5/28の『日刊ゲンダイ』はトップでメディアの腐敗を論じていた。①記者クラブは大マスコミの談合組織である。衆議院は「政権交代」したが霞ヶ関と大メディアは「旧政権」のままである。②小泉構造改革に盲目的に心酔していた連中が今は大メディアの幹部クラスに成り上がっている。③彼らは強者優先の小泉路線を踏襲しこれのアンチたる民主党政権を本気で潰しにかかっている。・・といった内容である。報道各社の論説委員やデスクには今ろくな者がいないということは私がいつも指摘している通りである。TBSは特にお粗末で馬鹿揃いである。例えば「朝ズバ」はどうか。キャスターのみのもんたはポチ時代の武部幹事長を「友達だ」と誇らしげに公言していた完璧に自民支持の会社社長だし、コメンテーターでは吉川美代子、与良正男、杉尾秀哉と(いちいち論証しないが)腐臭ふんぷんたるにやけた連中が幅をきかしている。私見では、ここはオームの一家殺人に(結果的にとは言え)「協力」して以来壊れ切っているのである。故人を悪し様に言うのは心苦しいが、故筑紫哲也がやれ「公正中立だ」「真の報道人だ」とときに褒め讃えられるのは他のキャスター・コメンテーターらの悉くが雪崩を打って右傾化した結果に過ぎず、私に言わせれば彼などは昔の『朝日ジャーナル』が右旋回を切った最初の編集長であって、良くてもその辺のリベラリスト止まりの人間に過ぎないのである。だから駄目だと言っているわけではない。利権と談合しか頭にない大方の連中に比べれば月とスッポンである。 . . . 本文を読む
大橋巨泉がマエタケ・小沢昭一との鼎談に出て「テレビは寂しい人が見るんだ」と言っていた。私もそう思う。帰宅するや洗顔する間も惜しんでテレビのチャンネルを捻る人はやはり第一義的に孤独なのだろう。私も似たようなもので、部屋に戻るとすぐ何気にPCの電源を入れる習慣になっている。その際テレビは付けておくだけだがこれもすぐ付ける。PCをやるとじきに目が疲れて来るので、そうするとPCは中断し横になってテレビの音声のみを聞いていたりする。そのままうとうとしてしまうこともままある。今のところに来てからも数年間テレビのない生活を送った経験があるが、それでどうしたということもなかった。無ければ無いでそれに合わせた生活を送るだけである。但し私は「テレビ音声」が無性に懐かしくなって、1~12チャンネルまでの音声を拾えるラジオを買って来てそれをもっぱら愛用し、当時はNHKの「ラジオ深夜便」も機会があればよく聴いていた。最近私は音楽や落語は殆ど聴かない。気が向くとカンパのつもりで路上ライヴのCDを買って帰ることもあるが家でそれらを聞くことはまずない。昔の親は子供が深夜までテレビを見ることを好まなかった。巨泉さんはまた、今はテレビは「一人に一台」の時代だから、親が規制出来るのは子供のメールになっているとも指摘した。メールなんて、あーた、以前このブログでも書いたと思うけど、私が中学生の頃は郵便による「国内文通」「海外文通」だったのである。返事が来るまで半月から一月は常識だったのである。時代は変わったのだとつくづく思う。ぁそ。*社民党が政権離脱するかどうかなどということに私は殆ど関心がない。問題は鳩ちゃんがいつ辞めるかということである。辞めるかどうかわからないと言っても、元々彼は小沢さんの「雇われマダム」に過ぎないのである。後継には今一つ不人気のイラカンの名が上げられているが、私は彼ならひょっとしたら「日本には今米軍基地を喜んで受け入れる自治体など一つもない。まして沖縄県民が絶対不同意の《辺野古案》など白紙撤回するしかない」と正面切ってアメリカに主張出来るかも知れないと密かに期待しているのである。無論これは小沢氏も同意の上でのことである。民主党の起死回生の一手はここにしかないだろう。 . . . 本文を読む
