本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

私の気づいた単純なこと。

2011-10-18 18:24:15 | 社会
1.メディアに巣食う小泉のエピゴーネンたちはどうか。
 彼らは単に小泉を個人崇拝している信奉者たちである。TBSの岸井などは、もしこの私の指摘が違うと言うなら、自分は何時幾日小泉のこの政策・この言動には反発し批判もしたと証拠を挙げて言ってみろ! ということである。

 出来やしないのである。小泉・癌細胞がTBSに転移していると言っていいだろう。

2.小沢は国内で「政策」を理由に排除されたわけではない。小沢の日米中「二等辺三角形」論、鳩山の「東アジア共同体」構想はまず、わが国を属国扱いしているアメリカに最大級の嫌悪をもって迎えられ、次にその忠実で売国的な下僕たちによって国内的にも排除される道を歩んだが、小泉ポチと外務省はその先頭にいたのである。

 今となっては単なる昔話に過ぎないが、「自自公」の連立は「小沢自由党本流」の離脱によって「自公保」の連立へと変身を遂げた。ここに「保守党」というのは自由党の分派で「小沢と一緒に閣外へ去るのは嫌だ」という大臣病の連中が勝手にでっち上げた政党に過ぎず程なく消滅した。小沢本流は鳩山・民主党と連携する道を選んだ。

 小泉にとっては小沢のいる民主党は今でも「悪の中枢」であり排除の対象なのである。「小沢=金権腐敗」というレッテル貼りはそのために用意されたものである。そのレッテル貼りに無能のメディアと自己保身の官僚らが飛びついた。

3.小泉ポチの人心掌握術と他者を自分の掌に載せてしまう詐術には天性のものがある。遺憾ながら小沢さんにはこれがない。w
 小泉が自らの政権復帰を望んでいないとしたら、あとはいつになるのか、小泉家四代目進次郎の政権踏襲しかない。
「血の継続」であるが、古来一度でも権力を掌握したことのある者たちが望むのはこれしかないということになっている。

 小沢だけを「踏み絵」に使うメディアの論調は偏屈・一方的で報道に必須の公平性の欠片もない。小泉ポチこそ「踏み絵」に使うに相応しい男なのである。
 繰り返すが「自分はポチの親衛隊ではない」と主張する評論家なり学者なり、報道関係者なりがもしいたのなら、彼らは「私は小泉と小泉以来の自民党の政策のこことここを批判し続けて来た」のだと明らかにすべきである。
 これが出来ない連中はアンシャンレジュームの一翼を担う保守反動の一員に過ぎない。 

cf.小林よしのり

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4.何事もアメリカの真似事をすることが大好きなこの国の若者たちも、ワシントンスクエアから全国全世界に波及しつつある「99%デモ」の真似だけはしないようである。デモなんてものはキモくてダサいものだという認識なのだろうか、「カッコ悪いことはしない」人たちなのである。尤も彼らが「カッコいい」と自分で勝手に思い込んでいることなど、私に言わせればダセエだけなのであるが。ww

 我々の世代もまたアメリカの風俗を真似た。ヒッピーの格好をし、ビートルズもストーンズもハードロックも聴き、B・ディランを聴いて反戦フォークを歌った。無論日夜過激な街頭デモやフランスデモを敢行して、上の世代からは厳しい弾圧も受けた。それでこのザマである。w

 デモと言えば、15日東京では5人のアメリカ人による「Occupy Tokyo」という運動のデモがwebを主体に呼び掛けられたそうである。
 デモ参加者は50人、報道が50人、警察の警備が100人だったという。
( 註: ↑ この数字は単純にTBSの報道を信じたからだが、読売によれば参加者は倍の百であり、同じ日東京の他の地区でもデモがあったというのである。しかしいずれにせよ、ヨーロッパでも特にローマでは10万人の焼討ちデモだったというから規模が違う。)

「Occupy Tokyo」即ち「東京を占拠せよ!」という言葉を聞いて私が思い出すのは四十数年前の春の出来事である。
 その年私は1浪の末東京の大学に進学したが、そこは沖縄をテーマとした学園闘争の真っ盛りで、あるセクト(=党派)などは「首都制圧・首相官邸占拠」を街頭闘争のスローガンに掲げて「立て看」を建てビラを配っていた。

 私はその党派の人間と話す機会があったので、

「本当にそんなことが出来ると思っているのか?」と質問したことがある。

 返って来た答えは意外にも単純明快で率直なものだった。

「今の力じゃ(仮令首相官邸が占拠出来たとしても)そんなに長くは続かないからな・・」 そして、

「捨石になる。それだけでいい。」というものであった。

 今思うのは、吉本が言うように、そういう「自己犠牲の思想」は駄目だということであるが・・。

5.日系ブラジル人たちも中国人たちも、「円」を稼ぎたくて来日しているわけであって、そのために必要ならば日本人と交流してもいいと考えているわけである。日本人と親しくなるのが第一の目的ではない。日本人と対処するのにいちいち喧嘩腰では円は稼げないから(仕方なしに?)仲良くしているだけである。w

