本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

東京の五輪招致他。

2009-04-17 09:33:10 | 世界
 さて、オリンピックはどうだろうか。笑。
「順当なら」(!)東京は破れると私は思っている。あちゃ。
 IOCというのは国際政治から無縁の決断を下す組織などでは更々ない。先に大阪が北京に破れた理由として、メディアは①調査団が来訪した当日の交通渋滞②調査団の質問に対する役人の「今後検討する」との答弁の乱発③大阪の財政の逼迫などを指摘して、「東京はこの愚を繰り返さないのだ」などと息巻いているが私に言わせれば「ばっかじゃなかろか?」「それがどうした?!そんなことは枝葉のことに過ぎない」ということなのである。

 いったい2008年に今や日の出の勢いの中国・北京でオリンピックをやるのか、それとも1964年の東京オリンピックも1970年の大阪万博も既に経験済みの「斜陽の老大国・ニッポン」の大阪でまたまたオリンピックをやるのか、世界情勢に少しでも思いを致したら、どちらがより優先順位が高いかなど自明のことではないか。
「今中国を盛り立てないでいつ盛り立てるのか!?」とIOCが考えることのどこに無理があったのか、ということなのである。
 それを言わない(或いは言えない)日本のメディアにも行政にも、そういう「常識的な国際感覚」(!)というものが決定的に欠如している(もしくはそのように装っている)と断ずるしかないわけである。
 いつも言っていることだが、「報道の自由」などとさも有難いことのように言うが、一列横並びの「翼賛報道」「国策報道」をする「自由」だったら、どこの国のどんな独裁政権でも嬉々として容認するところなのである。
 
 では今回はどうか。仮にオリンピックが「都市主体」という本来の姿で運営されるものであったなら、東京もシカゴも或いは互角に闘えるかも知れない。
 しかし繰り返すが、現実のIOCは国際政治情勢の中でしか動き得ない。ブラジル贔屓の私は個人的には、実現すれば南米初のオリンピック開催となるリオを応援したい気分だが、IOCの各委員らがそこまで先取の気鋭に満ちた先進的な判断を下す人たちだとは到底思われないのである。
 ビデオレターを調査団へ送ったというシカゴが地元のオバマと、自分も昔選手だったという自慢の持ちネタを披露した麻生とでは、いったいどちらがより委員らに与えるインパクトが強いかと言ったら、世界的尺度では全然比較にならないと私は思う。世界の命運を一身に背負っている「オバマのアメリカ」以上に、何か「麻生の日本」を強力にプッシュしなければならない特別な事情でもない限り、東京の当選などはあり得ない。世界は馬鹿ではないのだ。これ以上アメリカの権威を失墜させ、彼らを落胆させる道をIOCが選択するわけには行かないのだ。

 世界は日本という国が今、検察もメディアも揃って野党を叩いて政権交代を阻もうとしている「変」な状態にあるということを熟知している。世界の世論は日本の健全な民主主義の発展を望んでいるが、皮肉にもそれをわかっていないのは我々日本人だけだと言っていいのである。今また東京でオリンピックというのはいささか唐突で、石原知事が自作自演で己の「政界引退の花道造り」を画策しているようにしか見えないという点も指摘しておきたいところである。

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地方行脚、来週から再開=「政治とカネ」説明へ-民主・小沢氏 jiji.com

 民主党の小沢一郎代表は来週から、衆院選に向けた地方行脚を本格的に再開する。同党への支持を訴えつつ、政治資金規正法違反罪で公設秘書が起訴された問題について、有権者に直接説明して理解を得たい考えだ。
 小沢氏は16日、都内で開かれた連合の会合で「来週から従来と同じように、国民に直接おわびしながら(支援を)お願いしに行きたい。そういう努力を当面続けたい」と語った。26日投開票の名古屋市長選などの応援に入る方向で検討している。
 小沢氏は3月3日に秘書が逮捕されて以降、千葉県知事選などの応援に入った以外は、地方出張を控えていたが、鳩山由紀夫幹事長らが全国各地を回って「説明責任」を果たすよう進言していた。(了)(2009/04/16-19:47)

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小沢氏はもっと検察批判を=亀井静氏 jiji.com

 国民新党の亀井静香代表代行は16日午前、民主党の鳩山由紀夫幹事長らとの定例協議で、西松建設の違法献金事件をめぐる小沢一郎同党代表の対応について「今の状況では民主党は衆院選で惨敗する。小沢氏は検察の選挙妨害だということを、なぜもっと(国民に)訴えていかないのか。捜査終結を待っていてもしょうがない」とアドバイスした。鳩山氏は「小沢氏に伝える」と応じた。(了)
(2009/04/16-12:55)

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*「ださいたま」と「ちばらぎ」について。

 どちらも私が東京にいた頃一部で公然と隠微な笑いとともに使われていた。「ださいたま」は「ださい」と「埼玉」を組み合わせた造語、「ちばらぎ」は「千葉」と「茨城」とが合体された造語である。
 「ださいたま」に関しては私は当の埼玉県民が「タモリの野郎アタマに来るなあ!」とかなり本気で怒っているのを耳にしたことがあるので、この言葉を「笑っていいとも!」等で広めた張本人はタモリかも知れない。

 タモリはそれ以前にも「名古屋駅に降りるとミャアミャア鳴く声がする」とか「名古屋の人間は(名古屋城の金の鯱ほこを模した)エビフリャアが大好物だ」とか口繁く言って笑いをとっていたが、昔中村紘子というお馬鹿なピアニストがラジオで「日本は東京にしか文化がない国だから」と公言して顰蹙を買ったことにも端的に現れているように、彼が皮肉ったのはともすれば何でもかんでも「東京一極集中」へと総出を打って流れてしまう「日本の文化・風俗」総体の歪みなのである。

 東京から大阪・神戸に至るいわゆる「太平洋ベルト地帯」に人口も文化も産業もその基幹部分の殆どが集中しているこの国にあって、神奈川県を除く関東地方の埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木の各県は東京の近隣・外郭ではあっても東京そのものではなく、「明日は東京になりたい」と切望しても「永遠に東京にはなれない」という微妙な位置関係にある。ときに名古屋までもが「巨大な田舎」と呼ばれるが、その伝で言えば大阪だってまさに「一ローカル都市」の域を出るものではなく、関西全域の地盤沈下は覆い難いのである。

 昔「ださいたま」だとか「ちばらぎ」だとかを事あるごとに吹聴して陰鬱な笑いに打ち興じていたのは上京して間もない地方出身者たちの野合体なのである。彼らは愚かにも東京に出て来たこと自体が自慢で自慢でしょうがなかったのである。
 事情は現在も大差はなく、メディア関係者であっても芸人であっても、ときにこの「東京志向」「東京崇拝」の傾向を示して恥じず、彼らに限らず我々一億二千万の国民は概ね「東京教」の狂信者であって皆東京を意識し東京の方を向いて日々を送っているのである。まさに「権威は一つあればいい」としか言いようがない我等ニッポンジンなのである。

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