鳩山総理が何を血迷ったか「辺野古移設で日米合意に達した」と沖縄へ行って辺野古案を公式に表明した(←それも初めてだ!)というのは話が全く逆で、本来ならばまずは沖縄へ行って合意を取り付け、次に「xx案で地元の了解を取り付けたんだけど・・」と地元との合意了解を基本にアメリカ側へ打診するのが日本の首相として踏むべき当然の筋であり、一方アメリカ側にしたところで「合意には何よりもまず地元の了解を優先させる」「筈」だったのではないか。誠に真に政府なんてものは嘘吐き人間の集まりである・・と思っていたらメディアの論調も概ね同様だったので糞面白くないから一言付け加えると、鳩ちゃんも小沢さんも既に「決断」はしていて、あとはタイミングを計っているだけだという可能性はあるのである。言わばマイナスカードは全て二人で引き受け背負い被っておいて時期を待ち、「いざとなったら」あっさり辞めるかも知れないのである。それが民主党政権の当面の安定と支持率回復に繋がるのならば、小鳩両者も異存異論はないのではないか。そう言えば話は別だが、政権発足当時は「蝶よ花よ♪」とマスコミに持ち上げられっぱなしだった鳩山夫人みゆきさんは最近全然テレビに出て来ないのだが、早くも用無しと見做され「干されて」しまったのだろうか。全くメディアなんてものもご都合主義そのもので反吐が出る。というわけで、超ミニコミたる私のとこでは「紀行文はどうなったのか?」と興味本位に聞く声が極々一部にあるので、仕方なしに(はあ?)名古屋篇だけでも完結させておくことにした。あっそ。「往復」と言っても帰りは2時間程かけて近鉄特急で帰って来ただけなので、名古屋に着く今回で多分紀行文は終わりである。高野山の紀行文はメモも用意もないので書かない予定である。ぁそ。 . . . 本文を読む
橋下新党の新人候補が既成政党の候補らにダブルスコアの大差をつけて圧勝したという大阪市議会福島区補選である。民主候補は最下位に等しい第4位落選であるから昨年夏の「民主党ブーム」は完璧に去ったというべきである。「維新の会」の主張は私も詳しくは知らないが、大阪を「府」から「都」に変え(←大阪市は役人の巣窟だからこれを解消し「府」と「市」を一体化するという意味)国がここを「経済特区」に指定して「免税」で(あわよくば海外からも)「企業誘致」をして関西圏全体の活性化を図る・・というものである。これが(一応)支持されたのである。選挙結果を受けて、知事は平松市長に「考え直して検討に入れ」と重ねて要求したが、平松は官公労や役人らの御輿に乗っているだけの「行政官」に過ぎないから自分の一存での決定など出来はしないのだ。「維新の会はやっとスタートラインに着いた」などと敵愾心顕わに虚勢を張る始末である。橋下派に対立候補を出されたりしようものなら平松なんか一期で吹っ飛ぶぞ。笑。橋下知事は次の七月生野区補選までは平松の「改心を待つ」のだそうである。w . . . 本文を読む
そもそも検察審査会とは、検察内部の腐敗や権力への迎合を監視するための一制度なのであって、今回のように寄って集って新政権の足を引っ張るための一環として機能すべきシステムではないのだ。故羽仁五郎の名言に『もういっぺん言ってみろ』というのがあった。これは検察=国家権力の側の控訴乱発を戒めた言葉であって、検察側の控訴を認めない国も多いというのに『無罪だと!?もういっぺん言ってみろ』と高圧的に上級審の判断を仰ぐなど人権無視も甚だしいというのである。言ってしまえば権力側が懸命な捜査の結果控訴断念して、それで犯罪を問われる人が減るのであれば、それは結構な話じゃないかということなのである。今回の自称「国民の代表」=検察審査会は不純な動機で発動した検察に対して『嫌疑不充分だと!?