本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

1964年は東京オリンピックの年だった!

2005-06-22 14:04:36 | 
ここ→へ行くとシルヴィー・ヴァルタンの『アイドルを探せ』という昔のフレンチ・ポップスを試聴出来る。

 私が中3のとき流行った唄で、原語の歌詞は「私は舞踏会(ダンパ?)へ行ってきれいに踊るわ、負けないわ!」みたいな意味らしく、アイドル云々は全く無関係だが、当時はこういう訳語が多かった。ビートルズの"A hard day's night"は『ビートルズがやって来る!ヤア!ヤア!ヤア!』だったし、他にも『悲しき足音』だとか『悲しき16才』だとか、原題とかけ離れた訳語は数え上げるときりがない。

*♪ドライヴウェーに春が来りゃ
  イェイェイェイイェイ・イェイェイェイェ
 ♪プールサイドに夏が来りゃ
  イェイェイェイイェイ・イェ!

 というレナウンのCMソングを多分あなたも聴いたことがあると思う。何回かリメイクされたノリのいい曲だから一遍聴いたら忘れない。

 美人でコケティッシュで(?)キュートな彼女は日本でも人気が出て、このCMソングもフリ付きの日本語で歌ったが、でも事もあろうに程なく(しかも二十歳で!)「フランスのプレスリー(?)」とかいう触れ込みのニヤケタ男性歌手と結婚なんかしやがって(!オホン、失礼)大いに私たちを落胆させたのである。

*実は今私も"eigo21"へ行ってこの『アイドルを探せ』を聴いてきたばかりで、彼女が1944・8・15という日本敗戦のピッタリ1年前に生まれた人だということも思い出した。

*この唄が流行った年には世紀のビッグイベントたる東京オリンピックが開催され、日本中が上を下への大騒ぎをしていた。私の中学でもオリンピック観戦の入場券が当たったが数に制限があったため、細かいルールは忘れたがどの会場へどのクラスの生徒が行くかは「生徒全員の投票による抽選で(!)」決めることになった。「恨みっこなし」にするためである。

*で、私のクラスがどうなったかと言うと、これが《大外れ》もいいとこで神宮球場での『日米学生野球』というエキシビジョンの観戦と決まった。言うまでも無く当時「野球なんぞは(!)」オリンピックの正式種目であった筈もなく、今振り返っても私には誰が出たのか、どっちが勝ったのか等々関連する記憶が皆無だ。
「国立競技場へ行った人たちはさぞかし良い思い出を作っただろうな」と、今になって急に羨ましく思えて来た。

*60年安保、64年オリンピック開催、65年日韓条約締結と、日本は国際社会への仲間入りを果たして行く。67年10月からは学生運動が吹き荒れるが、この頃既にアメリカのヴェトナム介入は泥沼化しており、ヒッピーの出現や"love & peace"の反戦運動の高まりも惹き起こしていた。


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