
*もう3週間以上前の鳥取への旅行記が最後まで書き終えていないことが気になっていたので、不評かも知れないけど(はあ?)一応区切りというものを付けておきたいと考えたのですよ。てか、あっそ♪
一旦は砂丘から鳥取駅行きの帰りのバスに乗り込んだというところまでで話は途切れていました。で、そこでかろうじて思い直して、11:20の発車1~2分前にバスを飛び降り、私は再び砂丘への階段を登ったのであります。今にして思えば、ここがオラの人生の大きな分かれ道となったのでごぜえますだ、お代官様。
は? オーバーだってか、あそ?
手前の丘のもうひとつ海よりに聳える丘へ行かないでどうする?
眼下の海岸線を見ないでどうする?
とまあ、そういうことなんだね。体に負担がかかり過ぎるとか余程の理由がない限り、海岸線が見渡せるあそこまでは行くべきだと私は思う。行っても失うものは何もないし、得るところは多分大きいからね。w
行く途中谷底に近い辺りで、先に手前の丘で写真を撮った若いカップルが向こうの丘から戻って来るところと行き違いになった。
「どうでしたか?」と私は尋ね、
「きれいでしたよ」と彼氏の方が答えた。
私はここでもまた彼らの写真を2枚撮ったので、都合四回彼らを撮ったことになる。こんなに多く行きずりの人を撮ったのは初めてだった。私は「webに載せるから」と言って『ヤースケ伝』という自分のブログの名前だけを彼らに教えた。
「googleか何かで検索すればいろいろ出て来るから」といつもの台詞も言った。彼らがどの『ヤースケ伝』へ行っても自分たちの写真に辿り着くことが出来るように、帰ってからの私はこれもいつものようにあちこちへ彼らの写真を貼りまくった。笑。
登りながら一回だけ、一人のハングライダーが丘の上で大きく翼を拡げているのを目撃したが、その後彼が実際飛んだのかどうか(←多分飛んだとは思うが)そしてどこへ行ってしまったのかもわからず終いだった。
20分以上~30分近くかけて、私は海寄りの丘に到達した。そこから先、急激な坂を下って行けば波打ち際まで行くことが可能で、事実そこまで降りて行った人たちも何組かいるのが確認出来た。が、私の行軍は丘の上までで終わりにした。下まで行ったら鳥取を発つのが夕方になってしまいそうだったからである。ぁそ。
アリバイ作りのムービーを1本だけ撮影してから、暫くその場に腰を下ろして海から間断なく吹き寄せる爽快な風を受けながら茫然と眼下の白波や遠景に見とれていた。心地よい、いい風だった。鳥取に泊まった甲斐があったと思った。
当日は日中まだ暑さの残る気候で、冷房を止めたバスの中では汗が出る程だったから、明るい陽光を浴びながらの涼風は堪えられなかった。近年あんなに良い風を受け続けた記憶がない。
砂丘は風である。
40分くらい至福の時間を過ごしてから、私は午後1時発の鳥取駅行バス目指して戻った。帰りがけ、手前の丘のステーションで水撒きや馬の世話をしているお姉さんにハングライダーについて少し質問した。彼女がいつかは自分もハングライダーになろうと憧れていることを、仲間との会話で聞き及んでいたからである。
それで、快く私の質問に答えてくれた彼女によれば、ハングライダーは土日祭日等多いときは10人以上が集結して交代で飛ぶ。海寄りの丘の急激な段差のある地形と風がこのスポーツに向いていて、機を操るのが上手な人は当然飛行距離も長い。会員制のクラブが出来ているが、部外者や素人でも希望があればハングライダーに機乗出来る。だがそれには事前の予約が必要である。・・・。
私は14:20発の大阪行き高速バスで帰途に就いた。もう他の場所にも寄りたいという気力・意欲はすっかり失せていた。帰路のことなども述べようとすれば際限がないのでこれで我が旅行記は終わりとする。なんばOCATに着いたのは夕方6時過ぎであたりはすっかり暗くなっていた。
一旦は砂丘から鳥取駅行きの帰りのバスに乗り込んだというところまでで話は途切れていました。で、そこでかろうじて思い直して、11:20の発車1~2分前にバスを飛び降り、私は再び砂丘への階段を登ったのであります。今にして思えば、ここがオラの人生の大きな分かれ道となったのでごぜえますだ、お代官様。
は? オーバーだってか、あそ?