起訴出来ない筈がないじゃないか!?もういっぺん言ってみろ』とお節介にも検察権力の尻を叩いているものであるが、この『小鳩』攻撃が果たして名目通りの純然たる『金権腐敗』を追求するもので他意がないのかどうか、いつも言っているように甚だ疑問なのである。『革命』でも何でもない今回の新政権は、旧体制側から見ればあってはならない『革命』そのものなのである。旧政権は今や100名そこそこの少数野党に転落したが、彼らが育てた官僚機構やメディアのボスたちはまだぬくぬくと甘い汁を啜り続けている。検察審査会のお気軽で蓮っ葉な連中には大局的に歴史を見通す目が決定的に欠落している恐れがある。あれだけ恣意的に強権発動しまくった特捜以下が「いや、小沢本人の起訴はやっぱり難しかった」と言っているのに、連中は「そんなことはない。クルーシファイ ヒム!クルーシファイ ヒム!小沢を磔にしろ!」と口角泡を飛ばして狂的に絶叫しているのである。 . . . 本文を読む
私はもっぱら文章であれ画像・ムービーであれ「投稿」「アップ」することには熱心だが他人のアップしたコンテンツを見て回ることには不熱心である。そんな暇があったらイラストの一枚も描いておきたい気がする。あちゃ。私のところに寄せられる感想・コメントの類は、スパムや悪意あるものについては気づいたときには即削除するように心掛けているが、但しYouTubeに寄せられるコメントについては長い間放置状態だった。それを今回半端な形ではあったが少しだけやってみた。たまたま街で遭遇した右翼の街宣カーのミニムービーに寄せられたチンピラたちのコメントを、削除したり本人らを出入り禁止にしたりしたのである。あれはどういう暇な連中が目敏く見つけて書き込んで来るのか、南北朝鮮や中国を目の仇にした排外主義そのものの発言が目立つ。出所を手繰れば意外に(?)霞ヶ関官庁街のPCという可能性も十分にあると私は邪推している。私は基本的には一旦webに公開してしまったものは褒められようがくさされようが自分には制御不可能で仕方ないと思っているから、別に急いで削除する必要もないわけだが、反対に公平中立を装っていつまでもそんなゴミみたいなものを抱いている必要もないのである。まあ「他にやることがないのか、暇な奴らだ」と軽蔑するだけである。*口蹄疫の蔓延だがメディアも宮崎地元も「国が悪い」「鳩山が悪い」の一点張りである。無論発生から一ヶ月も立って対策本部を立ち上げた政府の対応の遅れもあるし、「マニュアル通りにやっていた」と言い張る監督官庁の無能さ無責任さもあるが、メディアはこの間「金権だ」「普天間だ」と小鳩攻撃に明け暮れていたし、地元民だって政権交代の結果最早機能不全に陥った「自民党チャンネル」のみに固執していたわけである。最初に診断した某獣医が(何を根拠にしたのか)「これは口蹄疫ではない」と断言したのも大問題なら、他の獣医に診せることを怠った農家もたわけなのであって、言わば近隣諸国での流行を知りながら「対岸の火事や♪」とばかりにのほほんとその対策をサボって来た日本人全体が間抜け・腑抜けだったと言うべきで、物事はなかなか「人事を尽くして天命を待つ」という具合には行かないようである。「貧すれば窮す」ということだ。 . . . 本文を読む
