道が緩やかに上っていくのとは対照的に、左の細い道は下り坂となって、すぐ高麗川の大門橋(流れ橋)に出ます。板橋を渡った先の細道も、昔の街道です。国道299号に合流したら、そのまま歩道に沿って歩きを続けましょう。つい先ほど大門橋のすぐ足下に見た高麗川の水面が、右の断崖直下に見えてきます。標高がそれだけ上がってきたことが分かります。国道は小山の切通(きりとおし)を抜けていきますが、切通の手前で旧国道が小山の南側を迂回して切通の先で再び合流します。

 やがて、国道は高麗橋(こまばし)を渡り、久保の交差点に出るのですが、この「久保交差点」こそが、じつは横手の分岐に取って代った現代の追分にほかなりません。

 交差点の手前のブルーの大きな道路標識に注目です。

 「直進(国道299)所沢  飯能」「⇦左折(県道15)川越 圏央道」とあります。二つの分岐路の行先は、先ほど横手の追分で見た江戸時代の道標「右 はんのふ(飯能)」「左 川ごへ(川越)」と全く同じです。秩父方向から来て飯能方面へ直進する道は、国道299号。川越方面へ分岐する左折路は、県道15号(川越・日高線)で、まさにこの久保交差点が川越方面への起点なのです。横手の分岐が果たしていた追分の役割が、そっくりそのまま、この久保交差点に引き継がれていることが分かります。

 秩父方向から東進して実際にこの交差点に差し掛かると、道路標識とは少し違って、川越方面への分岐(左折)は直角ではなく、左斜め奥方向へ、つまり北東方向へ分岐(左折)していることが分かります。いかにも追分という感じです。ただし、この分岐が県道(川越・日高線)の起点ではあるのですが、道路の構造としては、交差点が斜め十字路になっていて、県道が国道を横切って南西方向へ延長されているように見えます。交差点をはさんで県道の延長上に伸びる道路は、じつは昭和の後期に付近の大規模宅地造成に伴って開通した新参の「市道」です。 

 国道と県道が分岐する交差点の三角形の角地には、以前はガソリンスタンドが立地していて、いかにも現代の追分という感じでしたが、数年前に廃業してからはずっと更地(さらち)の状態です。

 現代の追分は、江戸時代の追分から、直線距離にして1キロメートル余り東へ移動しました。新旧二つの追分の「相似(そうじ)」を自分の足と目で確かめられるこのコース歩きは、江戸時代から現代へ時空を旅したような感動が味わえます。

 さて、現代の追分は、どちらの道を進みましょうか。近年、国道は拡幅されて歩道を安全に歩くことができるようになりましたから、国道に沿って飯能方面へ進み、高麗駅へ向かうことにしましょう。

 

(写真上)©久保交差点の道路標識。分岐する行先は、横手の追分道標と同じく「飯能」と「川越」。江戸時代の道標のまさに現代版!

(写真上)©秩父方向から見た久保交差点と飯能方面。

(写真上)©飯能方向から見た久保交差点(信号のあるところ)。分岐する行先は「秩父」(直進)と「川越」(右折)。

(写真上)©川越方向から見た久保交差点。分岐する行先は「飯能」(左折)と「秩父」(右折)。

(写真上)©現代の追分「久保交差点」の拡大地図

(写真上)©全体地図(本文の歩いたコースを辿っていただけます)

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