本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

議員報酬。

2011-04-26 09:55:08 | 社会
議員報酬、特例措置で半減合意 名古屋市議会、全会派共同提案へ
2011年4月26日 02時17分

 議員報酬の年800万円への半減案を提案していた名古屋市議会の減税日本ナゴヤは25日、同案の取り下げを決めた。自民・民主党市議団も別に提案していた暫定的に半減する案を取り下げ。これを受け、公明、共産も含めた全会派は5月から特例で800万円に引き下げる条例案を共同提案することで合意した。同案は27日の本会議で全会一致で可決される見通し。

 800万円の制度化を目指してきた減税日本が、第3者機関による報酬額決定までの暫定的な半減を主張した自民、民主に押し切られた形だ。

 この日午後5時から報酬半減案の審議を始めた総務環境委員会は、減税日本案への質疑をめぐり紛糾。答弁に詰まった減税日本側が再三にわたり協議のため休憩を求め、審議は長時間にわたり空転した。

 同11時ごろから開いた減税、自民、公明、民主の幹部による会議では、妥協案として特例措置による半減案が提案され、減税がこれを受け入れ、共産も同調した。共同提案に際しては、自民や民主が主張してきた市民の声を聴く機会を設けることを条件とし、減税日本側も認めた。

 報酬半減案は、減税日本代表の河村たかし市長が過去に5度、市議会に提案し、いずれも否決された。市長は市議会解散請求(リコール)の署名集めや解散を問う住民投票で「高額な報酬が議席の指定席化や世襲を招いている」と主張。有権者の共感を呼び、リコール成立の原動力となった。
(中日新聞)

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ボランティア各所で受け入れ制限 東北3県「供給過剰」

 東日本大震災で被害が大きかった岩手、宮城、福島3県の「災害ボランティアセンター」計65カ所のうち約86%に当たる56カ所が、対象を地元の住民に限るなど受け入れ制限をしていることが26日、共同通信のまとめで分かった。

 一部のセンターは「ボランティアは供給過剰。新たに宿泊先を確保するのも難しい状態」と説明する。被災地の一部道路では渋滞が発生しており、ゴールデンウイークを控え、「交通事情を含めて混乱を招きかねない」として新たに制限を設けたセンターもある。

 ただ、ボランティア活動の専門家の中からは「統制しようとする行政的なやり方だ」と批判する声も聞かれる。内海成治)大阪大名誉教授(国際ボランティア論)は「多少の混乱はあるだろうが、ボランティアの得意分野を積極的に生かすべきだ」と話した。

 各市町村の社会福祉協議会が設置した災害ボランティアセンターは岩手に20カ所、宮城に16カ所、福島に29カ所。

 岩手県では、宮古市が個人は市内、大船渡市は県内にそれぞれ限定。陸前高田市や釜石市は独自に募集をしておらず、遠野市などから派遣されるボランティアだけを受け入れている。

 宮城県は東松島、名取、塩釜、七ケ浜、山元の5市町が県内だけ、仙台市の4カ所は市民だけにそれぞれ限っている。

 福島県は、福島第1原発に近い南相馬市以外は、新規受け付けを見合わせたり、現地に通える人だけを受け入れている。

 大学キャンパスに拠点を置く宮城県石巻市は、新規の応募が殺到したため、事前の問い合わせを義務化する方針に変更。同県亘理町は、これまで対象を限定していなかったが、5月1日以降の連休中は、同町で活動経験がない県外ボランティアを受け入れないことを決めた。

 内海名誉教授は「ボランティアの中には、行政との調整が得意な人もいる。宿泊先は被災地から遠方に泊まってもらうなど方策があるはずだ」と指摘している。
2011/04/26 08:47 【共同通信】

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*一方で人手不足を言い、他方で供給過剰を言う。どっちなんだ!?
 受け入れ側の行政がいまだ復興に充分な態勢をとれていないのである。
 最近めっきり報道が減っているが、今尚学校の体育館等緊急の避難所で暮らす人たちは一体何人いらっしゃるのか。当初46万人と言われ、それが30万人~20万人と漸減して、12万人とか11万人とかまでは聞いているがその後は私は知らない。
 電気ガス水道電話医療学校道路郵便などの生活基盤はどの地域がどこまで復旧し、どこがまだなのか、いちいち各役所のHPを当らないといけないのか。

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<東日本大震災>「復興庁」来年4月設置で調整
毎日新聞 4月26日(火)2時31分配信

 政府・民主党は25日、東日本大震災の被災地復興へ向けた実施組織について、まず全閣僚で構成する「復興対策本部」を設置し、1年後の来年4月をめどに各府省の権限を一元化した「復興庁」(仮称)を設置する方針を固めた。民主党の玄葉光一郎政調会長(国家戦略担当相兼務)が同日、自民党の石破茂政調会長にこうした方針を説明した。民主党はこれを盛り込んだ復興基本法案を、自民、公明両党と共同で今国会に提出することを目指すが、両党が応じなければ単独提案に踏み切る考えだ。【大場伸也】

 復興実施組織を巡っては、全閣僚による復興対策本部が各府省の指揮をとる政府・民主党案に対し、自民党は各府省の権限を集約した「復興再生院」を設置する独自の法案骨子を発表している。政府・民主党は、復興再生院などの考えを取り入れた「2段構え」の組織づくりを盛り込むことで、与野党連携の呼び水にしたい狙いがある。ただ、石破氏は民主党との協議に前向きだが、統一地方選の民主敗北を受け、自民、公明両党は菅政権との対決姿勢を強めており、共同提案に応じる可能性は低い。