『名古屋往復』と題して始めたこのシリーズだが、(6)回目だというのにまだ名古屋に着いていない。あちゃ。まだこの後に高野山のこととか映画のこととか葵祭のこととか、書かなければならない記事が目白押しである。目白押しって言葉はこんな場合に使っていいのだろうか、やや違和感がある。記事はまあなんとかなるので(はあ?)いいのだが、写真が千枚以上溜ってしまったのには流石に閉口である。私は1枚ずつサイズを小さく変えて画像処理もしているのでその手間は馬鹿にならない。しかしまあ、人間何であれすることがあるうちが花だと思って頑張ろっと♪*鳩山首相はかねてから「自分は総理を辞めるときは議員も辞める」と言っているわけで、そう簡単に辞任するわけには行かないのであるが、ここへ来て急速に「右ハンドル」を切ったからといって支持率アップに繋がる道理がない。「それ見たことか」と官憲+メディア一体となった勢力の「誘導」にまたしてもあっさりちょろまかされた「アホな一般大衆」=「愚民ども」に笑われるだけである。馬鹿につける薬はない。話は逆で、むしろ岡田・北沢らの党内右翼の引っ張りを振り切って急激な「左旋回」をした方が「それでこそ我々が選んだ新政権だ」とまともな有権者の支持を回復出来るのである。つまりは金輪際米軍など要らないから早急にこの国から追い出せということなのである。戦後60年も経ってまだ「現状では(沖縄米軍縮小は)無理だ」などと言っている北沢や岡田はアメリカの走狗だ。 . . . 本文を読む
『そこまで言って委員会』でメディア論スペシャルをやっていた。いつものメンバーがああだこうだ言うのであるから議論が白熱する筈もなく、所詮はメディアという狭い業界の我田引水的おためごかしに過ぎない。ゲストの田原の爺さんは『何かを引き出す』ことを大義名分に、自民だろうと公明だろうと矢鱈褒めちぎる手法を取った自分の番組のことは棚に上げて①『記者クラブ』は談合組織である。②一列横並びの彼らは『特オチ』を恐れて他社と違うことは言わない。自分のところだけ『仲間外れ』になるのが一番怖い。③そうなる原因を作ったのは『コンプライアンス』が強調されるようになったからで、管理職はそれを口実に突出を禁止するのである云々と言っていた。*他には『最近テレビがつまらなくなった』のかそれとも『もともとつまらなかった』のかという議論もあった。私は最近つまらなくなったと思っている人間だが、テレビにせよ漫画雑誌にせよ昔と今とでは情報の絶対量に大差があるから、比較には厳密な時代考証と分析が伴わなければならない。番組内の常連だけの与太話でああだこうだ言ってみても始まらないし殆ど無意味である。*田原は東京のテレビ局は正社員千人のところへ下請け・非正規雇用が三千人という『格差社会』であると言い、番組側は「関西はそこまでマーケットが大きくないから」そういう事実はないと反論した。新世界や梅田陸橋での街頭取材を見ていてもスタッフは小汚い格好をした3人もいればいい方で、これに音声やらタイムキーパーやらが加わった大所帯のクルーなどはまず見掛けない。メディアだの『記者クラブ』だのは体のいい『閉鎖社会』に過ぎず、驚くべきことにそこにたまたま所属した出来の悪い少人数が恣意的気まぐれで作った『ニュース』が、日夜世間を席捲しているのである。*あと内閣機密費に話が及んだとき、みんな評論家やジャーナリストに金が渡っていることは間違いないとしながらも、誰がその毒饅頭を食ったかについては容易に実名を出せないでいた。金女史などは「官邸で二回会食はしたが金は貰っていない」などと言い出した。笑。いったいその原資はどこから出ているんだ!?人間なんて単純なもので篭絡するには「飲ます、抱かせる、摑ませる」でいいのだ。朝日の三反園は「**首相夫人の手料理は旨かった」などとかつての自らの番記者時代を自慢げに回顧していた。奴らは畢竟みんなこれなのである。 . . . 本文を読む