手前の丘のもうひとつ海よりに聳える丘へ行かないでどうする?
眼下の海岸線を見ないでどうする?
とまあ、そういうことなんだね。体に負担がかかり過ぎるとか余程の理由がない限り、海岸線が見渡せるあそこまでは行くべきだと私は思う。行っても失うものは何もないし、得るところは多分大きいからね。w
行く途中谷底に近い辺りで、先に手前の丘で写真を撮った若いカップルが向こうの丘から戻って来るところと行き違いになった。
「どうでしたか?」と私は尋ね、
「きれいでしたよ」と彼氏の方が答えた。
私はここでもまた彼らの写真を2枚撮ったので、都合四回彼らを撮ったことになる。こんなに多く行きずりの人を撮ったのは初めてだった。私は「webに載せるから」と言って『ヤースケ伝』という自分のブログの名前だけを彼らに教えた。
「googleか何かで検索すればいろいろ出て来るから」といつもの台詞も言った。彼らがどの『ヤースケ伝』へ行っても自分たちの写真に辿り着くことが出来るように、帰ってからの私はこれもいつものようにあちこちへ彼らの写真を貼りまくった。笑。
登りながら一回だけ、一人のハングライダーが丘の上で大きく翼を拡げているのを目撃したが、その後彼が実際飛んだのかどうか(←多分飛んだとは思うが)そしてどこへ行ってしまったのかもわからず終いだった。
20分以上~30分近くかけて、私は海寄りの丘に到達した。そこから先、急激な坂を下って行けば波打ち際まで行くことが可能で、事実そこまで降りて行った人たちも何組かいるのが確認出来た。が、私の行軍は丘の上までで終わりにした。下まで行ったら鳥取を発つのが夕方になってしまいそうだったからである。ぁそ。
アリバイ作りのムービーを1本だけ撮影してから、暫くその場に腰を下ろして海から間断なく吹き寄せる爽快な風を受けながら茫然と眼下の白波や遠景に見とれていた。心地よい、いい風だった。鳥取に泊まった甲斐があったと思った。
当日は日中まだ暑さの残る気候で、冷房を止めたバスの中では汗が出る程だったから、明るい陽光を浴びながらの涼風は堪えられなかった。近年あんなに良い風を受け続けた記憶がない。
砂丘は風である。
40分くらい至福の時間を過ごしてから、私は午後1時発の鳥取駅行バス目指して戻った。帰りがけ、手前の丘のステーションで水撒きや馬の世話をしているお姉さんにハングライダーについて少し質問した。彼女がいつかは自分もハングライダーになろうと憧れていることを、仲間との会話で聞き及んでいたからである。
それで、快く私の質問に答えてくれた彼女によれば、ハングライダーは土日祭日等多いときは10人以上が集結して交代で飛ぶ。海寄りの丘の急激な段差のある地形と風がこのスポーツに向いていて、機を操るのが上手な人は当然飛行距離も長い。会員制のクラブが出来ているが、部外者や素人でも希望があればハングライダーに機乗出来る。だがそれには事前の予約が必要である。・・・。
私は14:20発の大阪行き高速バスで帰途に就いた。もう他の場所にも寄りたいという気力・意欲はすっかり失せていた。帰路のことなども述べようとすれば際限がないのでこれで我が旅行記は終わりとする。なんばOCATに着いたのは夕方6時過ぎであたりはすっかり暗くなっていた。