 他方日系人と直接触れ合った日本人たちはどうだったろうか。
 今から20年位前の話になるが、愛知県小牧市のある工場にはひどく程度の低い青年労働者たちがいた。
 或る男は私と顔を合わせれば決まって『「How much?」と訊け』と言い寄って来るのであった。
 私は取り合わなかったが、彼の言わんとしたところは、

「幾ら出せば抱かせるか、それを日系人女性に訊いてみろ」

ということだったのである。

(ばかやろう!そんなことを知りたかったら自分で訊け!)

 このようなセクハラ行為は日常茶飯事だったと思われる。それが嫌で職場を脱走した十代半ばの若い子らもいた。
 一方で日本の工場へ金稼ぎのため派遣されて来る人間もいれば、他方彼らに赴任費用を貸し、宿舎も職場も職場への送迎バスも手配して派遣料を稼ぐ業者もいた。その派遣業者の日系人社長はベンツに乗っているという話だった。w 

6.私の知り合いに「売れたらおしまいだ」という言葉が口癖の原始仏教系の修行僧がいる。
「天王寺駅周辺の《托鉢》は警察の規制が厳しくなったため出来なくなった」ということで、彼とは最近顔を合わせていない。

 テレビに出て電波芸者の役どころに甘んじている人たちの大方にその謗りは当たっているだろう。
 みんな金が欲しいのであるから(!)「売れて悪い」ということはないだろうが、売れたが為に失うこともまた少なくない筈である。

7.『ミシェル・フーコー』(重田園江著・ちくま新書)はまだ半分くらいしか読み進んでいない。

*犯罪と刑罰。監視と処罰。
 犯罪者個人への教育と一般人への教育、恫喝。
 一般人には監獄の内部は見えない。(但し例外的に一部がドキュメントとして報道されることがある。)

*一般人の一人だった者が犯罪を犯し、法の定めるところによって処罰され監獄に送り込まれると、彼にとって監獄内部は最早「見えない対象」ではなくなる。もう怖い場所ではない、普通の(?)人間が普通に(?)棲息している場所になるのである。

 奪われるのは「身体的自由」だけで(中世のように)手足を殺がれるわけではない(!)ということだが、シャバにいたからと言って、その時代彼にどれだけの「自由」が保障されていただろうか!?

 結果、どうなるか。

 他国の事情は知らないが、我が国に於いては「再犯率の高さ」がしばしば問題になる。
「罪刑法定主義」といい「教育刑主義」という我が国であるが、「一線を越えて」犯罪者となってしまった者たちにとっては(死刑は別として!)もはや監獄は恐れるに足るものではないかの如くである。「(一旦中に入ってしまえば!)もはや刑罰足り得ない」と言ってしまってもいいかも知れない。
「シャバは不人情だから嫌だ。仕事もないし、早く刑務所に戻りたい」と言って敢て犯罪を犯す再犯者・再々犯罪者もいるのである。

*刑務所の旧帝国軍隊式の矯正術では、人は権威に阿り教官に媚び諂う術を身につけるだけである。
 逆らわなければいい。頭を低くしていれば風は過ぎ去る。卑屈かつ従順であればいいと、これが刑務所内の処世術である。

 啓蒙主義と近代の監獄とは合致するものではないと著者は指摘する。

「・・そして刑罰の目的については、啓蒙主義では自立的で判断力に長け、物事の善悪を自分で決められる、つまりは良識を持った人間の育成が目指されている。これに対して監獄では、服従する人間、反復運動によってたたき込まれた動作を即座に行ない、上下関係の中で速やかに服従の態勢に入れる人間を作ることが目指されている。(101P)」

 まさにその通りである。w

 病気(病人)は社会的に作り出される。
 犯罪者は創出されるのである。

 イスラム法には「目には目を歯には歯を」という報復法が古来あることはよく知られたところである。
 イスラム社会の労若男女すべての年齢層に対するアメリカからの無差別テロに対するイスラム過激派からの「報復」があの「9・11」自爆テロであったが、大方の報道はイスラム過激派のみを批判しアメリカを非難する態度は取らなかった。米軍による誤射・誤爆は不問にし、それに対するイスラムの側からの「報復」のみを非難したのである。この偏向報道はベトナム戦争の頃以上にひどいかも知れない。

 他方「神風特攻隊の歴史を持つ日本人なら、自爆テロにかける我々の思いもわかるだろう?」というイスラム過激派からの発言もあったが、今時の日本人にそんな根性(?)はない。右翼団体だって神風特攻隊など信奉していない。

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