鳩山首相の『5月末決着断念』を非難するのは自民党・守旧派ベースの議論である。小沢さんへの金権批判集中は相変わらずであるし、こういった『ためにする』『小鳩批判』は今ノータリン=アホダラメディアの奏でる主調音になっている。なんでもかんでも『小鳩が悪い』という単純化が愚民政治・テレポリティックスには好都合なのだろう。かつて小泉ポチにあれだけ迎合した者たちが何の反省もなく今そんな偉そうな態度をとっていていいものかどうか、ちょっと彼らと距離をおいて見ていれば答えは明瞭だ。*この中央政界への『陰謀報道』と呼応して、龍馬龍馬とテレビは今NHK民放入り乱れて朝夕騒がしい限りだが、なんで彼一人を突出した幕末のヒーローに祀り上げなければならないのか、暗殺されたから英雄なのかと、私は正直不満である。海外貿易で金儲けをしたかったという彼が幕末の英雄だったというなら、昨年夏、わけのわからない有象無象どもを率いて戦後半世紀以上に亘ってこの国を牛耳って来た自民党支配を現実に打倒した小沢さんだって相当な人物である『筈』である。龍馬はあれこれぶち上げただけでそのうち殺されてしまったが、小沢さんは現実に旧政権を転覆するまでに至ったのである。龍馬がもし仮に暗殺されずに明治期まで存命だったなら、彼も数ある『明治の元勲』たちの一人に過ぎなかった『筈』である。そして彼ら『明治の元勲』たちは誰一人とってもどれもこれも一長一短の、所詮は『極東離れ小島』の田舎者・能書き垂れに過ぎなかったわけである。一方で龍馬を神の如く崇め奉ったかと思えば、他方では小鳩をまるで極悪非道の亡国の徒ででもあるかのように叩きまくるという、この支離滅裂な自家撞着に気づかない(或いは気づかない振りをしている)のが我々のメディアなのである。いったいどっちが極悪非道な亡国の徒か、ということなのである。今は小鳩を叩いて飯の種にしている同じ連中が、数年後には(その頃には既に失脚している?)『小鳩の見直し』を高らかに謳い上げ『彼らは実は偉大だった』云々の反吐が出そうなキャンペーンでまた飯を食うという可能性は大きいのだ。w . . . 本文を読む
これは私の紀行文(?)である。ぁそ。同じような紀行文は以前東京へ行ったとき書いたような記憶がある。あのときは青春18切符だった。18切符は日割にして一日二千円分ちょっと乗れば元が取れる。JRの運賃は一般に私鉄よりかなり割高だからこれは比較的容易に実現可能だ。私は5回分フルセットはきついので金券ショップで半端があったときだけ買って利用していたが「もう若くないんだから」と周囲に要らぬ忠告・心配をされたりして、その言葉が気になって最近は控えている。でも今度の夏にはなぜか挑戦したい気になってもいるのだ。金券ショップの18切符(半端分)はかなり割高で、一日二千5百円から三千円分くらい乗らないと元が引けない。しかもJRの販売期限を過ぎた後などはショップ側は我々の足元を見て(!)更に値上げして来るのである。が、未使用の18切符をショップから買うときにはせいぜい百円くらいしか値引きしないのだ。それでも青春18切符は利用者側にあれこれ旨みがあるが、今回の近鉄株主券は何より「途中下車」が出来ないので使い道が極端に狭くなり旨みというものに乏しい。私のように暇に任せて乗ったっきりで一路名古屋迄行くのが値段的には一番お得だろう。運賃割安の見返りに「時間の損失が大きい」「時は金なりだぜ♪」と人は言うだろうが、元々単なる「移動」だけでは「旅」は面白くもなんともないものなのであって、「目的地」へ着くまでの過程・経過・寄り道・・こそが実は旅の醍醐味(?)なのである。第一、もし万一目的地で不愉快なことがあったりしたら、そんな「先を急ぐ旅」は取り返しがつかなくなるではないか。ぁそ。それで、各社から各種出ている「一日フリーパス」の券でないと按配悪いので、私は株主券はもう買わないことにした。利便性があれば株主が自分で使うに決まっている。ぁそ。w . . . 本文を読む