 これとは別に、菅直人首相と国民新党の亀井静香代表は、与野党代表者による「復興実施本部」の設置と野党の参加を呼び掛けているが、自民党の石原伸晃、公明党の井上義久両幹事長らは25日の会談で、応じない方針を確認した。復興実施本部の設置が困難な情勢であることから、対策本部-復興庁を2段階で設置する案の扱いが、今後の与野党調整の焦点になりそうだ。

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福島第1原発:苦渋の90人放置 南西4キロの双葉病院

 東京電力福島第1原発の南西約4キロにある双葉病院(福島県大熊町)の患者らが、原発事故を受けた避難中や避難後に死亡した問題で、死者は患者ら約440人中約45人に上る見通しであることが分かった。県は病院に一時90人が放置された点などを調査しているが、災害で医療機関や施設の患者ら全員の緊急避難が困難になる事態は国も想定しておらず、今後も同様の問題が起きる恐れがある。避難の経緯で何があったのか。【藤田剛、茶谷亮、蓬田正志】

 ◇バスで6時間

 県などによると、同病院には東日本大震災発生当時、約340人の入院患者がおり、近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者がいた。津波などの被害はなかったが、電気や水道は使えなくなった。

 震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。

 14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。

 ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。大半が寝たきりや認知症の高齢者で、具合も悪そうだった。同行の病院職員はおらずカルテもない。副所長の笹原賢司医師(45)は不安を覚えつつスクリーニングをした。午後2時、患者らはバスでいわき市の避難所に向かった。

 いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回(うかい)。いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。

 体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。

 ◇3日間絶食

 鈴木院長によると、そのころ病院には患者ら約90人と院長ら病院職員4人、警察官、自衛官が残っていた。原発事故は深刻化し、陸自も救出に来ない。自衛官は原発の爆発後、「戻らなければいけない」と病院を離れたという。15日午前1時ごろには警察官から「逃げるしかない」と言われ、患者を残して隣の川内村に避難。同6時にも爆発音があり、警察官から「戻るのはあきらめた方がいい」と諭されたという。県警幹部の一人は「最初の救出の後、自衛隊がまた来るという話があったので待っていたが、来なかった(から退避した)と聞いている」と話した。

 一方、原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。幹部は「少なくとも患者一人一人の名前が分かり、カルテがあれば、もっと救える命があったはず」と話す。

 陸自に救出された約90人は同県伊達市や福島市の避難所に向かったが、その前後に計10人が死亡。福島赤十字病院によると、患者は3日間何も食べられずに脱水症状を起こしていた。

 ◇冷え切る体

 いわき光洋高校の患者らはその後、会津地方の病院などを目指した。うち21人が乗ったバスは15日に県立会津総合病院に到着。多くの人の体は冷え切っており、看護師の一人は「危ない人がいる」と叫んだ。同日夜以降、死亡する人が相次ぎ、4月11日までに計6人が亡くなった。

 4人を受け入れた会津若松市内の老健施設でも、当初は看護師が「ばっちゃん、生きてっか」と呼びかけても反応がないほど衰弱していた。1カ月ほどして双葉病院の職員が訪れ、「見捨てたわけではない。連れて行けなかったんです」と原発事故の混乱を口にした。患者の一人は「では、なぜ今まで迎えに来なかった」と怒った。
 ◇みとられず

 4月6日、県警は双葉病院で患者4人の遺体を発見した。遺族の佐藤和彦さん(47)=富岡町=は福島署川俣分庁舎の駐車場で父久吾さん(87)の遺体と対面し、「誰にもみとられずに死んでいったのか」と涙が出た。

 父の行方を捜して避難先の東京から連日、避難所などを訪ねていた。署で会った鈴木院長が差し出した死亡診断書は「3月14日午前5時12分死亡、死因は肺がん」。「本当にがんだけが理由か。なぜ、院内に放置したのか」と尋ねたが、「すいません」と言うだけで詳しい説明はなかった。大半の職員が避難した後、父はどんな状況で死んだのか。佐藤さんは「真実が知りたい」と訴える。関係者によると、死者はこのほかにも相次ぎ、計約45人に上るという。

 ◇対策の想定外

 国は新潟県中越地震などで高齢者らの逃げ遅れが相次いだことを受け05年、自力で避難できない高齢者ら「災害時要援護者」の避難支援ガイドラインを策定、市町村に要援護者のリストアップや避難支援計画の作成を求めた。大熊町は09年4月に同計画を作った。

 だが、想定しているのは在宅の高齢者や障害者。病院や福祉施設の患者・入所者が一斉に施設外への避難を強いられたケースは異例で、「入院患者や入所者は施設で対応してもらうのが基本」(内閣府)だった。大熊町の担当者も「病院側と連絡が取れず、県や自衛隊とも情報共有できなかった。入院患者は想定外だった」と話す。

 双葉病院の鈴木市郎院長は3月17、21日の取材に「原発の爆発があり、病院に戻れなかった。患者を放置したわけではない」と話した。その後は病院関係者を通じ「内部で調査が終わってから話したい」としている。

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毎日新聞 2011年4月26日 2時35分(最終更新 4月26日 9時25分)

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