巨人の中畑清が「立ち上がれ日本」から参院選に出るということだが、石原御大をブリッジに片や「石原プロー長島茂雄ー中畑清」片や「石原世襲息子」と、「立ち上がれ」と「自民」は繋がっているのだから、これは当然あり得べき話で別段珍しい話ではない。「おいお前ひとつ鉄砲玉で飛んで来い」みたいなもんで、どちらから出るかというだけのことだ。自民で干された杉村太蔵も擁立だそうだが、これは彼は元小泉チルドレンで平沼は郵政離党組だから辻褄は合わないが(←枡添が「新党改革」で、与謝野が「立ち上がれ日本」で正しいんだよな。野合ばかりだからごっちゃになりそうだ。笑)保守系有名人なら誰でもいいということだろう。w但し彼らに「立ち上がれ」への集票能力が本当にあるのかどうかは私には何とも言えない。笑。*テレ朝の世論調査でも支持率が民主24%自民28%と逆転したそうである。参院選で仮に民主が大敗すると「逆麻生現象」になり単独では法案は通らなくなる。「みんなの党」か「公明党」に連立に加わって貰うしかなくなるが、果たしてどうなるか。鳥越さんが「鳩山首相は石破と同意見の防衛省官僚・外務省官僚にレクチャーを受けてお勉強した」「海兵隊は抑止力ではない」「そもそも抑止力っていったい何なんだ!?」と力説していたが他にこういうことを言う人はあまりいない。馬鹿なコメンテーターは横目でチラチラ隣りを見ながら発言している。 . . . 本文を読む
近鉄の株主優待券=一回限りの片道切符(下車前途無効)を早く使ってしまわないといけないと思って、主にそれだけの理由でちょっと名古屋まで行ってみた。帰りは名古屋の金券ショップでアーバンライナーを買って深夜鶴橋まで帰って来た。日帰りである。株主券は名古屋では大阪より50円高く、逆にアーバンライナーは50円安かった。ぁそ。JRで名古屋ー新大阪間は3,260円(新幹線なら+特急券3,120円)であり、近鉄だと名古屋ー難波間は運賃だけなら2,300円とかなり安いが、それを1,500円(ショップの株主券の値段)で行こうというのである。w . . . 本文を読む
小泉・飯島・石破なり岡田外相なりが、大詰めへ来て米側の利益ばかりを代弁し、米側の主張をまるで我がことのようにオーム返しに言い張っているが、そういう連中は実はCIAの秘密諜報員ではないのかと(笑)指摘する人がいたが、確かにそれを一笑に付するだけの根拠など誰も示し得ないのだが、別にそういう特殊な「身分・資格」がなかったとしても(!)、言っていることややっていることが「原則何から何までアメリカの世界戦略優先であり、沖縄県民どうでもいい、引き続き従来通り犠牲になれ・・」であったなら、実質的に彼らは国益放棄の「アメリカの手先そのもの」であると言っていいのである。奴らはいったいどこの国の政治家だ!?「5月末決着」のそもそもの理由はそうしないと米軍の移転費用その他が米議会の予算に計上されない可能性があるからだが、そんな心配・詮索は第一アメリカの問題であるし、この間の推移はその程度の短期的困難の域を超えた永続的本質的議論を惹起しつつある。逆にこの「薮蛇」的議論の白熱化を避けたいがために、変節(?)鳩山は「5月決着」に拘っているのだと言えるのである。なぜそうなるかと言えば、新政権は米国やその追随者たちにああだこうだと余程恫喝され続けたのである。「そんなこと言っていていいのか。北はこうだ。台湾海峡はこうだ。北方ではこうだ、韓国だってこうだ」・・と日夜脅され続け、鳩などはこの「豆鉄砲」の一斉射撃で震え上がり、茫然自失の虚脱状態に陥ったのではないか。中らずと言えども遠からずだろう。このトップシークレットの「軍事機密」は無論我々一般国民の耳目が届く範囲にはない。同じ閣内にあっても社民党などには欠片も知らされていないだろう。ここへ来て北は示し合わせたように韓国の軍艦を攻撃し(たとされ)、将軍様は中国へおねだりに(?)行った。ここに「一方で緊張激化を煽りながら他方では和平模索の振りもしてみせる」という古来習いある統治の術策としては、北も日韓米中露も原則みな「同じ穴の狢」なのである。さながら統治者の側は紛れもなき「インターナショナリズム(国際主義)」に立脚し、逆に統治されている側は「民族排外主義」そのものに拘泥するという、かつてのお目出度い自称「社会主義者」たちが描いた世界とは正しく逆転逆立した現象が、我々の属する現実世界を覆い尽くしているかのようである。 . . . 本文を読む
センセーショナルなお騒がせ報道が日夜幅をきかせている。今報道の基本は垂れ流しであり、報道各社は一列横並びで次々と新しい話題に飛びついては捨て去って日々をやり過ごし、結果フォロー記事や追跡調査などはネタ枯れした暇なとき例外的にしか顧みないのを常としている。日々一方的に狂乱報道を視聴させられ続けるだけの我々としては、こういうふざけた傾向への自衛策として、むしろ紙面の片隅の小さな記事に注目するというのも一つの方法かも知れない。が、テレビではこれは効かない。つまりはまあ、これ以上お馬鹿さんにならないためには私もあなたも、テレビなどは金輪際見ないのが最善だろうか。ぁそ。*鳩山総理の今回の言動が正味伝えられる通りで、「隠し玉」も「一発逆転の秘策」もなく「腹案とは徳之島」であり「現行案が最善」ということであるのなら、この政権は半ばもう終わっているのかも知れない。某民主党議員の言うように「他にいいこともたくさんしているのに報道されるのは《金と政治》と《普天間》だけ」というメディアの「ためにする」《偏向報道》はその通りであるが、まるで夢遊病状態の世論は民主党など信じないでメディアを妄信している。新政権は守旧勢力に現況見事に嵌められているのである。さてここでだが、「公約」は既に破棄同然なのだから「五月以内という期限だけを《守る》」必要などはさらさらない。「アメリカが現行案に頑強に固執して、我が方の打ち出す様々な改善案のどれ一つにも同意しようとしないから5月決着は無理でした」とはっきり真相を打ち明けて「決着」を引き伸ばせばいいだけの話である。これくらいのことはしろよ、馬鹿たれが! . . . 本文を読む
大阪の街を歩いていて気づくのは中国人観光客が多いことである。本土から来ているのか、香港・台湾から来ているのか知らないが、辺り構わず大声で会話しているから大変に目立つ。欧米人の観光客は無論のこと、我々日本人も小さくなっているような感じで、言ってしまえば「成金」か何か知らないが野卑で失礼な連中だという印象が強いのである。私もなんばでショーウィンドゥの写真を撮っていたら、ツアー客の一人に突然大声でまくし立てられたことがあった。「普通語(標準語)」だったのかどうか、「マイ」だとか「イーコチェン」だとか叫んでいたから、多分「そのカメラはどこで買ったのか?」と訊いていたのだと推測したが、それは彼らに同行していた通訳に確かめて概ね正しかったことが後でわかった。通訳がいるのに(!)赤の他人である私に突然中国語で、しかも詰問調で(!)訊くんじゃねえ!地球はお前を中心に回っているんじゃねえぞ、このタコが!!・・というわけで思い出すと腹が立って来る。こういったツアー客ではなく、毎日『玉出スーパー』とかでレジを打っている中国人は面白いから私は好きだ。例えば会計を待つ間「大姐(ターチェ)昨日いなかったね。代わりに小姐(シャオチェ)がいた」などと話しかけると途端に、極端に可愛らしい声色を使って「毎度ありがとうございます。またお越し下さいませ」と(普段使わない敬語を総動員して)やり返して来たりするのである。ここに大姐(ターチェ)というのは年配の(?)女性に敬意を払って使う言葉、小姐(シャオチェ)は「お嬢さん」という意味である。彼女は「自分もお嬢さんよ♪」と言いたかったのだろう。笑。 . . . 本文を読む